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久しぶりの学校は退屈だった。
退屈すぎて一瞬メリーをやりたくなってしまったけど、授業中に通話アプリでわいわいしゃべるわけにもいかず、僕は授業を聞かずにずっと窓の外の鯨みたいな雲の様子を眺めていた。コバルトブルーの空をゆったりと穏やかに水泳するそいつがなんだかちょっと羨ましく感じた。
昼休みになると、僕はご飯を買いに売店に行った。
焼きそばパンと鮭おにぎりを一つずつ。飲み物はパックのコーヒー牛乳を購入した。合計で三五〇円。教室を目指して煉瓦色の硬い廊下を静かに歩いていると、ふと、ある女子生徒の姿が目に入った。――洛奈だ。
洛奈は廊下で女友達と楽しそうにおしゃべりしている。中学時代、洛奈と同じバレー部だった子だ。友達が「じゃあまたね。今度二人で映画見に行こ!」と言って洛奈から離れた時、洛奈はすぐそこにいた僕に気づいた。
「あれ、瑠人」
彼女は僕の手元にあるご飯を見て、やや驚いたような顔をした。
「今日はお弁当じゃないんだね」
「ああ……うん」
だがその理由を瞬時に察したのか、洛奈は慌てて口に手を当て、僕に謝罪した。
「はっ! ……ご、ごめん」
「別にいいよ。お弁当くらい自分で作れない僕が悪いんだ。今時料理のできない男子高校生なんてゴミクズでしかない。僕が売店のご飯に手を出すほど堕ちてしまったのは、今まで母さんに甘えて怠惰に生きてきた僕自身に対する報い、戒め、罰なんだ」
「そこまで言わなくても……」
当然ながら僕の家族に不幸があったことはクラスメイト全員に知れ渡っている。葬儀の時も洛奈から何度か心配のメッセージがスマホに送られてきた。洛奈の実家は僕の家の近くで昔から交流があったということもあり、彼女の父親が代表して葬儀に来てくれたが、昨日は洛奈もわざわざお線香をあげに来てくれた。
その際に一度だけ、家の廊下で僕は彼女と顔を合わせた。
僕を見た彼女は一言、同情の眼差しを向けつつ優しげな声で「学校で待ってるから」と言って帰っていった。僕が学校をサボらずに来れたのも実は彼女の存在が大きい。学校に行けば洛奈に会える。僕を待っててくれる。そう思うと僕の孤独感も少しだけ薄れた。
学校の廊下で、僕は洛奈を安心させるように薄く笑った。
「心配しなくても大丈夫だよ、洛奈」
「瑠人……」
虚勢を張っているだけかもしれないけど。幼馴染の女の子に余計な心配事を植え付けたくないし、そんなの僕がヘタレみたいでカッコ悪過ぎるから嫌だ。
「僕は、君がそばにいてくれるだけでいいんだ」
「えっ」
動揺し、硬直する洛奈。
「えっ?」
今僕は何を言ったんだろう。なんだか凄く恥ずかしいことを言った気がする。洛奈は熟した林檎みたいに顔が真っ赤だ。そんな彼女を見て僕も急激に恥ずかしくなってきた。
「曽山くーん!」
砂乃くんに会ったのはそれから間もなくのことだった。タイミングがいいのか悪いのか、おかげで僕と洛奈の意識は砂乃くんへと移った。
僕を見つけて廊下を猛スピードで走ってきた彼は、僕ら二人の間で急ブレーキをかけて停止した。黒髪、黒縁眼鏡の風紀委員っぽい男には似つかわしくない行動だ。
「大丈夫? 俺すげー心配したんだよ! 倉本さんに聞いたら曽山くんのお母さんが……」
砂乃くんも僕のことを案じていたようだ。
僕たち三人は同じ中学出身。中三の時から洛奈も彼とは仲良くしている。
「もしつらい時があったらいつでも俺に頼ってくれよ! 曽山くん」
「そういう気は遣わなくていいから」
いつも通りでいいよと言おうとしたら、横で見ていた洛奈が突然口を開き、
「そうだ!」
アイスのクジが当たったような朗らかな声を出した。どうした洛奈。
砂乃くんと僕は洛奈を注視する。すると彼女は爽やかな微風のように僕らに言った。
「今日、もしよかったら久しぶりに三人で遊ばない? 気晴らしに」
彼女の提案に僕と砂乃くんは一驚した。
「別に僕は落ち込んでなんて……」
いないわけじゃなかったけど、僕の心境はどうやら洛奈にバレていたようだ。幼馴染怖い。
砂乃くんはすぐに賛成の意を示す。
「いいね! 倉本さんナイス!」
「瑠人は? 今日何か予定ある? ないなら遊ぼ?」
勿論、僕の心のスケジュール帳は学校以外は空白だらけだ。断る理由はない。気晴らしにみんなで遊ぶのは楽しそうだし、今は一人孤独でいるより少しでも誰かと一緒にいたかった。
「……わかった」
三人で遊ぶのはいつぶりだろう。洛奈とはたまに喫茶店でゆったりとお茶したり勉強会をしたり家でホラーゲームをしたり、砂乃くんとはたまにゲーセンに行ったりカラオケに行ったり家でギャルゲーをやったりするが、三人一緒というのは殆どない。
けれど何度か僕の家で遊んだことはある。
そもそも僕たちが仲良くなったきっかけは――そうだ、中学三年の時。
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