約束

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約束

 高校の卒業式の後、僕は自分の部屋で彼との最後の時間を過ごしていた。明日、僕は東京に行く。ここにはもう帰ってくるつもりはない。  僕の彼氏の藤崎寛太は地元では有名なお家の長男。生まれた時から進む道は決められていて、家を守るとか親同士が決めた許嫁がいるとか時代錯誤だと思うけれどこのど田舎ではそのことをおかしく思う人は少ないだろう。  僕達は小学校で出会ってから可能な限りいつも一緒にいた。そんな僕達が友達以上の関係に進むことは自然の成り行きだったように思う。  彼はとても優しくて責任感の強い人だった。学校では生徒会に所属して部活ではキャプテンをやる、絵に描いたような優等生。先生や生徒達からの信頼も厚く、どこにいても注目と期待を集める存在だった。それもこれも本人が望んでのことだったかはわからないけれど。そしてそんな彼の唯一の汚点が僕の存在だった。  僕の父親は僕が小さい頃に女を作って出ていき、母親も僕が小学生の頃に祖母の家の前に僕を置き去りにして消えてしまった。それから祖母が亡くなるまで僕は祖母の家で生活していた。祖母はとても放任な人で、よく言えば自由にさせてくれたし、悪く言えば僕に何が起きても助けてくれることはなかった。  小学校では親のことで同級生からよくいじめられていた。とは言え、大抵は悪口を言われたり物を隠されたりといったものだったが、ある日エスカレートした同級生に突き飛ばされたことがあった。  初めての暴力に戸惑い固まっていると一線を超えた同級生に引きずられるように他の生徒達の様子も不穏なものに変わっていき、僕は更なる暴力の予感にただ怯えるしかなかった。そしてその時、僕の運命を決定づける出来事が起きた。  近くでことの成り行きを見ていたであろう彼が同級生達の前に立ち塞がってくれたのだ。  その時のことはあまりよく覚えていない。僕はただ初めて人の優しさに触れたことに感動し、自分を守ってくれた彼に見惚れていた。その日を境に僕は彼の後をついて歩くようになった。彼は急に懐いた僕に何を言うでもなく側に置いてくれた。  僕は彼が大好きだった。彼の親にはよく思われていないことはわかっていたから、せめて見逃してもらえるように勉強を頑張り、学校での生活態度も気をつけた。中学に上がる頃には、僕が彼と一緒にいることを疑問に思う人はいなかったし、彼の隣が僕の定位置であることは公然のことになっていた。  中学生の頃は彼に夢中過ぎて少し暴走していたように思う。彼が僕以外の人と話したり優しくすることが許せず、彼が僕と同じぐらい僕のことを好きでいてくれないことが不安でよく泣いていた。今思えば彼の中にも葛藤があったのだとわかるけれど当時の僕はそのことに考え至らず直ぐに癇癪を起こして彼をよく困らせていた。だから彼が二人だけの時に初めてキスをしてくれた時は嬉し過ぎて大泣きしてしまった。  僕が落ち着いてきたのは高校の頃。中学の卒業式のあと、彼と初めて体をつなげると言う一大イベントを経験して僕の不安定な心は次第に落ち着いていった。ただそれと同時に僕達の間には決して避けては通れない問題がある事も無視できなくなってきていた。彼には継がないといけない家があり、高校を卒業したら許嫁との結婚の話が進むことになっている。  この頃の僕は彼と一緒に生きられないことなんて受け入れられなかったし、彼がいつだか高校を卒業したら2人で遠くへ行こうと言ってくれた時は心の底から嬉しかった。ただ、そこで満足しなければならない事も理解していた。彼はとても優しい。そして責任感もある。彼に兄弟はおらず、彼が逃げれば家を継ぐ人はいなくなる。それに許嫁との結婚を反故にすれば、彼の家に何かしらの制裁があるはずだった。その事実から目を逸らし罪悪感を感じずに彼が逃げることなどできるはずがなかった。  この時から僕は彼の幸せのことも考えるようになった。二人がずっと幸せにいるためにはどうしたらいいのか。考え過ぎて夜もあまり眠れなくなり、どんどんやつれていく僕を見て流石に怪しく思った彼に問い詰められて、僕は自分の思いを白状した。僕の話を聞いて彼は「お前だけの問題じゃない。一緒に考えよう」と言ってくれて僕はまた泣いてしまった。  それから僕達は二人の未来について話し合った。けれど、どれだけ二人で考えても一緒には生きていくことはできない事実が変わることはなかった。そして僕は誰にも後ろ指を刺されない人生を彼に歩んで欲しかった。  だから僕は彼の代わりに告げた。僕達は離れるべきだと。  彼は僕の言葉に一瞬傷ついた顔をしたが、直ぐに顔を背け一言「なんで…」と呟いた。 「理由なんて言わないでもわかるでしょ…」  そう言って僕は彼を後ろからそっと抱きしめた。 「君のために僕は頑張るから…そのかわり心の1番大切なところに僕を置いて欲しい。ずっと僕を一番に想っていて…」  彼はしばらく黙ったまま立っていたが、やがて僕の腕に手を添えて「わかった」と答えた。  僕は高校を卒業したらこの街をでることに決めた。彼が僕以外の人と結婚する姿を見たくないし、近くにいて彼のことを我慢できる気がしなかったからだ。 「離れていてもたくさんたくさん想い合っていれば神様も僕らを憐れんで来世では恋人同士にしてくれる気がするんだ…いやむしろこれは僕らが来世に結ばれる為の試練なんだ!」  ある日二人で過ごす時間の中で僕が脈絡もなくそう言うと、彼は「なんだそれ」と言って笑ってから「俺も頑張るよ」と言うもんだから僕はまた嬉しくなって泣いてしまった。僕がどんなことを言ってもなんだかんだ真剣に聞いてくれる優しい彼が大好きだった。 「何ぼーっとしてるんだよ」  物思いに耽っていたら彼に声をかけられ、僕はハッと我に返った。 「ちょっと昔のこと思い出してた…ねぇそれ僕にもちょうだい」  僕は彼の吸いかけのタバコに手を伸ばし一口吸い込んだ。優等生の彼が出入りの大人から悪い遊びと称して隠れてもらっていたタバコの匂いが好きだった。 「今日で最後だね…次会う時はどちらかのお葬式だったりして」 「縁起でもねぇこと言うなよな」  彼は呆れた顔をしながら僕からタバコを取り返しタバコを灰皿に置いた。 「なぁもう一回…」 「うん…いいよ…」  僕たちはもうすぐ離れ離れになる。でもどんなに離れていてもお互いを一番に思い合っている限り繋がっていられると信じている。 「僕のお葬式には絶対来てね、かんちゃん」
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