1話 ダークサイドの少年

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 アプリを閉じた僕は一階に下りて台所へ。小腹が空いていたのでカップ麺(シーフード味)に湯を注いだ。魚介の出汁の香りが湯気と共に浮上して僕の鼻腔を誘惑する。  母さんが亡くなってから最近ろくなものを食べていないな。父さんから食費は貰っているけど、僕は料理が苦手なのでコンビニ弁当とかインスタント食品ばかりだ。  三分経ったカップ麺を食べながら、僕は母さんのいない物悲しさを改めて感じた。 「はぁ」  と僕は嘆息を吐く。できることならずっと電子世界にいたが、そういうわけにもいかない。僕もルシアも普段の生活がある。 「逃げ場は……ないか。そうだよな」  ぼそりと呟き、僕は麺を啜る。  ずっと考えることを放棄していたけど、いい加減目を背けることはやめよう。  つらいけど、でも……もう精神的に逃げ続けるのも疲れた。現実逃避はここまでだ。  僕は脳内で鍵をかけていたパンドラの箱を開けた。  すると、僕の心は不安一色に染まった。  ――母さんが亡くなってすぐの頃、僕はある最悪な可能性を思いついてしまった。  曽山瑠人が僕と出会い、亡くなったのは彼からすれば不運だったかもしれない。しかし彼の母親が呪われたのは本当にただの不運だったのだろうか。  どちらもドッペルゲンガーによる呪い。ドッペルゲンガーはその性質上、オリジナルと関係の深い場所に引き寄せるが、人はこんなにも簡単に呪われてしまうのだろうか。  何か、他に原因があるのでは……?  例えば僕そのものの存在。類は友を呼ぶではないが、悪魔の僕が悪魔を引き寄せてしまうという可能性。呪いが連鎖した可能性。  もし僕の仮説が正しければ、次は父さんが呪われてしまうかもしれない。勿論こんなこと認めたくない。認めたくないけど考えてしまう。僕のせいで、僕が母さんのそばにいたことで呪いを強く引き込んでしまい、母さんは呪われて死んでしまったのかもしれない。 「……だとしたら、本当にごめんなさい。母さん」  胸の奥が苦しい。心臓が千本の針に刺されているみたいな気分だ。  僕は、この悪夢のような仮説を否定する何かが欲しかった。どんな些細な情報でもいいから。砂浜の砂粒みたいな微細なものでもいいから。  否定しなければ、僕はこの家にいられなくなる。父さんに捨てられる以前に、父さんが呪い殺されるなんてことになったらその時点ですべて終わりだ――。  僕は自分の不安を取り除くため、仮説を否定するため、食事を終えた僕は母さんのことを調べることにした。  そして吸い込まれるように、僕はリビングを出て二階へ上がり両親の寝室に入室した。  母さんのことを調べるならまずはこの部屋だ。あの日は赤い目の男に荒らされて物が散乱していたが今は片付いている。父さんが片付けてくれたらしい。  まるでホテルのベッドメイキングをしたかのように部屋は綺麗だ。生活感がなくて寂しいくらいに。部屋にはダブルベッド、サイドテーブルにはランプが一つ。他にはタンス、飾り棚、窓際にドレッサー。シンプルで無駄のないごく普通の夫婦の寝室だ。  アンティークなドレッサーには母さんの化粧品が今も残っている。もう誰も使うことはないだろうが、すぐに処分できなかった父さんの心境を考えるとつらい。  サイドテーブルの上にはランプの他に写真立てが二つ置いてある。  一つは七五三の写真で、家族三人が映っている。もう一つは海パン姿の息子の写真。  どちらも僕がこの家に来る前から飾ってあったものだ。つまり写真に写っているのは僕ではなく僕のオリジナル。曽山瑠人本人だ。  僕がこの家に来て七年。その間、写真は一度も更新されることはなった。  家族旅行は危険だからという理由で一度も行かなかったし、家族三人で撮った写真なんて数えるほどしかない。母さんはよく僕の写真を撮っていたけど、僕の写真はアルバムの中だ。  サイドテーブルの写真――海パン姿の瑠人が一人で映っているほうは、背景に海が映っている。浮き輪を持って、ピースして笑っている。 「これからいっぱい泳ぐぞ!」って声が聞こえてきそうな楽しそうな写真。  多分、彼が溺れる前の写真。  ――なんで、いつまでもこの写真を寝室に飾っているんだろうか。僕はずっと疑問だった。僕だって七年前、海パンをはいて浮き輪を持ってピースして笑えば写真の瑠人と完全に同じ姿になったに違いない。似せようと思えばいくらでも似せられたに違いない。勿論、危険という理由で海に行く機会なんて一度もなかったけど。  水着じゃないが、小学校の学芸会で浦島太郎を演じた時の可愛い写真でも飾ってほしかった。  そういえばあの時、裏原修也くんが「なんで俺が主人公じゃねーんだっ」って騒いでいたな。僕だって主人公役なんて目立つようなことはやりたくなかったけど、まあ仕方ない。僕のほうが彼よりイケメンだったからな。 「……ん?」  サイドテーブルのランプにやや違和感を覚えた。よく見ると、スタンドが少し傾いている。何かがスタンドの下に挟まっているようだ。なんだろう?  気になった僕はランプをひょいと持ち上げてみた。スタンドの下にあったのは、小さなアンティークの鍵だった。どうやらスタンドの土台の僅かな空洞に隠していたらしい。デザイン的に部屋の鍵ではなさそうだ。そして僕はふと閃く。 「ドレッサーだ!」  僕がまだ小学生だった頃、この部屋に入ってドレッサーの中央の引き出しを開けようとしたら、そばにいた母さんに「こら、ダメよ瑠人」って怒られた記憶がある。  ドレッサーの引き出しはなぜか開かなくて、母さんに理由を聞いたら「ここにはね、ママの大事な宝物が入っているの」と言っていた。  僕は宝物がなんなのか知りたくて、どうしても気になって、母さんに内緒で部屋に侵入して開けようとしたけど、鍵がかかって開けることができなかった。その後も何度か試したけど、やっぱり引き出しを開けることは敵わなかった。 「もしかして、このアンティークの鍵は……」  ドレッサーの引き出しに鍵を差し込んでみる。鍵はぴったりとハマり、左に回った。  僕は緊張しながら、そっと引き出しを開けてみる。  中に入っていたのは、一冊の自由帳だった。表紙はひまわりの写真。学年とクラスの欄には「3年4組」、名前の欄には子供らしい文字で「曽山瑠人」と書かれていた。  僕は驚いて目を剥いた。どうしてこんなものがここに? これが母さんの宝物?  思いもよらぬものが出てきて僕は動揺していた。  恐る恐る、僕は自由帳を開く。  表紙を捲った一ページ目。そこには絵日記が書かれていた。  夏休みの宿題だろうか。ページの上半分には、楽しそうにラジオ体操をしている二人の子供の様子が描かれている。色鉛筆を使った、カラフルで子供らしさ溢れるイラストだ。  Tシャツの真ん中に「ぼく」と書かれた少年が瑠人なら、隣にいる黄色いワンピースの少女は洛奈だろうか。二人とも笑っていて、とても仲が良さそうだ。 僕は絵日記を読み進めた。
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