序章 意外な友達

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序章 意外な友達

イルは魔法学校の中等部一年生。彼女は憂鬱だった。一人、授業に向かう足取りは重い。戸が開いたままの特別教室に足を踏み入れる。薬品の匂いが鼻の奥につく。教室の大きな窓から午後の光が差し込み、空中の埃を白く照らす。先にいた数人の会話は途切れ、イルに視線が注がれる。しかし、誰もイルに話しかけようとはせず、遠巻きにして見ている。その視線もすぐに解かれ、みんなはそれぞれお喋りに戻った。イルは唇を固く結び、下を向いたまま、席についた。この授業が終われば、寮に帰れる。イルはそう自分に言い聞かせた。机の向かいには、月光のようなブロンドの髪をお団子状に巻いた少女が座っている。友達らしき女の子と明るい声で話していたが、イルに気を取られたようだ。 「ちょっと、サン聞いてる?」 友達の女の子がツンツンした声を出した。 「あ、うん。」 お団子の女の子はイルから視線を外した。イルは表情を変えず、教科書の上にある小型の画集を手に取る。適当にページを開くと、色彩豊かな峡谷の絵が目に入った。妙に噛み合わない会話を聞きながら、彼女たちもそういう類か、とイルはページを繰る。数分後、先生の号令がかかった。生徒たちのざわめきは消え、一斉に自分の席に着いた。 「今日は浮遊魔法を皆様にかけてもらいます。」 力魔法学の先生が太い声で課題を伝える。先生をイルは無表情で見つめた。 「机にある真鍮の球を空中に浮かべなさい。」 その瞬間、机の中央に銀色の煙が巻き起こった。その煙は空気中に薄く広がっていき、中から直径50センチほどの球が顔を覗かせた。見るからに重そうだ。黄銅色の静かな光を放っている。生徒たちは困惑の色を浮かべた。 「いいですか、この球を独りで浮遊させることは今のあなたたちには難しいことです。大人の魔法使いでも苦戦するでしょう。だから、二人一組になって協力し合ってもらいます。同時に魔法をかければ、あなたたちの魔力でも十分です。」 実習は向かいのお団子の女の子とペアだった。イルがチラリと彼女の方を見ると、目が合った。しかし、彼女は硬い表情のまま、目を逸らした。イルは心の中で、ため息をつく。一通り説明し終わった先生はイルたちの机にずんずんと向かってきた。 「イルは魔法が使えないから、サンは別の子と組みなさい。向こうの二人と順番を交代して行えばいい。」 先生の声は嫌に通る。ああ、やはりか。イルの心はずきずきと痛んだ。けれど、仕方がない。 私は魔法学校にいるのに、魔法が使えないのだから。 イルは心の中で言い聞かせた。 「あの、先生。」 お団子の女の子が口を開いた。先生は彼女の方を見遣り、怪訝そうに尋ねた。 「どうした。」 「私、イルと組みたいです。」 思いがけない言葉に、イルは顔を上げ、彼女を見つめた。お団子の女の子は先生を正面から見上げていた。 「しかし、今回はペアで行う実習だ。そのうちの一人が魔法を使えなかったら、実習にならない。」 先生はイルを横目で見遣り、お団子の少女に視線を戻して、困ったような口調で言った。 「先生の言う通り・・。」 イルは思わず言いかけたが、それを遮るようにお団子の女の子が口を開いた。 「実習にならないかどうかはまだ分かりません。私のペアはイルです。変える必要はありません。」 お団子の少女は意志の強い目をして、きっぱりと言った。先生は彼女を見つめて少し思案した後、何度か小さく頷き、それを了承した。そして大きな肩を揺らして、去っていった。机に二人が残され、数秒無言になった。その間、イルはソワソワと視線を泳がせていた。痺れを切らしたイルは、つんのめるようにして言った。 「ありがとう。」 お団子の女の子は、イルの方をちらっと見、視線を落としてから言った。 