夜明けの烏

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 掘られた穴は殆ど垂直に伸びていたため、懸命に足で踏ん張りスピードを落とそうとしたが、無意味だった。絶叫スライダーを抜け、勢いよく地面に叩きつけられる。幸い穴の出口がアルファベットの「J」みたいに上に向いていたため、ふくらはぎを掠っただけですんだ。  痛がっている暇はなく、急いで卑獣の姿を探した。近くにはもう居ない。しかし、薄暗い中前方に微かに明かりが見える。ひとまずは、光を頼りに歩き出した。 「遅かったっすね!」  急に知らない声が響き渡って聞こえたものだから、肩をビクッと振るわせ硬直してしまった。 「外の弍型(にがた)が想定より多かったので」  あ、さっきの卑獣だ。  どうやら私が声をかけられたわけではないらしい。壁に投影されている影は2体。迂闊だった。私を助けてくれた卑獣は、単独行動をしていたわけではなかった。仲間の卑獣が人間に好意的とは限らない。寧ろ、最初に出会った卑獣には襲われたのだから、捕食対象と判定される方が可能性が高い。 「うわ、人間がいるんだけど!」  再び硬直。前方に集中しすぎるあまり、背後から忍び寄る影に全く気が付かなかった。  肩を強く掴まれた。長く鋭利な爪が、肩の辺りに見える。早かった。もう終わってしまうのか……。 「アレン〜この子拾ってきちゃったの〜?」  幼げな猫撫で声でそう言って、背後の卑獣が私の背中をぐいぐい押すものだから、前方の2体の卑獣の目の前まで押し出されてしまった。相変わらず一体はノーリアクションだったが、もう一方の、丸みを帯びた虎のような耳を持つ卑獣は、明らかに敵意丸出しで全身の毛を逆立てている。 「別に。勝手についてきた」 「じゃあ殺してもいいっすよね」  敵意どころか殺意を向けられ、圧に耐えきれず思わず一歩退く。 「ヨンジ、落ち着いて。できないの分かるでしょ」  ほっといて先に進もう、と無関心な方の卑獣が言うと、ずっと私の背中の匂いを嗅いでいるおそらくメスの卑獣が思いの外反論した。 「えー!要らないならもらっていい?ほら、この子でっかいリュック持ってるからウノの荷物係にしたい!」  おもちゃにされる……。頼むからそこは却下されてくれ、という私の切なる願いは届かず、 「別にいいよ」 と素っ気ない返事が返ってきた。 「いやいやリーダー!こいついたら邪魔でしょ!」  反対派がまだ訴え続けるも、メスの卑獣はもう既に荷造りに着手していた。 「じゃあ、ウノのショルダーバッグの中身全部そっちに移し替えるから!……あれ、もう結構荷物入っちゃってるなぁ」 「ア、教科書とか要らないものばかりなんで、捨てます」  従順な下僕ばりの低姿勢で、私はリュックを一旦肩から下ろし、逆さにして中身を全部ぶちまけた。メスの卑獣は嬉しそうに顔より大きな耳をパタパタさせて、早速空になったリュックへ荷物を移し替えた。ぬいぐるみ、ポーチなど、薄汚れているがまるで人間の女の子らしい私物ばかりだった。 「私、ウノ!黒い方がアレンで、焦茶がヨンジね!あなたは?名前ある?」  ウノは赤い瞳を輝かせ、嬉々として私の顔を覗く。名前を尋ねられたのだと理解するまで、数秒かかった。 「あ、名前、ナギ、です」  たどたどしくしか言葉が出ない。これではまるで私の方が人の言葉を覚えたての化け物ではないか。 「よろしくー!あのさぁそれでさー」 「ウノ」  アレンの静かな声で、一瞬で空気が締まる。 「そろそろいいかな。次の作戦」 「あ、ごめーん!」  悪気なさそうにウノはそう言うと、私の右腕を掴んで二体の元へ駆け寄った。  ……え、私も参加するの? 「ウノちゃん!さすがにそいつを作戦会議に入れちゃダメだろ!」 「え、だって私の荷物入ってるもん。アレンがいいならいいでしょ、ね、アレン?」 「うん」  ただの荷物判定をくらい、ウノに促され作戦会議の輪に入らされた。ヨンジに睨まれているのも気まずいのだが、それよりも三体分の獣独特の臭いが鼻を刺激するので、顔に出さないように神経を張り詰め続けている方が辛かった。 