1話 ダークサイドの少年

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 母さんは灰になった。葬儀が終わって親戚たちもぞろぞろと帰っていく。  僕は縁側に座って茫然としていた。営業マンで忙しい父さんは葬儀が終わるとすぐ仕事へ出かけてしまった。正直、父さんとの仲はあまり良くない。僕がこの家に来たばかりの頃は息子が戻ってきたと思って喜んでいたのだが。  僕は完璧に瑠人を模していたわけじゃない。記憶の違いはどうしてもあるわけで。記憶喪失の振りはしたけど、どうしてもしゃべり方だったり癖だったり、微妙な違いはでてきてしまう。  母さんはそれでも僕を受け入れてくれた。けれど父さんは薄気味悪さを感じたのか、いつしか僕を遠ざけるようになった。そしたら今度は母さんが死んだ。  自分の妻と息子が呪い殺され、僕は瑠人の偽者だなんて。あまりにも……酷な話だ。  僕は、もうここにいてはいけないのだろうか。  そんな僕のすぐそばで、残っている親戚の若い女性たちが変な噂話をしていた。 「ねえ知ってる? 亡くなった奥さん、少し前におかしなことを言ってたらしいわ」 「えー、何々?」 「自分とそっくりの人を見たって」 「えー怖ーい。何それ、死神?」  家には誰もいなくなって、シンと静かになった。  僕は二階に上がり、自室のベッドに横になってクッションを抱えて丸くなった。  これから、僕はどうなるんだろう?  帰り際の親戚の言葉が呪術のように脳内に再生される。母さんを殺害した犯人の赤い目が脳裏から離れない。父さんは僕を信用していない。もしかしたら捨てられてしまうかもしれない。その先に待っているのは孤独と貧困のホームレス生活かもしれない。  また元の浮浪者生活に戻るかもしれない。  漠然とした不安の中、僕は少しでも気を紛らわそうとベッドの中でスマホを弄る。  そして通話アプリ『メリー』を立ち上げた。  メリーは不特定多数の人と出会い、通話できるコミュニティアプリだ。このアプリを入れて二か月やってみて、最近よく話す友達が何人かできた。  アプリを弄っていると、友達の〝ルシア〟がログインしているのがわかった。  彼女は『ルーム』を開いている。ルームとはグループ通話用のデジタル上の部屋だ。ルームを作った人を『部屋主』と言う。部屋主以外のユーザーは、数あるルームの中から好きなルームを選び、入室することができる。ルームの扉のイラストをタップし、《入室する》を選択すると画面が黒く変化。  そして僕は電子(ウラ)の世界へと飛び込んだ――。これは僕の、ただの現実逃避だ。  暗色の画面には金髪碧眼の二次元美女とクロアゲハのアイコンが並ぶ。ルシアと僕だ。 「待っていましたよ、ソルト」  気品を感じさせる麗しい声で、ルシアは第一声を放った。少女というよりやや大人びたテレビのアナウンサーのような美声だ。僕は彼女が呼んだ通り、メリーではソルトという名前を使っている。僕は少しの間、彼女との閑談に興じることにした。 「こんにちはルシア。何してたの?」 「わたくしですか? 実はフルーツティーを初めて淹れてみました。仄かに果物の甘酸っぱい香りが漂い、砂糖を入れなくても優しい甘さでとても美味しいです」 「へぇー、ルシアは優雅な生活してるね」 「そんなことありませんよ」  謙遜するルシア。しかし僕の勝手な彼女のイメージは広いお屋敷に住んでいるお嬢様だ。もしくはお城の女王様だ。 「アイコンはルシア・ゼルセレス女王なのに?」 「ああはっ。これはただの設定ですよ。声も真似ているだけですし」  メリーではよくアニメキャラの声真似をしている人がいる。ルシアもその一人だ。  最近流行りのファンタジーアニメ『樹海城(じゅかいじょう)』のダークヒロイン。  普段はどんな声をしているのか僕は知らない。メリーには女性の声を出している男性だっているし、年齢だって不明な人が多い。匿名のネット世界だからこそできる〝なりきり〟という一種の遊びだ。  まあルシアの場合、声を真似ている程度で会話の内容は普通の人だが。 「ソルト、この前あなたに出した宿題の件ですが……」  ――あ。 「当然出来ていますよね?」  先日ルシアと話した時に宿題を出されていたのを思い出した。 きっかけは僕のアイコンだ。  僕はクロアゲハのアイコンを使っているが、ルシアが先日「幼虫も黒いんですか?」と聞いてきた。僕も知らなかったのでネットで幼虫を調べてみたら、なんと普通の緑色だった。  ルシアの宿題とは「なぜ緑の幼虫から黒い成虫になるのでしょう?」という素朴な疑問だった。その時ネットで調べても出てこず。「では宿題にしましょうか」と悪戯っぽく言われてわざわざ学校の図書室で調べたのだが、詳しい情報は見つからなかった。というか、そもそも黄色いアゲハ蝶だってなんで黄色くなるんだろうね。 「この謎は迷宮入りってことで勘弁してほしい」  宿題ができなかった僕に、ルシアは残念そうな声を漏らす。 「あなたには失望しました」 「……ごめんなさい」 「使えないゴミ虫ですね」 「その言い方はやめてくれ」  ルシアはたまに性格が冷酷な女王様になる。 「ではお仕置きとして鞭で叩きます。ペチペチ」 「バタフリーバリア!」 「なにっ。馬鹿な! わたくしの攻撃が効かない……」  ほんとに何やってんだろうね僕らは。ボイスだけで。  けれど僕はこうしてメリーでルシアとくだらない雑談するのが好きだった。僕が純粋に彼女の声が好きってのも大きい。彼女には秘密だけど。 「残念。ソルトを飼育したかったのに」 「飼育するなよ」  いや、若い女の人に飼育されたらどんなかんじなんだろうか。  一瞬、セクシャルでバイオレンスな妄想をしそうになった。危ない危ない。 「ところで男子高校生って飼育できるんでしょうか」 「できないよっ」  何考えてんのルシアまで。僕が男子高校生だってことはだいぶ前に教えた気がするけど、飼うのは人間以外にしてくれ。……いや、人間とドッペルゲンガー以外にしてくれ。 「ふふふ」  ルシアは上品に微笑む。僕らの閑談はしばらく続いた。
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