「別に。わざわざ変える必要ないと思っただけ。」 また、二人の間に沈黙が流れる。イルは思いを巡らせた後、彼女に尋ねた。 「お名前、聞いてもいい?」 お団子の女の子は顔を上げ、ハッとしたように小さく目を見開いた後、こう言った。 「私はサン。」 何に驚いているのだろうかと、イルは首を傾げた。それに気づいたサンは、一拍置いて付け加えた。 「イルが笑ってるの、初めて見た。」 「えっ。」 「今はびっくりした顔をしているけど、さっきは少し微笑んでいたから。」 サンに言われて、初めて自分の口が少し緩んでいたことに気がついた。 「私だって笑う時は笑うよ。」 眉を上げて、イルは言った。それを見て、サンは嬉しそうにクスクスと笑う。 「イルさ、同じ寮に住んでるよね。」 サンの声にイルは頷く。 「うん。」 「いっつもさ、寮の自習室で勉強してるの見かけるよ。」 学校では筆記試験もある。知識だけでもきちんとつけたいと、イルは勉強を欠かさなかった。しかし、それを誰かが見てくれているとは思わなかった。 「凄いなと思ってさ。私は筆記とか全然できないから。」 サンは率直に誉めてくれた。イルは眉を下げて、小さくお礼を言った。 「エア・フロータント」 サンが何回も魔法をかけても、真鍮の球はピクリともしない。動くはずがないのだ。イルは申し訳なさそうに、サンを見、球を見た。他の生徒たちは順調に球を浮かばせて、遊び始めている。構わずにサンは辛抱強く何回も唱え続けた。それがイルには辛かった。何かが出来る訳でもないが、イルは教科書のページを繰り、代わりになる魔法を探した。 「何か使えそうな魔法ある?」 サンも呪文をかける手を止めて、一緒に教科書を覗き込んだ。イルはある頁で手を止めた。 「これは?」 イルの指差した記述をサンは読み上げた。 「共有魔法。魔力の共有ができる。まず、二人の魔法使いが手を繋いで、共有魔法を唱える。次に、他の魔法を唱えると、その二人の魔力が乗算されて発動する。」 「私は魔力がないわけじゃないから、やってみる価値はあるかも。」 イルは自信なさげに提案した。 「やって見ようか。」 サンはうんうんと頷き、イルの手をすっと握った。サンの手は、細くて綺麗だなと同性ながら思った。 「クロイス・パータジーレ」 サンが共有魔法呪文を呟く。 「そうしたら、そのまま浮遊魔法を唱える。」 イルは促した。サンは頷き、球に視線と手を向けた。 「エア・フロータント」 その瞬間、真鍮の球は物凄い勢いでくうを切り裂き、上昇した。そして、大きな破壊音と共に、球は天井にめり込んでいた。天井に放射状のひびが入り、欠片が硬い音を立てて机に落ちた。あまりに突然だったので、サンもイルもただ呆然として天井を見つめた。他の生徒もざわめきながら、 イルたちを見た。そして、天井を見て口をつぐんだ。球と良い勝負ができるほどの猛スピードで先生がこちらに突進してきた。 「一体、何の音ですか。」 怒号に驚いたイルは、握っていた手を思わず緩めた。すると、球が急降下した。鈍い音が響き、今度は机に球がめり込んだ。二人の机に到着した先生は、音の原因がイルとサンということに気づいた。先生は表情を少し和らげたが、口調は厳しかった。 「何の魔法を使ったのですか。私の指示以外の魔法を使ってはなりません。もし誰かが怪我をしたら、どうするつもりです。」 「私が・・」 イルの言葉を制するように、サンは頭を下げた。 「ごめんなさい。」 イルも釣られて頭を下げる。先生はくどくどと注意をした後、また肩を揺らして去っていった。イルはサンの顔を盗み見た。怒られたのは私のせいだ。嫌な気持ちになってはいないだろうか。しかし、目に入ったのは、もう笑いを堪えられないというサンの顔だった。 「えっ、サン。」 イルが思わす口に出すと、サンはイルの方を向いて少し笑い声を漏らした。 