1話 ダークサイドの少年

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 僕が友達を裏切ってまで図書室に来たのには訳がある。  二か月前、何気なくスマホにインストールした通話アプリ『メリー』で知り合って友達になった〝ルシア〟という子から、僕はある宿題を出されていた。僕は宿題を終わらせようと、図書室の本棚から昆虫の図鑑を取り、テーブルに座って調べものをした。  ……昆虫を調べるとか小学生以来だな。母さんが僕のためにわざわざカブトムシを買ってきて、僕は最初苦手だったんだけど頑張って飼育方法を調べて育てた。キュウリとかゼリーをあげた。懐かしい思い出だ。あの時飼っていたムシオは今頃お星さまになっているんだろうか。  思い出したら悲しくなってきた。  僕はその悲しみを胸の奥にそっと仕舞い込んで、今頃泣いているであろう放置中の砂乃くんにスマホでメッセージを送った。 『泣かないで。僕はいつまでも君の心の中にいるよ』  本当は図書室にいるけど。  するとすぐに砂乃くんから『うるせぇ! 裏切者!』と返信が来た。ちょっと面白くて僕は思わず笑ってしまった。僕は悪い奴だな。 しばらくして、図書室を出て鞄を取りに教室に戻ると砂乃くんの姿はなかった。だいぶ前に帰宅したのだろう。僕も鞄を持って教室を出た、その時――。 「あれ、瑠人?」  突然声をかけられ、僕はビクッとして立ち止まった。砂乃くんの声ではない。  振り返るとそこには僕のよく知る少女がいた。彼女はスキップするように僕に一歩近づく。鞄についていた金魚のキーホルダーが反動で揺れた。これは僕らが中学の時、ゲーセンで遊んだ時に僕が取ってあげた景品だ。今も大事にしてくれているのは嬉しい。 「まだ学校にいたの? 洛奈」 「うん。バレー部の友達の試合見てた」  彼女は僕の幼馴染、倉本洛奈。  九年前――彼女は僕をゴミ捨て場で発見し曽山家へいざなってくれた。間接的に僕を救ってくれた恩人の少女。  滑らかなセミロングの髪。黒目がちな目は可憐で、それでいてどこか凛とした風貌。セーラー服が良く似合っている。性格は真面目で大人しくクラスの委員長もしている。幼馴染だけど、僕の人生というか悪魔生で一番最初の友達だ。  部活は僕に倣って入っていない。中学と同様バレー部に入るか悩んだあげく、身長がそこまで高くないのと一応特進クラスということで、今は勉強に専念すると決めたらしい。  ちなみに同じクラスの僕はというと、日々遊んで暮らしている。 「瑠人は何してたの?」 「図書室でちょっと生物の調べものを」 「へぇー。勉強嫌いの瑠人が学校で理科の勉強なんて感心感心。これから帰るの?」 「うん。洛奈は?」 「帰るよー」  ということで僕らは二人仲良く校門を出た。洛奈と帰るのは久々だ。少し緊張する。  元々洛奈は可愛いが、最近は大人びて一層綺麗になった気がする。あと彼女の髪から微かに漂うシャンプーの香りがいい。これは薔薇かな。  洛奈は現在一人暮らし。通学が大変という理由で学校近くの賃貸マンションを借りている。だから一緒に帰るといってもほんの数分の距離だが、学校だとあまり二人きりになれないので僕にとっては貴重な時間だ。  洛奈と並んで歩いていると、彼女は不意に空を仰ぎ見た。 「今日の夕食何にしようかなぁ……。悩みだすとなかなか決まらないんだよね。人間も機械みたいに充電して生きていられればいいのに」  献立に迷う普通の少女から機械人間になろうとしている洛奈に僕は横から意見する。 「それはもはや生き物ではないと思うよ」 「じゃあ、植物みたいに水と太陽光だけで生活するとか。あ、それができたら私は植物になっちゃうのかな?」  腕組みして真面目に考え込む洛奈。どうやら料理は苦手というか、面倒臭いらしい。 「人間って面倒だなぁ」 「毎日大変だね洛奈。家事とか全部一人でやってるんでしょ?」 「やらざるを得ない状況だからね、仕方ないよ。一人暮らしは自分で言いだしたことだし。私、昔からすっごいお寝坊さんでしょ? 実家通いして早起きなんて絶対無理だし、通学時間が削れればその分勉強だってできるからね」  相変わらず勉強だけは熱心な奴だなと思った。さすがはクラスの委員長、そして中学時代の生徒会長。僕はいつも体育館の大衆の中で、彼女が壇上で立派に話す姿を眺めていた。卒業式の別れの言葉には感涙した。