2話 ホームレス少女

2/12
前へ
/87ページ
次へ
 三か月前――俺が高校に入学して間もない頃。その日は朝から雨が降っていて、校庭の土はぬかるみ、あちこちで水溜まりができていた。  放課後、帰宅部の俺はさっさと校門を出るとビニール傘を差し、濡れたアスファルトの歩道を歩き出した。  中学の時は金髪にしていてチャラ男ってかんじの見た目だった俺だが、高校は進学校ということもあり、最初から浮いたかんじになりたくなかったので黒染めし、金のかかるコンタクトもやめて眼鏡に変えた。元々悪い目つきもこれで少し誤魔化せた。  おかげで学校では見た目で敬遠されることもないし、先生に黒染めしろと怒られることもない。クラスの連中とも打ち解け、最近仲良くなった友達とは毎日冗談を言って笑い合ってる。  夢に思い描いていたように、高校生活はいいスタートダッシュを切ったと思う。だが――。 「はぁ、だりー」  いつもは能天気な俺だけど、今日は天気のせいもあって憂鬱な気分だった。 俺はやるべきことがある。  今俺が向かっているのは養護施設ではない。『ブラッディローズ』というカフェ・バーだ。  去年の十二月にオープンしたばかりで、『ブルーローズ』というバーの姉妹店。俺は元々ブルーローズで中学の時から働かせてもらっている。  昔、金がなくて家に帰っても食べる物がなくて腹減って道端でぶっ倒れているところを、オーナーの黒崎智也(くろさきともや)さんに拾われたのがきっかけだ。  智也さんは元ホストで二十三才の時にブルーローズを開業。それから数年間は自身もバーテンダーとして働き忙しい身だったが、二十五才の時に姉妹店のテナントを探していた際に俺を発見し、助けてくれた。彼いわく、俺を見ていたら若い頃の自分を思い出して放って置けなかったらしい。優しい人だ。  その後俺は智也さんの指示を受け、年齢を誤魔化してバーの裏方として調理の仕事をするようになり、おかげで金がなくて飢えるようなことはなくなった。親父の暴力は続いていたけど、ブルーローズは俺の第二の家で、俺の癒しだった。  第二号店のブラッディローズはカフェ・バーということで、バーカウンターとテーブル席が設置してあり、昼から利用できる。お店が開業する前、俺も何度か内装の手伝いに行った。  店内はアンティークな家具が置かれた落ち着いた空間で、ちょっと派手なクラブ風のブルーローズとはだいぶ雰囲気が違う。  俺が店を訪れると、燕尾服の恰好をした執事風の好青年が話しかけてきた。 「お帰りなさい、蓮くん」  彼は智也さんのホスト時代の後輩、葉柴優樹(はしばゆうき)さんだ。アイドル並のイケメンで何を着ても似合う。前はブルーローズでバーテンダーをしていたが、今はここの店長としてバリバリ働いている。そんな彼もちょっとだけ困っていることがあり、不安そうに顔を歪ませた。 「すまないけど、アレ……よろしくね。部屋の冷蔵庫に入ってるから」 「わかりました。優樹さんもお仕事頑張って下さいね。あとたまには飯奢ってほしいなぁ」 「うん……今度ね」  俺は媚びを売るように優樹さんににこっと微笑み、いったん店を出た。 店は雑居ビルの一階部分で、その上はマンションになっている。エレベーターが付いていない古いビルで、代わりに外階段が四階まで続いている。四〇五号室は智也さんの仕事部屋になっていて、店にいない時は大体そこで事務作業をしていた。  しかし今、智也さんはいない。ブラッディローズを優樹さんや他の仕事仲間に経営を託し、新たな事業を展開するため彼は今日、海外に飛んでしまったのだ。しばらくは帰れないそうで、彼は従業員たちにあるものを残していった。  元ホストが愛して愛してやまないもの。彼の想いはSNSのメッセージでブルー・ブラッディグループのみんなに送られてきた。 『僕の愛するサクラちゃんの面倒を見てほしい。僕の部屋は好きに使っていいからね。寝泊りしてもいいし、ネットも使えるから僕のパソコンでアニメとか勝手に見てもいいから。サクラちゃんをよろしくね。みんな!』  急な展開に従業員たちはみんな困り果てていた。「仕事で困った時はいつでも連絡してね」とメッセージは続いていたが、俺たちが困っていたのは仕事のことではなくサクラちゃんの件だ。  憂鬱な思いで俺は外階段を登って四〇五号へ。  部屋を開ける。白と黒を基調としたシンプルでクールな男の部屋。だがその部屋の一室には巨大なアクリルケース。その中でとぐろを巻いているのは三メートル級の桃色の大蛇、サクラちゃんだ。 