1話 ダークサイドの少年

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1話 ダークサイドの少年

 例えばAGEHA(あげは)という主人公がいたとしよう。  そのAGEHAくんを操作するプレイヤーの最初の選択肢として、イージーモードやノーマルモード、ハードモードがあるのはごく普通の設定だ。  しかしそこに例えば『ダークサイド』という奇異な選択肢があったらどうだろうか。ソレが地雷だとわかっていても、プレイヤーは所詮、神様だし、苦労するのはAGEHAくんだ。AGEHAくんがどうなろうと、神様にとってはぶっちゃけどうでもいい。神様はテレビ画面の外で優雅にコーヒーでも飲みながらコントローラーを弄っていればいいんだ。  そして僕は、きっとそんな身勝手な神様によって『ダークサイド』を選択された一人なのかもしれない。 『ダークサイド』に生まれ落ちた僕はどんなに光の世界に憧れようと、日向に手を伸ばすこともできず、潜在的に日陰を好むクロアゲハのように、いつまでも暗い蝶(ちょう)道(どう)を彷徨うのだ――。  僕の夢の中では、まさしく僕は黒い蝶だった。  一人寂しく蝶道をひらひら飛んでいると、突然白い光に包まれ、僕は眩しさで目を覚ました。カーテンの隙間から光が零れていたようだ。  突然現実に引き戻された僕は、自分が今日から高校生であることを思い出した。晴れ晴れとした入学式。しかし僕の心は曇りを通り越して土砂降りの雨が降ったかのように、一気に不安の色に染められた。  ……今日からは失敗しないようにしないと。  失敗――例えば小学生の頃。僕はクラスメイトの裏原修也(うらはらしゅうや)くんと喧嘩をした。  元々クラスの嫌われ者だった彼は弱い者いじめの常習犯だった。常に誰かを玩具にして弄び、大人しい僕のことは給食のご飯粒を綺麗に平らげただけで貧乏くさいとかホームレス少年だと言って嘲り、僕はしばらく無視していたがいい加減我慢できなくなって彼と喧嘩し、僕は彼を骨折させてしまった。  その後彼は僕を恐れて登校拒否になり、知らぬ間に転校していった。  僕はたまに、加減するのを忘れてやりすぎてしまうことがある。中学の時もそう。入学式当日、遅刻しそうになって飛ばして走っていたらたまたま不良にぶつかって、不良仲間五人に囲まれて路地裏に連れていかれ、僕は彼らを返り討ちにしてしまった。その日彼らは全身を複雑骨折して病院送りになった。学校一の不良グループを打ちのめした僕の噂は入学式当日から学校中に広まり、曽山瑠人(そやまりゅうと)は危険生物、生物兵器、怪物、最終的に瑠人=怪人というイメージが定着した。  もう……昔みたいな失敗はしたくない。高校生活は普通に、平穏に暮らすんだ。  そう自分の心に言い聞かせ、暴走はしないと固く誓い、僕は真新しい制服に袖を通す。最後に空色のネクタイを締めていると、女性の声がどこからともなく響いた。 「瑠人ー! 早く朝ご飯食べちゃいなさーい。学校遅れるわよー」  明朗な朝の声に、僕は反射的に返答する。 「はーいっ、母さん」  それはいつもの母さんとのやり取り。今後も繰り返されるであろう、朝の平穏な光景。何の変哲もない日常。着替えた僕は鞄を持って下に降り、ダイニングルームへ。朝早い父さんは新聞を閉じ、「じゃあ行ってくるよ」と言って座っていた席を離れ立ち去った。  入れ替わりに僕がテーブルにつくと、エプロン姿の母さんが朝食を持って来た。朝からこってりオムライス。ご飯三杯くらいあるんじゃないだろうか。 「成長期なんだから残さず食べなさいよ、瑠人」  優しげな瞳で母さんは僕に食事を促す。母さんは僕が中学で怪人認定されていたことを多分知らない。だから平気で息子の肉体作りに協力する。  そんな母さんに僕は反抗を試みる。 「母さん、僕本当はもやしになりたいんだ」 「何言ってるの、ガリガリのくせに。これ以上もやしになったら大変でしょ」 「……そう、かなぁ」  母さんの言う通り、僕は平均より痩せていた。脱いだら引き締まった肉体美ってわけでもない。僕の見た目と身体能力は比例していない。反比例しかしていない。 「もしかして瑠人、具合悪いの? 学校お休みする?」  母さんの表情が悲しそうに歪む。優しいを通り越して母さんは過保護だ。三食しっかり食べないと「具合悪いの? お腹でも痛いの? 病院行く?」と、超がつくほど心配性な母さんにいらぬ不安と与えてしまう。……仕方がない。  僕はスプーンを手に取り、ふわふわとろーりオムライスの端っこを崩す。一口分をスプーンに乗せて食べた。うん、絶品だ。  胃袋が爆発しそうで気持ち悪くて吐き気を覚えながら、僕は最寄り駅へ向かって歩いていた。  やはり昨日、スマホアプリの遊び過ぎで夕食を抜いたのがよくなかった。その結果がこれだ。母さんの倍返しを予測できなかった僕の責任だ。 