1話 ダークサイドの少年

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 もし僕が蝶なら空を飛んでどこか遠くへ飛んでいきたかった。  翌朝は目覚めが悪かった。あの絵日記は僕にとって毒物みたいなものだ。それだけ衝撃が強かった。  昨日は結局、僕が恐れている仮説――呪いの連鎖に繋がる情報は何一つ見つけることができなかった。やっぱり僕と母さんの呪いは無関係なのか? それとも何か関係があるのか。 早くこの問題を解決しないと、いつか取り返しのつかないことになりそうで怖い。  ダイニングテーブルには僕と父さんが座っている。  朝食はトーストとサラダとホットミルク。父さんがそれを食べていたので僕も真似をした。サラダはコンビニのカット野菜にドレッシングをかけただけの簡単なやつだ。  父さんは静かに食事をしながら新聞を読んでいる。やり手営業マンは営業中の話題のために情報収集を欠かさない。普段は無口で営業マンなんて似合わないなと思う僕だけど、仕事の時の顔は別人だと、社内恋愛して結婚した母さんが昔言っていた。 「ねえ、父さん」  呼ぶと、父さんは新聞に向けていた目線を上にややずらし、僕を見た。 「……?」  無言。彼は必要最低限のことしかしゃべらないので、しゃべる必要がなければいつもこんな感じだ。微笑すらしない。  僕が薄汚い白のTシャツを着てこの家に現れた時、父さんは仕事で家にはいなかった。当時の僕の姿を父さんは実際に見たわけじゃない。もし瑠人の絵日記を父さんも見ているなら、瑠人そっくりな少年の存在を知ることはできるが、しかしあくまで子供の絵日記だ。僕が着ていたロングTシャツはすぐに母さんが処分したし、絵日記のホームレス少年のイラストと僕を父さんが照合することはできない。すべて瑠人の妄想だと捉えることもできる。  彼は今、僕のことをどう思っているのか。 「父さんは……」  言葉に詰まる。ここで変なことを言って完全に嫌われてしまったらと思うと、怖かった。 「いや、なんでもない」  結局何も聞くことができず、父さんも新聞に視線を戻した。気まずいなと思いつつ、僕はトーストにバターといちごジャムを塗る。葬儀で数日休んでいたが今日から僕も学校だ。憂鬱だけどいつまでも引き籠っているわけにはいかない。  バターが固くてトーストになかなか塗れず四苦八苦していると、 「瑠人」  久しぶりに父さんの声を聞いた。  驚いて父さんを見ると、彼は新聞を見つめながら呟く。 「今後大阪に転勤になった。お前はどうする? ここに残るか?」 「え……」  転勤することも驚愕だったが、それ以上に僕に選択肢をくれたことのほうが驚きだった。  家にいても殆ど話すことがないし、てっきり父さんは僕のことなんて嫌いだと思っていたから。僕なんてここに置き去りにしたほうが父さんにとっては都合がいい気がしたから。でも僕の選択次第では、大阪に連れて行ってくれるの?  「考えておきなさい」  父さんはそう言って新聞を綴じ、席を立った。お仕事に行く時間らしい。 「い、行ってらっしゃい……」  鞄を持った父さんと玄関のほうへと消えた。  父さんも本当は母さんと同じように、偽物の僕を愛してくれているんだろうか。  それとも、まだどっちつかずの僕を必死で愛そうとしてくれているのか。 もし後者なら、曽山瑠人の絵日記は僕と父さんの関係を壊しかねない爆弾だ。あんなものは処分してしまったほうがいい。  処分してしまえば、少なくとも瑠人そっくりな子がいたという記録は失われる。  いつまでも親子でいられるように、余計なものは消し去ったほうがいい。 そのほうが父さんも楽だろう。……そうだよね、父さん。  朝食を食べ終えた僕は例の寝室に移動し、ドレッサーから再び絵日記を取り出した。  白い紙袋に入れた、その時。  ピピピピと、スマホのアラームが鳴った。そろそろ家を出ないとまずい。遅刻する。  僕はひとまず絵日記の入った袋を自室のベッドの下に隠し、自宅を出た――。
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