恋愛会議

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 時刻は午前一時。窓に映る星空はあんなに穏やかなのに、僕の心は今までにないぐらい荒ぶっている。心臓は破裂寸前の風船になっているし、眠気も当然とっくのとうに消え去っていた。  毛布に顔をうずめながら、考えたくもないあの人のことを考えている。  明日は彼女との二回目のデート。一回目は飲み会のノリで運良く決まって、運良く乗り切ることができた。  けど、今回はきっとそう簡単にいかない。何より、今後もデートに誘うのならこのタイミングで想いを告白したい。一年間片思いして、ようやくここまでこじつけたんだ。失敗は許されない。  だから余計に緊張するし、息苦しくもなる。大学生も二年目に入るこの日まで、一度も恋愛経験がない。異性を魅了させるトーク力もあるはずがなく、スマホで調べてもどれも他人事で僕に寄り添ったアドバイスが一つも見つからない。どうすればいいんだろう、と永遠に悶々としていた。  答えを出せないまま朝を迎えるのは怖い。  だけど、このまま一睡もせずにデートに臨むのも、空気を悪くしそうで怖い。  そんな二つの悩みの狭間で葛藤しながらも、いつの間にか意識が途切れて。 「──はい、静粛に!」  何やら小槌の音が聞こえて、目が覚めた。 「これより、第一回『恋愛会議』を開始する! 参加者一同、自分の席に着くように!」  恋愛会議……聞き慣れない言葉を脳内で反芻しながら、辺りを見回す。  ……朧気な意識が一瞬で覚醒した。  さっきまで自分の部屋のベッドで寝ていたはずなのに、いつの間にか僕は寝間着のまま、広大な丸机の一角にある席に腰を下ろしていた。背後を振り向いたりしてみたものの、周囲は深淵の黒に満たされている。丸机と幾つかのオフィスチェアだけ、この暗闇の中、スポットライトではっきりと照らされていた。  一体全体、ここは何処なんだ。 「こら、お前達! 裁判長の指示は従うものだぞ? このまま姿を現さないのなら、永久追放を検討してやるぞ?」  また小槌の音が木霊した。  今度は乱暴で、力強い。  音のした方を恐る恐る振り返る。紺のスーツに橙色のネクタイ。つるりとした禿げ頭で光を反射する彼の顔面は……驚くべきことに僕と瓜二つだった。目の大きさや唇の厚さ、二つあるホクロの位置まで、まるで鏡を見ているかのように自分そっくりだった。  どうして、僕と同じ顔の人がいるんだ。  ……というか、会議なのに裁判長って、何かおかしくないか。 「全く騒がしいですねぇ。まるで子供のようにカンカンカンカン……ガベルは楽器ではありませんよ?」  また、別の声が響いてくる。今度は左側から、裁判長と調子が似た若干低めの声音。見ると、先程まで空いていた席で七三分けの男が眼鏡をくいと上げていた。  皴一つない黒いスーツ。深緑色のネクタイ。さぞかし生真面目な顔なのだろうと覗き込んで……背筋が凍った。なんと彼の顔面も、僕と全く同じだったのだ。 「議題は既に把握済みです。要するに、彼女にどうやって告白するか、でしょう?」  僕のことなど目も暮れず、眼鏡男は右手のタブレット端末を弄り始める。 「結論から申し上げるなら、当日の集合時間までに綿密な計画を立てるべきです。タイミング、シチュエーション、言葉の選び方……どの要素も作戦の完遂には欠かせません。あらゆる事態を想定し、計画を立て、その上で実践するのです。大事なのは、相手の意識を自分色に染め上げること。緊張するなど論外です。どの女性もスマートな男を好むものですから」 「おいおい、相変わらずてめえは頭がカッチカチだなあ? そんなんじゃ女の子は退屈しちまうだろ?」  