本当に吐きそう。おえぇ。  しかも僕のこれからの通学手段は結構面倒くさい。まず最寄り駅に向かい、電車に乗り、そこから歩いて学校へ行かなければならない。入学が決まった時から覚悟していたとはいえ、実際に経験してみると慣れない電車では加齢臭漂う脂ぎったおじさんとおしくらまんじゅうすることになり、僕はもはや逃げ出したくなった。いや、逃げはしないけど、何十年もこれで通勤しているサラリーマンって凄いなと思った。  精神的疲労感もさることながら、早起きをしたせいかちょっと眠い。胃の中は気持ち悪い。電車を降りた僕は頭がぼんやりとしたまま学校を目指して歩き出す。しばらくして横断歩道を渡ったはいいが、前なんてよく見ていなかったし、もちろん横なんて見向きもしなかった。  その時――クラクションが鳴った。  次いで何かが勢いよく擦れるような音がして振り向いたら、そこには鉄の塊があった、というか乗用車が僕目がけて化け物みたいに襲ってきて。 ハッと思った次の瞬間、僕は車に激突した。  車が僕に当たったのではない。向かって来る車に対して、僕が瞬時に拳を出し、ボンネットを力の限り殴打したんだ。爆発したかのような轟音を響かせ、車は後方に逆戻りするように後退し停車した。車のボンネットは歪に潰れ、煙まで立ち込めている。  ちなみに僕の体は、手が若干傷ついているだけだった。危ない危ない、もう少しで文字通り轢き肉にされるところだった。 「だだ、大丈夫ですか?」  乗用車から、慌てた様子で若いスーツの男性が現れた。通勤中のサラリーマンだろう。 「ああ、はい。ちょっと手を怪我しただけなので」 「病院へいったほうが」 「大丈夫ですよ。それよりもお兄さん、車のほうが凄いと思うよ?」  僕は車のボンネットを無傷の左手で摩ってやった。ごめんね、痛かったでしょ? 「く、車のことより君の体は平気なのか? いや、あの衝撃でなんともないわけがない!」 「ええ? 車はどうでもいいんですか? じゃあ僕、学校へ行きますね」 「へ?」と男性は言い、大口を開いて固まった。  僕は男性に一礼し、再び歩を進める。歩いていると周囲の人の視線を感じた。さっき事故現場を目撃した人たちだろう。通勤通学途中の彼らは僕を見ている。ひそひそと、彼らは僕について語り出す。  事故について、特に僕が車を殴ったことや、殆ど怪我をしてないことなどを話題に。確かに交通事故なんて珍しいかもしれないけど、そんな物珍しい目で見なくてもいいだろう。まるで僕が普通じゃないみたいじゃないか。  いや待て。もしかして普通の人間ならば大怪我していたんだろうか。人間は、襲ってくる車を殴ったりはしないんだろうか。だとしたらこれはまずい。ああ、どうしよう。また失敗してしまった。最悪だ。僕は頭を抱え、自分を責めた。  でも……今更この生活を捨てるなんて、僕には無理だよ。  無事に学校にたどり着いた僕だったが、今朝の不安が湯水のごとく湧き上がってきた。曽山瑠人=怪物認定はもうこりごりだ。入学式中は緊張のせいで冷や汗をかきまくりつつなんとか無事に終了したが、無事でなかったのはホームルームでの自己紹介の時だった。  己の秘密を心配するあまり、意味不明なことをのたまってしまった。  不自然に震えながら、 「は、初めまして。僕はええと、曽山瑠人と言いましてあの、ご覧の通り人間で、種も仕掛けもなく人間であり、ですからつまり、普通の人間です!!」 ややあって、堅苦しい空気を纏っていたクラスに僕はささやかな笑いを届けた。 「はははははははははははっ」「マジウケるんだけど」「その発想はなかったわ」「あいつ面白いなー」「第一声がそれって」「やばい腹痛いっ」  こうして僕の存在はクラスで最も早く認知され、名前もさっさと覚えられてしまった。  不覚。僕はなるべく目立ちたくなかったのに。いっそ今日一日をリセットしてほしいと思ったけど、意地悪な僕の神様はここでセーブをしやがったらしい。  けれど、幸い僕の不安が具現化することはなく平和な毎日が過ぎていった。曽山瑠人=怪人の経緯を知ってる中学の同級生はそもそも僕に近寄らないし、話題にしない。根はいい奴って知ってる奴もわざわざそんなことを話題にはしない。  結果、他のクラスメイトは僕を普通の人間だと思い込んでくれて、怪人の通り名を知ってる連中もそれ以上の意味があるなんて知るはずもなくて。  身体能力がアホみたいに高い僕の体が実は人間ではないこととか、人間を模しているだけの『ドッペルゲンガー』だとか、死んだはずの曽山瑠人が僕と入れ替わっていることを、誰も気づかなかったし不審にも思わなかった。  みんな彼を知らないようだ。実際、僕も彼をよく知らないのだけど。  たった一度しか会っていない相手のことを深く知っているはずがない。
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