没落ですか? お嬢様。ではお暇をいただきます。

1/1
前へ
/1ページ
次へ
「コンラッド! コンラッド! わたし、大きくなったら、コンラッドのおよめさんになるわ!」 「おや、お嬢様。嬉しいことを言ってくださいますね。それでは、私に相応しいレディになっていただかなくてはなりませんね」 「もちろんだわ! だから、わたしがりっぱなレディになるまで、ずーっとそばにいてね!」 「もちろんですとも。生涯お傍におりますよ、お嬢様」  そう言って柔らかく笑った執事服の男性は、小さな女の子を腕の中へ抱き上げた。  ヘインズ家令嬢シェリル、六歳。ヘインズ家使用人コンラッド、十八歳の春の出来事である。  ヘインズ家はスパイス貿易で富を築いた、成り上がり貴族である。血統主義の貴族からは疎まれつつも、その商才により一代で莫大な財を得た。そんな裕福な家庭に生まれたシェリルは、幼い頃から何不自由なく令嬢として暮らしてきた。  十六歳に、なるまでは。 「…………お父様、今なんて?」 「本当にすまない……! 我が家は、破産する……!」  時が止まった。  父いわく。社運を賭けた貿易船が全て沈没してしまい、多大な損害が出た。更に従業員や取引先に賠償金を支払う必要もあり、財産は全て手放さなくてはならないそうだ。  会社は倒産、家の使用人も全て解雇。何もかもがあっと言う間だった。使用人の中には、ヘインズを慕って残ってくれようとした者たちもいたが、父が全て断った。この先の生活を約束できないから、と。  それでも、その気持ちが嬉しかった。金銭を度外視しても、尚尽くしてくれようとする者たちがいることが。  だというのに。 「破産ですか。なら、ヘインズ家も没落待ったなしですね。長いようで短い間でしたが、お世話になりました。お嬢様もお元気で」  実に爽やかに、何の後腐れもないような笑顔でコンラッドは挨拶をした。待て待て待て。 「あ、あなた、わたしとの約束を覚えてないの……!?」 「約束? 何かしましたっけ。お嬢様お気に入りのレモンパイを焼くことですか? 庭の薔薇を摘んでくることですか? どちらも手放すことになるので、無理だと思いますよ」 「うそ、わたしレモンパイすら食べられなくなるの……じゃなくて!」  シェリルは縋るように、コンラッドの服を掴んだ。 「コンラッドは、わたしと一緒にいられなくなってもいいの!?」  涙目で見上げるシェリルを無言で見下ろして、コンラッドはその細い指を丁寧に外した。 「いいも何も。お嬢様と私の関係は、雇用主の娘と使用人です。それ以外にありません。雇用関係がなくなった以上、私がお嬢様のお傍にいる理由はありません」  シェリルは絶句した。彼だけは、当然のように傍にいてくれると思っていた。もう家族のようなものだと思っていたのに。  コンラッドは他の使用人たちと同様、荷物をまとめて、屋敷を出ていった。  人がいなくなると、あっという間に屋敷内の物は撤去され、屋敷そのものも売りに出された。  ヘインズ一家は、郊外の小さな家で、慎ましく暮らすことになった。  そしてシェリルは、生活費を稼ぐため、街に働きに出ることになったのだった。 「それでは、お父様、お母様、行ってまいります」 「ああ、行ってらっしゃい」 「気をつけるのよ」  父はまだ、倒産した会社の後処理に追われている。母は家でできる限りの内職をしていた。  シェリルは父の伝手で、街の総合商店で売り子をしていた。  街までの長い道のりをせかせか歩き、洒落た建物に入る。従業員用の控室で制服に着替え、笑顔で店内へと入る。 「いらっしゃいませ!」  腐っても元令嬢。その振る舞いは美しいものである。人に見せることに慣れた笑顔も、完璧に作られている。シェリルの店での働きぶりは上々だった。  シェリルはヘインズ家の一人娘だ。いつか跡取りの婿を迎える予定ではあったが、それまでは、学習の一環で父の仕事を手伝っていた。それ故、世話されることに慣れた令嬢ではあるものの、実はたいていのことは自分でできる。働くことも、それほど苦ではなかった。  人の下で働く、ということに何も感じないわけではなかったが、シェリルには野望があった。 「シェリルちゃん。今ちょっとお客さん引いたから、こっちおいで」 「はい!」  店主に呼ばれて、シェリルは笑顔で裏へ向かった。  シェリルは、時間のある時に、店主に経営について教わっていた。父の会社を再興させるためである。  一度落ちぶれたから何だと言うのだ。元々、ヘインズ家は貴族の家系ではない。父が一人で盛り立てた。なら、娘のシェリルが再起させることも、可能であるはず。  