また、違う声だ。裁判官とも眼鏡男とも似て非なる熱血的な声質。  見ると、眼鏡男の向かい側の空席に、腕を組んだ半袖姿の男が腰をかけていた。角刈りで首にホイッスルをかけたその男は……やはり僕と同じ顔だ。どうなってるんだ。まるで髪型と恰好が違うだけの複製品じゃないか。 「確かにタイミングとシチュエーションは大事だ。だが、あまり雰囲気を気にしすぎると本来の自分をアピールできない。それじゃあ駄目だ。女はスマートな男じゃなく、自分に正直な男に惹かれるのだからな!」  言葉に熱が入ったのか、熱血男はドン、と机を拳で叩いた。 「いいか? 大事なのはパッションだ! 正直に! そして何よりも熱く! 率直に自分の想いをぶつけるんだ! そうすれば相手は、どれだけ自分のことを好きでいてくれるか理解してくれるはずさ!」  汗か唾か遠目では解らない透明の雫を散らして、まさに男らしく裁判長に意見をぶつけた。言葉一つ一つに想いを込める彼の横顔は、照明の光も相まって眩しく見える。全くの別人だったら、同性ながら今頃惚れていたところだった。  けど、彼の場合は例外だ。頼むから、僕の顔でそんな恥ずかしいこと言わないでくれ。 「……あっはっはっは」  その時だった。  また左側で、演技臭い嘲笑が聴こえてくる。 「相変わらずキミは暑苦しいね。そこが美点でもあるのだけれど……んまあ、この会議においては話が別だ」  そう語る茶髪の男は、ローファーを履いた片足を机の上に乗せ、偉そうな座り方で一同を眺めていた。  白いタキシードを身に纏い、胸に薔薇の花を付けた彼の顔は、やっぱり僕そっくりだった。唯一ホクロが見当たらないが、恐らく化粧か何かで隠しているのだろう。 「熱く自分の想いをぶつける? そうすれば相手が自分の想いを理解してくれる? ははは……そんなの夢物語だよ。キミ、絶対恋したことないだろ?」  熱血男の眉が、ピクリと動いた。その眩しい笑顔が崩れることはなかったが、少なくとも癪に障ったことがすぐに伝わる。 「相手の頭を自分色に染める……その点においてはメガネ君と同意見だ。ただ唯一残念なのが、告白の一瞬しか大事にしていないこと。これじゃあどれだけ綿密に計画を立てたところで成功率は変わらないさ。そう、ボクレベルのイケメンじゃないとね?」  彼が髪を掻き上げると、大して白くない歯が照明に反射してきらりと光る。  何故か吐き気がした。他人の発言でここまで悪寒がしたのは初めてだと思う。まあ、明確に他人だとは言い切れないわけだけれど。 「凡人のみんなは、本番だけじゃなくて過程も意識しないと。具体的に挙げるなら、デート中にちゃんと相手のことをエスコートしてあげるんだ。扉を開けてあげたり、道路側を歩いてあげたり……こんなのはまだ序の口さ。でも少し意識を変えるだけで、特別感を出すだけに留まらず紳士らしさも演出できる。良いかい? 女の子は、自分を大切にしてくれる人を好きになるんだよ」 「ふむ、確かに一理ありますが……あまり過剰に意識しすぎるのもどうかと」  縁を人差し指で抑えて、眼鏡男が問題点を指摘した。 「エスコートも露骨になれば、相手の心を冷ましてしまいます。やはり道中では友人としての距離感を意識し、本番で完璧に決めた方が現実的ではないでしょうか」 「はっはは、前言撤回。やっぱりキミとは根本的なところでずれていたみたいだね。これだからいつまで経っても恋愛弱者のままなんだよ」 「……はい、静粛に。必要以上の反論は控えて頂きたい」  軽快なガベルの音により、裁判長が二人の衝突を防いだ。 「他の者の意見も聞いてみたいところですな。