「まずは状況確認から。イオリとエリーはどうした?」 「はい。ターゲットへの侵入経路確保の際、弍型の襲撃を受け、交戦の末、二名とも死亡しました」 「そうですか。ヨンジとウノの体の具合は」 「俺は、大した怪我はないっす」 「ウノもー!」  仲間が死んだというのに、獣たちの話し合いは淡々と進んでいく。彼らは本当に、仲間同士なのだろうか。 「多少計画が狂いましたが、予定通りこれから縄張りを確保します。ウノは、左手に見える大きな管を進んでください。襲撃にあったら殺すなり痛めつけるなり、そこは自由にしてくれて構いません。とにかく攻撃の手を休めないこと」 「はい!」 「ヨンジは、先に話した通り俺の後に付いてきてください。指示があるまではなるべく体力温存に努めて」 「了解っす!」 「では、始めます」  アレンの一声で、ウノはすくっと立ち上がると、今度は私を置いて言われた通りに左奥のぽっかり空いた穴へと楽しそうに跳ねていった。いつの間に装備したのか、その両手にライフル銃を携えていた。残った二人も、ウノ同じライフル銃を二丁背負っている。  一分もしないうちに、ウノが進んだ洞窟の中でけたたましく発砲音が鳴り響く。 「リーダー、ウノちゃん多分弾切れのこととかなんも考えてないと思うんすけど……」  ヨンジが不安そうに騒音の方角を見つめる。 「うん、急がないとね」  アレンは、両膝をつき、足のつま先を立てて両手の平を地面に押し当て、沈黙した。アレンが目で合図をすると、ヨンジもまたアレンと同じ体勢を取った。  何もアクションを起こさないまま、さらに一分が経過しようとしている。  ウノを先に行かせて、この人らは何もしないのか?それは、あんまりなんじゃ……。 「おい!横でソワソワ動くな!集中できないんだよ!」  ギロリと黄色い瞳に睨みつけられ、「ひっ」と思わず情けない声をあげて萎縮した。不信感が外に漏れ出てしまっていたらしい。 「数体、抜けた。来るよ」 「あーほらぁ!てめえのせいだからな!」  アレンはゆっくり立ち上がると、背中のライフル銃を二丁とも取り上げ、構えた。  足元の石ころの揺れが、どんどん激しくなる。  壁を突き破って出てきた物体に、思わず失神しそうになった。それは、体長10メートルはあろう、巨大な白いイモムシのような生き物だった。大量の足をばたつかせ、こちらめがけて突進してくる。アレンは足を大きく広げ体幹を安定させると、前方の二体のイモムシに向かって発砲した。激しい音を立てて飛び出した弾丸は、二発ともイモムシの頭に命中し、サイレンのような悲鳴をあげてイモムシは転倒した。  続け様に、アレンは銃口を私に向けた。背筋に緊張が走った。しかし、アレンは私を睨みつけると、すぐに構えたライフル銃を下げる。 「伏せて」  私は反射的に背中を丸めしゃがみ込んだ。頭上を何かが飛び越え、風が髪を靡かせた。背中を丸めたまま、首だけで後ろを振り向く。  ……さっきの卑獣だ。  目に入ったのは、白いイモムシを捕食する黒い獣だった。アレンたちの様に衣服は纏っておらず、大型犬くらいの大きさで、ここに来る前私に襲いかかってきた卑獣とそっくりだった。  巨大イモムシに、人を襲う卑獣。人間にとって地獄だ、ここは。 「ヨンジ」 「はいっ!」  ヨンジの勇ましい返事と共に、右奥の細い管の中からボボボボボッ!とけたたましい破裂音が次々に聞こえ、やがて静寂が戻った。 「縄張り確保できました!」 「じゃあ、ウノに知らせて、俺たちは先に行こう」  そう言うとアレンは右足に体重を乗せた。すると、右足の先の地面からボコンと黒い毛玉が生え、それは自らの足で地面から這い出た。黒い卑獣が、地面から生まれた——。  卑獣は犬のように軽やかに走り出し、ウノの進んだ道を辿ってやがて見えなくなった。情報が多すぎて、理解が全く、追いつかない。  気づけば、アレンとヨンジはたった今爆発が起きた右奥の道へ進み始めていた。一瞬、迷ったが、私も彼らの後を追いかけた。
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