本当は、その時に隣にいてほしい人がいた。そこまでの道のりを、共に歩んでほしかった。  けれどいないものは仕方ない。男に頼らなくても、生きていける。  転んでもただでは起きないシェリルは、仕事に燃えていた。  店の入り口にあるベルの音が響いて、シェリルと店主は顔を上げた。 「おっとお客さんだ、シェリルちゃんお願いね」 「任せてください」  意気揚々と店内に戻るシェリル。この店に来る客は、それなりに身分のある者が多い。気に入られて損はない。シェリルは人脈作りにも意欲的だった。 「いらっしゃいま――せ……?」  完璧な笑顔を張りつけて客を迎えたシェリルだったが、相手の顔を見て、思わずあんぐりと口を開けた。 「コンラッド!?」 「……お嬢様?」  コンラッドの方も呆けた顔をしている。どうやら、シェリルがここで働いていることは知らないようだった。 「こんなところで、何をなさっているんですか」 「見てわからない? 働いているのよ。何せうちにはお金がないものだから」  少し棘のある言い方になってしまった。仕方ない。相手はすんなりシェリルを見放した男だ。金の切れ目が縁の切れ目。別にコンラッドに責任はないのだが、このくらいの態度は許してほしい。  つん、としたシェリルに、コンラッドは思案するように口元に手を当てていた。 「なんなの? わたしが働いてたらおかしい?」 「いえ、てっきりこう……ご自宅でのんびり刺繍をするとか、のどかに農作物でも育てているかと思っていたので。まさかこんな人の多いところで働いているとは」 「なにそれ。刺繍だけじゃ食べていけないし、農作物を育てるのは意外とハードなのよ。一人じゃ無理よ」  刺繍をしているのは母だ。あの人はあまり体が丈夫でないから、体力勝負の場には出せない。  言い返したシェリルに、何が不満なのか、コンラッドは渋い顔をしていた。 「お嬢様は机上の勉強ばかりで、市場(しじょう)で働いた経験がないでしょう。お客様にご迷惑をおかけしているんじゃないですか」  シェリルはかちんときた。この言い方は、もしかして馬鹿にされているのだろうか。お前なんかに、ちゃんとこの仕事が務まるのかと。大きなお世話だ。 「ご心配なく! こう見えて、お客様からは評判いいんだから。この前もお得意様から、息子の嫁にどうかって誘われて」 「は?」  ドスの利いた声に、シェリルは思わず口を噤んだ。なんだ今の声は。コンラッドが発したのか。  彼は人をからかうようなところはあるものの、いつも穏やかで、怒っているところなどあまり見たことがない。シェリルの記憶の中で、彼が最も激昂したのは、シェリルが木登りをして落ちた時だ。あの時は殺されるかと思った。  しかし、今の話の中に、シェリルの身の危険に関わることは何もない。何が彼の逆鱗に触れたのだろうか。 「急いだ方が良さそうだな」  ぼそりとこぼされた言葉は、シェリルには聞き取れず、首をかしげた。 「ところでコンラッド、結局何しに来たのよ」 「ああ、そうでした。茶葉を買いに」 「茶葉ね。こっちよ」  シェリルは茶葉の棚の前にコンラッドを案内し、丁寧に商品説明をして、彼は無事買い物を終えた。 「それではお嬢様、また」 「ねぇ。そのお嬢様っていうの、やめてよ。ここではわたし従業員なのよ。お客様にそんな風に呼ばれるのはおかしいわ」 「それもそうですね」  店内で接客中は他の客が誰もいなかったので良かったが、また来るつもりなら、次は人目があるかもしれない。いつまでもお嬢様扱いでは困る。  シェリルの言葉にコンラッドは一つ頷いて、真っすぐに彼女を見つめて微笑んだ。 「では、シェリル。また来ます」 「――っ!」  シェリルは思わず顔を赤くした。なんだかんだで、子どもの頃から好いていた相手だ。名前を呼ばれただけで、嬉しくなってしまうとは。  しっかりしろ、と自分に活を入れ、掌を握りしめた。 「ありがとうございました!」  半ば投げやりに告げて、シェリルは頭を下げてコンラッドを見送った。  彼の姿が見えなくなると、ゆっくりと頭を上げる。 (――なんなのよ、もう)  今更。この恋心を思い出しても、もう遅い。でも、あの口ぶりだと、また会えるのだろうか。  嬉しいなんて、思ったらいけない。今自分がやるべきことは、家の再興なのだから。  頬を叩いて気を引き締めて、シェリルは仕事に戻った。  しかしそんなシェリルの決意をよそに、コンラッドは度々店に来るようになった。そして必ず接客にシェリルを指名する。すっかりお得意様となってしまったために、コンラッドとシェリルが話し込んでいても、誰も文句を言うことはなかった。