意見のある人は遠慮なく挙手しなさい」  そう重圧感のある声が丸机に行き渡ったところで、僕以外の目線が同じ方角に向く。ちょうど僕の右隣の席だった。  ただ体感的に、すぐ横から人の気配など微塵も感じられなく──。 「俺、やめた方がいいと思うんです。告るの」 「わっ!」  思わず間抜けな声を上げてしまう。ひゅっと喉が鳴って、全身の鳥肌が一気に泡立つ感覚。すぐ横を振り返ると、そこでは黒いシャツを着たぼさぼさ髪の男が、椅子の上で三角座りをしていた。 「だってまだ二回目のデートでしょ? まだ相手のこと深くまで知れてないのに、急に告白するなんてキモくないですか?」  発する言葉から陰気臭さが滲み出るその男は、クマのできた目元と無精髭の生えた顎が印象的だった。因みに横顔はやっぱり僕とそっくりだった。もう驚かないけど。 「というか一生告んなくて良いと思います。どうせ相手だって、俺のこと恋愛対象だとか思ってませんって。そもそも自意識過剰なんですよ。告白が成功する確率なんて極めて低いのに『俺だったら成功するっしょ?』なんて思ってるの、ダサくないですか。マジでやめた方が良いと思います」  自嘲を含んだ笑みを浮かべ、最後に「ぼくからは以上です」とボソッと呟いた。  正直この会議で一番、寒気がした。何だコイツ。言ってること全部マイナス思考じゃん。人生全部悲観してるみたいな「逆張りしてる俺カッコイイ」みたいな。逆に気持ち悪いからやめてほしいし、僕の顔でそんな陰気臭いこと垂れ流すな。  微妙な沈黙が、丸机の上を通り過ぎていった。 「ダサくないよ! むしろカッコイイと思う!」  その空気を断ち切るかのように、溌溂とした声が響き渡る。今まで耳にしたどの声よりも若々しい、むしろ少年そのものの真っ直ぐな声質。  目を向けると、そこにはやはり幼稚園児がいた。 「ちゃんと好きっていうの、すっごく勇気いるとおもうんだ。というかおれ、うそをつくのはよくないとおもう。その女の子だけじゃなくて、自分もきずつくとおもうから」  年相応の純粋な持論を展開する彼は、水色のスモックに黄色の帽子と、場違いなほど可愛らしい格好をしている。  顔も今の僕と完全に一致……とはいかなかったものの、昔見た幼少期の写真の顔と酷似していた。写真から飛び出してきた、と言われても恐らく納得する程そっくりだった。 「……はっ。子供って良いですよね。無邪気だし、リスクを考える必要がないですし」  すぐ右隣で、根暗男が鼻で笑う。そして姿勢を変えず目線だけ動かし、少年に掠れた声で問いただした。 「それで? 嘘つくのが良くないなら、どうすべきか教えてくださいよ。世の中はそんなに甘くねぇんだよ。綺麗事ばっか言ってないでさっさと解決策を提示しろや」  この人は子供に親でも殺されたのか、と思うほど刺々しい言葉が放たれたが、少年は物怖じもせず「いいよ」と頷いた。 「まず、女の子にやさしくすべきだとおもう! あと、好きならハッキリとそういっちゃえばいいとおもうの! きっとうけいれてくれるよ! なにもじゅんびしなくても、きっとだいじょうぶ!」 「それ、かなりハイリスクでは? もう少し現実的な提案をお願いします」 「お前の熱意は買う! だが対策なしで突っ込むのは愚策と言う他ないな!」 「はははっ! 若々しくて逆に好感持てるな。ま、ボクなら難なくできるけどね?」 「全く、これだからガキは嫌いなんだよ。責任感がないからすぐ無謀なこと言いやがる。少しは考えて言葉を発しろよ。みっともないったらありゃしねぇ。大体なあ──」 「静粛に! 静粛にっ! 必要以上の反論は控えろとあれ程……ああ騒がしい! お前達、本気で出禁にするぞ!」  