学校の歴史に残るだろう最高の卒業式だったよ。 「それにね、親に縛られない生活っていうのは気楽かな」  ふふっと、洛奈は悪戯っぽく微笑する。  巣立った小鳥みたいな幼馴染の様子に僕は少し驚いた。僕は今も雛鳥のように、親の巣の中でピヨピヨと暮らしているというのに。 「この間、内緒で温泉旅行に行ったし。たまたま、マンションのご近所さんから旅行券貰ったの。ホントは瑠人も誘いたかったんだけど、一枚しかなかったんだな、これが。ごめんね」 「いや、僕のことは全然……お構いなく」  僕はちょっとだけはにかむ。いくら幼馴染とはいえ男女で温泉旅行はルール違反だろう。何もないのはわかっているけど、高校生としての節度はきちんと守らないと。洛奈は僕の紳士な気遣いを悟ったのか悟らなかったのか、人差し指でツンと頬を押してきた。 「……な、なんだよ?」 「ううん。偉い偉い」  委員長は一般生徒を褒めたたえる。なんか馬鹿にされているというか、また子ども扱いされているような。おかしいな、同じ高一のはずなのに。生きた年数でいえば彼女はだいぶ年上だけど、僕の精神年齢は十五才のつもりだ。どの辺がと聞かれたら困るけど。 「それよりも今晩の献立だよ。賞味期限が切れそうな冷蔵庫の残りをどう計画的に使うか。今度、お爺ちゃんに料理教えてもらおうかな?」 「洛奈のお爺ちゃんって料理上手いの?」 「上手いっていうか、洋食のプロだよ。うちのお父さんがお店継がなかったから、今は営業してないけどね」 「お父さん、大学教授だもんね」 「あ、待てよ。孫の私が継ぐって可能性もあるのか。どうしよう、私接客とかできないよ」 「生徒会長まで登りつめた洛奈なら、接客だろうと選挙だろうとセンター試験だろうと完璧にできるよ。自信持って、会長」 僕が中学で怪人認定された時も一切怖がらなかったし、洛奈はきっと大物になれる。 「会長はもうやめてよ。今は委員長なんだから。それに私、将来は小説家になりたいのに」 「小説家!?」 「うん」  何か問題でも? といった風に彼女は目を見開く。  いや、ハイスペック頭脳を持つ彼女ならば小説家でも脚本家でも映画監督でも何でもやってのけるだろう。そうか、君はいつか世界を涙させる感動作を生み出し、時の人となるんだね。そんな選ばれし地球人に、僕は地球のゴミ捨て場で拾われたんだね。 「瑠人、今日時間ある?」 「ないことはないよ」  僕は脳内スケジュール帳を開いてみた。放課後の予定は空白ばかりだ。 「じゃあさ、スーパー付き合って?」  洛奈は穏やかな口調で僕に司令を出した。 「いいけど、結局何を作ることに決めたの?」 「オムライス」  とてもいいメニューだと思います。でも僕が付き合う必要あるか? ……まあいいか。  ただスーパーに行くってだけなのに、洛奈は屈託のないスマイルを作り、僕もつられて微笑した。きっと数日後には忘れてしまうであろう、平凡な日常のひと時。それでも僕はそれなりにこの生活が気に入っている。  ドッペルゲンガーに生まれ、浮浪者だった僕には勿体ないくらいの平穏を。 オリジナルの瑠人はもういない。海で行方不明。おそらく――溺死。 もちろん、殺してしまった後悔は今も消えることがない。人の命は重い。死因が自分にあれば尚更だ。  でも過去がどうあれ、生まれた以上、僕は生きなければならないから。 だから、僕はこの現実世界で『ソルト』という自分を隠し『曽山瑠人』として生き続ける。  そのことが、息苦しいと感じることがあっても。誰かを騙すことに、罪悪感を覚えても。  当初は洛奈も僕のことを不審に思ったに違いない。記憶喪失の振りをしていた僕だけど、性格や言動に多少の差異はあっただろう。   さらに、記憶を失っているはずの僕が静岡の白浜海岸から東京へ戻ってきたという矛盾。  海岸で誰かに保護されたわけでもない。そもそも僕は海になんて行ってないのだから。  最終的には洛奈によってゴミ捨て場から曽山家へ連れてこられたわけだが、僕=瑠人として見た時、海から地元までの移動に関しては不明のまま。本当は移動なんてしていない。  瑠人は海で溺死し、不運にも死体が見つからなかっただけだ。  彼はもうこの世には存在しない。  しかし僕という存在が――曽山瑠人の死を否定する。
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