「だってさ、まさかあんなに高く浮かぶなんて。思いもよらないよ。しかも、天井まで壊れるし。」 その姿を見て、イルも気付いた。学校の天井を壊すほど、高く浮遊させたのは私たちだけなのだ。誇らしくて、おかしくて仕方ない。二人は顔を見合わせて、笑いを堪えた。一方、先生は天井の修復をしなければ、と柔らかいため息をついた。 「そうだ。この後、一緒に寮へ帰らない?」 サンの提案にイルは笑顔で頷いた。 寮に戻った二人は、そのまま自習室で一緒に課題をすることにした。寮の自習室は二人しかいない。サンは魔法を掛けて、橙色の光を二人の間に浮かせた。二人の顔が克明に浮かび上がる。二人の周り以外は薄暗く、空っぽな自習室では声がよく響いた。 「ねえ、イル。イルはきちんと魔力を持ってるんじゃない。それが出力できないだけで、魔法を使える時が来るかも。」 イルはエメラルドグリーンの瞳をサンに向けた。 「実は、私、一つだけ魔法をかけられるんだ。」 これは誰にも言ったことがないイルの秘密だ。サンは少し目を見開いた後、ほっとしたような微笑みを浮かべて聞いた。 「何の魔法?」 「それが、何ていう魔法なのか私にも分からないんだ。」 イルが少し眉を寄せて答えると、サンもきょとんとした表情を浮かべた。 「口で説明するのが難しいから、今から実際にかけてみるね。」 そう言いつつ、イルはバッグから白紙と色鉛筆を取り出した。真っ白な紙は橙色の光を受けやすい。サンは不思議そうにイルの動向を見つめた。イルは鉛筆を握る。紙の上を迷いのない、鉛筆が走る。まずは黒鉛筆でうすく、崖や谷のように見えるラインをかたどっていく。心地の良い鉛筆の削れる音が、夜闇に響く。次に、ニュアンスのあるセルリアンブルー、パープル、透明な森の陰のようなビリジャンを少しずつ重ね合わせ、色みを変化させる。重なってそびえる谷の空気感が生まれた。そして、彩度と明度の高い、レモンイエローやエメラルド、マゼンダの光を乗せていく。峡谷に昼下りの光が差し込む。 「今日の授業前に見ていた、画集の絵?」 サンはイルが描く様子を静かに眺めながら、思い出したように言った。クロード・モネが描いた、プティット・クルーズの峡谷。それをサンに告げると、サンはへえと言って、目を丸くした。 「最後に魔法をかけるんだ。」 イルはそう言い、手をひし形状に組んだ。 「インポールプト・ファンタジア」 するとサンとイルの眼前に、雄大な峡谷がそびえ立った。豊かな色彩で彩られた谷は幾層も重なって佇んでいる。谷の凹凸によって拾われた陽光は鮮やかに煌めいていた。サンは感嘆のため息を漏らし、見上げながら歩んだ。地面もゴツゴツとしているため、転ばないように気をつける。 「凄いよ、イル。絵画の世界が現実に存在している。」 そう言ってサンが振り返ると、イルはぱっと笑顔になった。 この魔法は幻想魔法と呼ばれる。魔法全集第7巻には、それについて次のような記述がされている。 幻想魔法 人の感覚器官を操る魔法。主に視覚情報を書き換え、別の景色を見せさせる魔法が多い。視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を操る場合もある。この魔法は禁止魔法である。禁止理由は10年前の戦争で魔法使いスブリムによって、悲惨な被害をもたらしたためだ。それに継いては、人物・スブリム(第11巻590頁)に詳しく記述されている。 しかし、幻想魔法を使って良い特例が二つある。 1・短辺4cm以内、長辺5cm以内、厚さ6cm以内、重さ200g以内の小さな物体を媒介として、魔力の大きさを小さくする。 2・魔法時計等を用いて一分以内に幻想を解除する。
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