一瞬にして、丸机が喧騒で埋め尽くされた。四人の「僕」が愚痴や反論を並べ、その圧力に負けた少年が涙目になり、裁判長は声を荒げながらガベルを連打している。凝縮された音の数々が一度に耳の中に入り込み、鼓膜が破れそうになった。  ああ、もううるさい。何がリスクだ。何がプランだ。何がシチュエーションだ。こいつらが直接告白するわけじゃないのに、結局告白するのは僕のはずなのに、なに自分勝手に御託を並べているんだ。てめえらの意見なんかどうでもいい。  もういっそ……いっそ……。 「ああ、もうどうでもいいっ!」  とうとう限界に達して、僕は両拳で机をドンと叩いた。自分でも驚くほど、荒ぶった叫び声。当然ながら、僕以外の全員の目線が集まってきたことは言うまでもなかった。  全員目が真ん丸で、信じられないと言うような表情をしていた。が、だからといってこの感情の昂ぶりが収まることはなかった。 「作戦なんかどうでもいい。熱意とかどうでもいい。エスコートも相手の顔色も素直さも、心底どうでもいい。お前らの意見なんか、本当にどうでもいい!」  息を吸い込む勢いで、思い切り顔を上げた。  天井の照明が視界を覆い尽くし、思わず気分に呑まれそうになる。 「僕は僕のやりたいようにやらせてもらう! 細かいことなんか気にしない! 最悪振られてもいい! お前らのつまらねえ御託を聞き入れるより断然楽だろう! 話は以上だ! もうこれ以上、僕のガワを被って好き勝手言わないでくれ!」  胸の内に溜まった想いを全てぶちまけた、その時だった。  目の前の景色が丸机を中心として、黒い渦を巻き始めた。  ぐにゃりと曲がる会議の場。裁判長も、眼鏡男も、熱血男も、茶髪男も、根暗男も、少年も、呆けた顔をして深淵の闇へと吸い込まれていく。僕の身体も少しずつ渦の中へ近づいていた。上空で爛々と光が点滅し、目が眩む。  助けて、呑み込まれる──。  そんな悲鳴も声にならないまま、僕の意識は段々と暗闇へと落ちていった。  けたたましいスマホのアラーム。  耳が劈く程の騒音に、僕ははっと目を開けた。  上体を勢いよく起こし、胸に手を当てた。どくんどくん、と心臓が波打っている。額にはねばついた汗が滲んでいて、すぐに拭い取った。  夢、だったのか。  はあ、と思わず息が漏れる。  随分とおかしな夢だった。僕と同じ顔をした男達が、ああでもないこうでもないと屁理屈を並べてくる。悪夢と呼ぶには少しコミカルすぎたけどかなり気分が悪かったし、何よりも腹立たしい夢だった。  先程までの光景を一通り思い返して、ふうっ、と嘆息した。みるみるうちに就寝前の重圧感が蘇ってくる。結局、何の解決策も見出せないまま、翌日が来てしまった。  だけど、何故か気分が安定していた。  むしろ胸の中に何の蟠りもなく、自分でも驚くぐらい清々しかった。  その理由を確かめるべく、もう一度胸に手を当てる。起きたばかりの時とは違う、安らかな心臓の鼓動。思わず長く深い溜息が漏れた。  ……そうだ。  細かいことを気にする必要はない。  二回目のデートに取り付けたってことは、少なくとも仲の良い友人としては認識されているんだ。たとえ成功しても失敗しても、きっと彼女は受け入れてくれる。それからの対応は……僕次第だ。だから今は、何も怖がる必要はない。  そう覚悟を決めて、僕はベッドから抜け出した。朝の冷たい空気のせいか、はたまた武者震いか、居間へと向かう身体が微かに震えた。  今日、僕は一年間片思いしてたあの子に、告白する。
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