「……ははは」  このサクラちゃんの世話を誰がするか、という問題が浮上し、ブラッディローズの従業員は全員無理となり、ブルーローズの従業員に連絡が行き、誰も手を上げないので最終的に優樹さんに「サクラちゃん手当出すからお願い」って懇願され、やむなく俺が引き受けることになった。ところでサクラちゃん手当ってなんだと思って聞いたら、どうやら一日のサクラちゃんのお世話代で、餌をあげて水を交換するだけで二千円が出るそうだ。 「ま、時給二千円だと思えば悪い仕事じゃないよな」  毎日は大変だけど俺は智也さんに恩があるし、彼が帰国するまでの限定的なバイトだ。責任持ってやろう。代わりにブルーローズのバイトは少し減らせばいい。 そして俺はさっそくサクラちゃんに餌をあげるため、冷蔵庫を開けた。だがそれらしき餌が見当たらない。そして冷凍庫のほうを開けてみたら、見つけた。 「うわぁ……マジかよ」  俺は冷凍マウスを取り出し、冷蔵庫に貼ってあったメモの通りに鍋で湯煎し、お皿に移してサクラちゃんがいるケースへと持っていく。 「サクラちゃん~、餌だよー」  お皿をケースの中にそっと置く。  するとサクラちゃんは餌にのそのそ近づいてきて、赤い目を光らせながら白いマウスを口いっぱいに頬張った。マウスは徐々にサクラちゃんの体内へと押し込まれていく――。  俺はもう見ていられなかった。つらい、怖い。  初めて蛇の食事を目の当たりにして心にかなりの衝撃を受けた俺は頭をかかえた。これからも俺は毎日のように冷凍マウスを鍋で湯煎し、サクラちゃんに与え続けるのか……。  もうはっきり言おう。俺は蛇が苦手なのだ。智也さんのペットじゃなかったら、誰がなんと言おうと一生こんな仕事をすることはなかっただろう。ああ、しんどい。  けれど俺はこの日、自分の苦手な蛇に餌を与える行為をはるかに超える事態に遭遇することになる――。  餌やりを終え、養護施設へ帰宅途中の俺が住宅地の細い交差点を左折した時だった。  街灯がチカチカと点滅している明かりの下に、彼女はいた。  冷たい雨が降り続ける中、彼女は全身ずぶ濡れになったままその場に座っていた。  裸足で、薄汚れた白いワンピース姿で。  セミロングの髪は雨で顔に張り付いていてはっきりとした顔はわからなかったが、その横顔はとても悲しげだった。  夜中に現れた白い服の女ということで一瞬お化けかと思ったけど、その考えはすぐに否定された。彼女が俺に気づいてこちらを振り返った時、俺は驚きと共に僅かな安堵感を覚えたのだ。  なぜなら彼女の姿は――。 「倉本さん?」  倉本洛奈にそっくりだったから。いや、彼女本人だと思った。  でも彼女だとしたらなぜこんなところでずぶ濡れになっているのか。なぜ薄汚れた服を着ているのか。何もわからず俺は混乱していた。次の言葉が浮かばず立ち尽くしていると、彼女はぼんやりとした瞳で俺を見つめながら口を開いた。 「あなたは……だあれ?」  彼女のその言葉を聞いて、俺はさらに驚く。声も倉本さんそっくりだ。それなのに俺を知らないってことは、彼女はいったい……? 「な、何を言っているんだ。俺だよ、砂乃蓮だよ」  念のために俺は名を名乗った。 「さの、れん?」  しかし彼女は首を横に振り、「知らない」と答えた。 「じゃあ君の名前は?」  すると彼女は悩むことなく、か細い声で瞬時に答えた。 「私は、シロです」 「シロ……?」  名字なのかと聞いたけど、一応下の名前らしい。  そして「名字はわかりません」と彼女は言った。仮にシロという、女の子にしてはかなり変わった名前が本名だと言うなら彼女は何者なのか。顔は倉本さんにそっくりだけど俺のことは知らないと言うし。倉本さんが一卵性双生児だっていうなら眼前の少女が瓜二つなのも納得できるが、倉本さんは一人っ子のはず。  謎のベールに包まれた彼女の正体がわからず、俺の脳内はさっきから疑問と混乱の嵐だったが、とにかくこのままずぶ濡れの彼女を放置しておくわけにもいかない。 「ひとまず雨宿りしよう。このままじゃ風邪引くよ」  俺はシロと名乗る彼女に手を差し伸べた。  彼女はやや不安げな様子だったが俺の手を取り、俺の傘の中に入った。すっかり冷え切った彼女の手は冷たくて、体はぶるぶる震えていた。
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!

44人が本棚に入れています
本棚に追加