夜明けの烏

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 お前の父親、卑獣だろ?  小学生の時、珍しく真っ黒な頭髪と腕の毛も他の女の子より少し濃かったという些細なことから、そんな根拠のない噂が広まった。卑獣を見たこともないくせに、黒い体毛が共通しているというだけで。母親は色んな男と子供を作る行為をしまくっていたらしいけど、流石に人外と交わるほどの性欲に支配されてしまった女ではないだろうと、願望に近い形でそう思っていた。  だけど、おそらくは卑獣であろう目の前を歩く獣は、毛の色も噂通り真っ黒で、実際人間の言葉を理解し、話す。壊れている母親ととある卑獣が関係を持ったって、不思議ではない。後ろから見ると、黒髪の高身長男性がただ歩いているように見える。  右足が何かを蹴り飛ばしてしまった。瓦礫にあたって回転を止めたそれは、拳銃だった。恐る恐る、手に取ってみる。チャポン、と拳銃らしからぬ音が鳴った。拳銃に据え付けられている小さなタンクに、液体が入っているようだ。銃の所持は一般には禁止されているから、警察官など特別な権利を持った人が落としていったのだろう。 「まだ何か用?」  卑獣がこちらに背を向けたまま急に話しかけてきたものだから、別に意味はないのに咄嗟に拳銃を背に隠した。 「その、どこに行くのか、気になって……」  要領を得ない受け答えしかできなかった。付いてきてしまった理由がまだ靄がかっていてうまく言葉に表せない。ただ、黙って付いてこられる方になって考えてみると、これではまるでストーカーだ。  卑獣は依然、表情が読めないが、無関心そうに抑揚のない声で言った。 「どっちでもいいけど、一応言っておくとこのまま付いてきたら死にますよ」  卑獣は淡々とした態度で警告し、その場にしゃがみ込んだ。四つん這いになって、鼻をひくつかせている。匂いを嗅ぎ分けているらしかった。  誰も私のことを知らない場所で、死にたい。  自分でも気味が悪い。死の宣告をされて、より一層芽生えた好奇心が恐怖を覆い隠してしまうのだから。  卑獣は匂いを嗅ぐのをやめ、ある一点を凝視した。私は拳銃を上着のポケットに突っ込むと、足音を立てないようにそっと卑獣に近づき、卑獣の目線の先を追った。地面に深くXの文字が刻まれている。  卑獣はXに手を当てた。静寂が続く。  バコン、と空気が押し返された音が地中深くから響いたかと思えば、卑獣の手の平が触れた地面に細かなヒビが入り、一瞬で崩れ落ちた。卑獣は、私が背後でその様子を眺めていたことを気にも留めず、出来たての穴に飛び込んだ。  地中から噴き上がる風の音だけが寂しく鳴った。  入ったら、生きては戻ってこれないだろう。だけど、卑獣の存在と彼の行く先は、幸せなんか存在しない小さな世界でこのまま一人死んでしまうような人間には、あまりに魅力的すぎた。どうせ、結末は変わらない。私は自分の足で暗闇に吸い込まれていった。
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