むしろ何故か微笑ましい空気が流れる。何故。 「ねぇ、あなたこんな頻繁に高い買い物をしてて大丈夫なの? というか、今何してるの?」 「まぁ、色々してますよ。大丈夫、稼ぎはあるんです」 「稼ぎは、って……」  本当だろうか。ジト目で見るも、コンラッドは微笑むばかりだ。  疑ったところで、確認する方法はない。シェリルは溜息を吐いた。 「今日は何をお買い求めで?」 「ああ、何か女性に喜ばれるプレゼントを買おうと思いまして」  ぴくり、とシェリルの耳が動く。 「……どなたかに、贈り物?」 「ええ。彼女の好みは把握しているつもりなんですが、せっかくですし、シェリルに選んでもらおうかと」  にこにこと笑うコンラッドに、シェリルは眉間の皺を深くする。  別に、今更、関係ないけど。仮にも結婚の約束をした相手に、他の女性への贈り物を選ばせるなんて、何の嫌味だろう。そりゃ子どもの頃の口約束だけど。 「相手の好みは?」 「シェリルの感性で構いませんよ」  嫌がらせか。  普通贈り物は、例え従業員相手に相談するとしても、ある程度相手の情報を渡すものだ。好みであるとか、普段身につけるものであるとか、雰囲気であるとか。完全お任せは投げやりとも言える。  従業員としては、無難な消え物を薦めるのが妥当だろう。流行りの石鹸、茶葉、菓子類。しかしここはあえて。 「なら、これはどうかしら」  シェリルは、可愛らしいウサギのぬいぐるみを渡した。 「このぬいぐるみを自分だと思って、とか言って渡せばイチコロなんじゃない?」  にやりと意地悪く笑ってみせる。このぬいぐるみは、子ども用に置かれているものだ。コンラッドが少女に贈り物をするとは思えない。せいぜい相手に引かれるがいい。 「なるほど、それはいいですね」 「え」  意趣返しのつもりだったのに、コンラッドはにこにことそれを受け取って、そのまま会計を済ませた。  どうしよう、と思っていると、ぽんとそのぬいぐるみを頭の上に置かれた。 「……ん?」 「これ、シェリルに。私だと思って、毎晩抱いて寝てください」 「……はい?」  呆けるシェリルに、コンラッドは笑みを崩さない。状況を理解して、シェリルはぶわっと顔に血が集まるのを感じた。 (女性へのプレゼント……って、わたしにってことか!)  それはシェリルの感性で選んでいい、と言うはずだ。本人が選んだものなら間違いない。それにしたって。 「案外かわいいもの好きですよね、シェリル」  見透かされている。シェリルは反論もできずに唸った。  嫌がらせ込みで選んだプレゼントだが、シェリルの本当の好みではないのかと聞かれれば、そうではない。  シェリルはもふもふしたものが好きだ。動物だったり、ぬいぐるみだったり。それをコンラッドは知っている。だから、シェリルの選んだぬいぐるみに意見することはなかった。 「ありがとう。一緒には寝ないけど、大事にするわ」  ここは素直に受け取っておこう。シェリルはぬいぐるみを抱きしめた。  それを見て、コンラッドは嬉しそうに微笑んだ。  そんな日々が半年ほど続いたある日。自宅に帰ると、父が神妙な顔でシェリルを迎えた。 「シェリル。大事な話があるんだ。座りなさい」  シェリルは固唾を呑んだ。父母と同じテーブルに着き、家族会議である。  いったい何があったのだろう。借金でも膨らんだのだろうか。食べ物が尽きたのだろうか。いや、さすがにそこまで貧困ではなかったはず。 「とある貿易会社から、重役に誘われている」 「えっ!? すごいじゃない!」  それはとんでもなくいい話だ。思わず席を立ちあがって喜ぶが、はたと気づく。何故突然、そんないい話が舞い込むのか。裏がある、と思うのが普通だ。 「私が就任するにあたって、先方から一つ条件を出されている」 「……なに?」 「そこの社長と、お前が、結婚することだ」  シェリルは目を見開いた。結婚。  脳裏に、コンラッドの笑顔が浮かんだ。 「もちろん、無理強いするつもりはない。ただ、向こうの社長はとても良い方だ。私も仕事に復帰できるし、お前ももう街で働かなくて良い。もし、不満がないのなら」 「ないわ」  きっぱりと告げた。不満など。自分は、今まで家のために頑張ってきたのだ。できれば自分の手で再興させたかったが、それでは何年かかるかわからない。  自分一人が我慢すれば、父も母も昔のような生活ができる。それならば。 「受けましょう、結婚」 「ありがとう、シェリル……!」  父は固くシェリルの手を握った。母はシェリルを抱きしめた。  これほど喜んでくれるのならば。何も、異存など。 (さようなら、コンラッド)  もう、会うこともないだろう。相手の社長がどんな男かはわからないが、それなりの立場の男性ならば、妻を働きに出すことを快くは思わないだろう。  せめて別れの挨拶くらいはできるといい。  その晩シェリルは、ウサギのぬいぐるみを抱いて寝た。 *~*~* 「でっか」  その日、シェリルは大きなレンガ造りの建物の前に立っていた。  ここが、父を雇うと言ってくれた会社である。どういうわけか、ここでシェリルは結婚の契約を交わすこととなった。  いきなり結婚式でも開かれるかと思ったが、そのあたりはきちんと段階を踏んでくれるらしい。無茶な要求をしてくる割に良識的な人で良かった、とシェリルは胸を撫で下ろした。  大きく深呼吸をして、入り口を潜る。受付で名前を告げると、すぐに賓客室へ通された。  そわそわしながら、革張りのソファに座って待つ。相手はどんな人だろうか。おじさんかもしれない。でもきっと、いい人だ。父がそう言ったのだから。父は、嘘をつく人じゃない。  コンコン、とノックの音がして、シェリルは跳ね上がるようにしてソファから立ち上がった。 「はい!」  声が裏返った。恥ずかしさから顔を赤くしていると、扉が開いて、社長が姿を見せた。  その姿を目にして、シェリルはこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。 「…………コンラッド?」 「ええ。私です、シェリル」  楽しげに微笑むコンラッドに、シェリルは思わず掴みかかった。 「どういうこと!?」 「はは、旦那様、本当に私のこと黙っててくれたんですね。驚かせ甲斐があったなぁ」  笑うコンラッドに、シェリルは父を思い出した。この台詞から察するに、父は相手がコンラッドだと知っていたのだ。どうりで、「とても良い方」だと。それはそうだ。彼の人となりはよく知っていることだろう。騙された。 「どういうことか、説明してちょうだい」  鬼の形相で詰め寄るシェリルに、悪びれる様子もなく、コンラッドは説明した。 「旦那様の会社は、もうどうにもならない状態でした。だから一度倒産させるしかなかった。けれど、あのまま私がシェリルに付いていったところで、大した力にはなれません。それなら、私は私で動いて、万全の状態でシェリルを迎え入れたかった。そのために会社を立ち上げて、軌道に乗せて、かつての旦那様の事業に近いところまで持っていきました」 「か、簡単に言うけど、ものすごいことよ!? しかも、たった半年ちょっとで」 「まぁ、本当はもう少し長期的に展開する予定でしたが……その間にシェリルを横からさらわれたんじゃ敵いませんので。急ぎました」 「急ぎました、って」 「そこはほら、手段を選ばなければどうとでも。旦那様はちょっと正攻法すぎるところがありましたから」  にこ、と笑ったコンラッドに、何か裏を感じる。いったい何をしたのだろうか、この男。 「で、でもあなた、屋敷を出る時は、わたしのことなんかまるで興味ないみたいに」 「ああ……。それは、あまりしんみりすると、別れが惜しくなってしまうので。絶対に成功させるつもりではありましたが、いつシェリルを迎えに行けるかはわかりませんでしたから」  寂しげにそう言うと、コンラッドは感極まったようにシェリルを抱きしめた。 「やっと、迎えに来れた」  心から嬉しそうな言葉に、それが彼の本心であることを理解する。  コンラッドは、ずっと、シェリルを想ってくれていた。 「約束、覚えてたのね」 「忘れるはずがないでしょう。あれは、私の人生で、一番幸せな出来事でした」 「……今は?」  照れた顔のシェリルに、コンラッドは破顔して、キスを一つ落とした。 「今が、一番幸せです。シェリルがいれば、この先もずっと、私は幸福です。だから、結婚してくれませんか」 「喜んで!」  即答したシェリルは、満面の笑みで背伸びをして、キスのお返しをした。 「ところで、社長がコンラッドなら、わたしも一緒に働けるわよね?」 「……んん?」 「せっかく勉強したのだもの。わたしも社員としてバリバリ働きたいわ!」 「いや、私としては、他の男と頻繁に接触するのはあまり」 「お父様も重役なのでしょう? お父様と、わたしと、コンラッドで。この会社を、もっと大きくしましょう! 今度は、ちょっとやそっとじゃ潰れないほどに!」 「……ソウデスネー」  野望に燃えるシェリルに、コンラッドは溜息を一つこぼして、それでも愛おしげな瞳で見つめていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加