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制服が夏服に変わり、六月も後半に差し掛かろうとしていた。
気温は二十七度。少し前まで肌寒いなと感じていた夏服も今は涼しくてちょうどいい。アゲハ蝶も気持ちよさそうにひらひらと夏の空を飛んでいる。
高校の授業はいたって普通。特筆するようなことはないが、あえて言うならば歴史担当のお爺さん教師の文字が汚すぎて石板の文字にしか見えないことと、生物担当の中年教師の声が掠れまくっていて、宇宙語にしか聞こえないことくらいだ。僕が彼らから教わったことは、暗号の解き方と読唇術である。
この学校は探偵養成所も兼ねているのか? 公立なのに凄いなぁ。
お昼休みは母さんの極上手作り弁当を食べ、午後の授業も終わり放課後になると、半開きになっていた教室のドアを勢いよく開け放って一人の男子生徒が乱入してきた。
「曽山くーん! 今日俺バイト休みだからこれから一緒に――」
「断る」
言葉を遮るように、というか僕は遮って断った。
「まだ何も言ってねーじゃん! ……酷い。ゲーセンでバニーガールのハニーちゃんフィギュアを取ってあげた時、俺のこと親友だって言ってくれたのに。あれは嘘だったか。ショック」
落ち込んでもいいけど美少女フィギュアのことは公言しないでくれ、砂乃蓮(さのれん)くん。プレゼントはちょっと嬉しかったけど、君の趣味が僕の趣味みたいに聞こえるような言い方はやめてくれないか。僕はごく普通の男子高校生でいたいんだ。
「まあ、話だけは聞くよ」
「ホント? ありがとう」
眼前の男子、砂乃くんは微笑む。彼は所謂オタクだ。見た目も黒髪・黒縁眼鏡の真面目そうなルックス。でもリュックが似合う非モテなオタクというより、目つきが元々鋭いのでクールな風紀委員に見える。眼鏡のブリッジを指先でクイっと上げる仕草をすれば完璧だ。
「曽山くん、駅前に出来たばかりのシュークリーム屋あるだろ? 『甘い宝箱』って看板の」
そして砂乃くんは甘党だった。
「カスタードクリームが超濃厚で美味いんだってさ。店内で食えるみたいだし、行ってみない?」
なぜ男二人で、何が悲しくて甘~いシュークリーム屋に行かなければならないのか。僕は心の底から嫌だったので、嫌悪感を顔に張り付けて砂乃くんに言う。
「僕なんか誘わないで、愛する彼女と行けばいいと思うよ」
「はあ? 何言ってんだよ。俺に彼女なんていないってー」
「嘘をつくな。この前僕の家でポテチ食いながらスマホで可愛い女性用の髪留めを検索してデレデレしていたのが何よりの証拠だ」
「ハッ」
砂乃くんは一瞬にしてモアイ像のように固まった。図星のようだ。
「それじゃ、僕は用事があるからまたね」
「ちょ、ちょっと待って! 俺の話を聞いてくれ!」
「あ、トイレ行きたい」
人の話を聞かない砂乃くんと雑談する時間が惜しかった僕は、とりあえず尿意を訴えてみた。
「じゃあ俺も!」と甘党野郎は言ったが、僕は一瞬、鷹のような目で砂乃くんを睨め付けた。すると砂乃くんの肩がビクッと震える。
「……ここで待ってる」
彼は僕に敵わないことを知っている。ここで仮に乱闘になったら百パーセントの確率で僕が勝利を収めることを身をもって彼は熟知している。
それは中学二年の時――砂乃くんは転校生として僕の通う学校に現れた。今は真面目に暮らしている砂乃くんだが、彼は元々ヤンキーだった。
喧嘩っ早い彼はよく上級生と揉めていた。「てめー上級生だからって俺のこと舐めてんの? 死にてーのか、ああん?」というかんじで。見た目も金髪ピアスのザ・ヤンキーで、彼は学校中の脅威となりつつあった。
そんなある日、僕は彼と廊下で肩がぶつかった。僕は素直に「すみません」と謝ったのに彼は僕を許さず、ガンつけてきて「すみませんじゃねえよ、慰謝料払えクソが」と言ってきた。
殴りかかってきたので僕は仕方なく彼を死なない程度にぶっ飛ばしたのだが、それがきっかけで砂乃くんは僕を慕うようになった。
「曽山くんってさ、学校で〝怪人〟って呼ばれてるらしいね。先輩から聞いたよ。あの時はマジで俺が愚かだった。反省してる」
「そう」
「俺、曽山くんにぶっ飛ばされて目が覚めた。俺は更生しようと思ってる。こんな風に自分の意識を変えることができたのも君のおかげだ。心から感謝してる」
「そういうのうざい」
「曽山くんは冷たいなぁ。でも本当は優しいってこと俺は知ってるよ。曽山くんと喧嘩して俺が動けなくなった時、最後に曽山くん、俺の血だらけの顔を見て悲しそうに「ごめん」って謝ってくれただろ? あの時、俺ちょっと感動してしまった。喧嘩ふっかけたの俺なのに」
「……」
当時は学年最下位の成績だった砂乃くんだけど、猛勉強をして同じ高校に入ったのは驚いた。
そんな努力家の砂乃くんは素直に待機を選び、近くの椅子に着席した。僕は大人しくお座りしている犬みたいな砂乃くんの横を通り過ぎ、教室を出た。
そして僕はトイレに行くこともなく、砂乃くんを放置して図書室へ向かった。
「……ごめんね、僕は嘘つきだから」
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