血戦

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血戦

 細長い道を抜けると、見えてきたのは激戦の跡だった。大型イモムシの死骸が転がっており、中には原型を留めていないものもあった。屍の中には、卑獣もいた。黒い毛並みのと、焦茶色のと。だが、虫と違って卑獣の死骸は次第に崩れていき、最後には砂のようにサラサラとした物質に変化した。目の前で風化した焦茶の跡に触れようとすると、 「触るな!」 とヨンジに怒鳴られてしまったので、慌てて右手を引っ込める。  まもなくして、ウノとの合流を果たした。ウノは三人の姿を確認するなり、ゴロンと仰向けになって倒れた。 「疲れた。アレン膝枕してー」 「飯にして、今日はもう休もう」  ウノの甘えを流れるようにスルーし、アレンは虫の死骸に近づいた。  まさか、あれを食べるの?  ヨンジはすでに虫の死骸の上に登っており、そこで大きく腕を振った。 「ウノちゃんもほら、たらふく食べないと!ちなみに俺の膝は今空いてるぜ!」 「食べる!でもヨンジの膝は結構よ!」  ウノは反動をつけて起き上がると、一番近くに転がっていた虫に勢いよくかぶりついた。黄金色に所々白が混じったウノの体毛が、さっきまではパサついていたように見えたのだが、もくもくと食べ進めるうちに艶が出てきた。そんな風に私は一人静かにボーッとアハ体験をする他なかった。すると、ウノは急に食べるのをやめ、口に肉片を加えてこちらに駆け寄ってきた。ボトリとぬめりけを帯びた肉片が私の目の前に投下され、思わずのけぞる。 「手足怪我してるでしょ?ナギも早く食べないと、傷治らないよ。煌虫(こうちゅう)は栄養価高いけど、鮮度がすぐ落ちちゃうから」  ウノは、卑獣に押さえつけられた時にできた両腕の引っ掻き傷と、足の擦り傷に気づいていた。何も考えてなさそう、という第一印象を抱いた自分が、少し恥ずかしくなった。 「ウノの軍服かしたげる!ごはんもちゃんと食べるんだよ!」  ウノはそう言って私のリュックからグチャグチャに丸められた衣類を引っこ抜き地べたに置くと、再び食事に戻った。ウノは多くは伝えてくれなかったが、いつ巨大虫に襲われるかも分からない危険な場所で、制服姿はあまりにも無防備すぎだ、ということだろう。断れば何か言われそうなので、私は言われた通りにウノの服に着替えた。 (あ、閉まらない……)  私より一回りは小さいウノの制服は、下は七分丈で何とか耐えているが、上着は胸元までファスナーが上がらなかった。ブラウスだけは着たままにしておいてよかった。それに、軍服は防御用で作られているイメージがあったのだが、ウノの制服は軽さ重視でできており、銃弾なんか簡単に貫通してしまいそうだ。防御力としては、制服とそう大差ないのではないだろうか。他にも、ターバンやらポシェットなども放り出されていたが、使い方がいまいち分からないのでそれらはリュックに戻すことにした。リュックを下ろし、フロントポケットの膨らみに気づいた。そう言えば、ポケットの中身は出していない。ウノの私物をリュックに戻すと、ポケットを開けて中身を一つずつ取り出した。筆箱とメモ帳、そしてメガネケース。メガネはよく壊されるので、暫く使っておらず忘れていたが、そういや念の為持ち歩くようにはしていた。もう裸眼の状態の景色にも慣れたので、置いていっても私は別にいいのだが……。  アレンが乗っている虫の下まで近づいたところで、迷いが生じた。余計なお世話じゃないだろうか。でも、多分そうなんだろうし。いや、でも勝手についてきておいて生意気なんじゃ……。 「……何か用ですか」  私の不審な動きを見かねたのか、アレンの方から話しかけてきた。精神的準備もままならないまま、何か答えないとという焦りが先行し私の口が勝手に動く。 「え、あ!さっき、戦っていらっしゃった時、視力があんまり良くないのかなぁと……。合うか分からないけど、もしよかったら……」  私はたどたどしく何とか言葉を発し、両手でメガネを差し出した。最初は、ただ目つきが悪いだけかと思っていたけれど、対象に焦点を合わせるときに不自然に目を細める仕草は、私自身にも覚えがあった。だから、アレンはもしかしたら周囲の様子がよく見えないまま戦っているんじゃないかと。  気まずい静寂が訪れた後、アレンは虫から飛び降り、差し出されたメガネの前で立ち止まった。私の輪郭を伝って汗が顎先までゆっくりと流れ落ちる。大きな黒い手が、私の手の平を覆い、メガネが取り上げられた。その手を目だけで追う。アレンは爪でコツコツとレンズを小突いたり、フレームをなぞったり、一向に装着しようとしない。  メガネ、初めて見るのかな?  教えてあげなければ、と私はメガネに両手を伸ばし、瞬時に引っ込めたりを繰り返し、とてつもなく気味の悪いダンスを繰り広げる始末だ。キモダンスに気づいたアレンは、私の意図を察したのか、黙ってメガネをこちらに差し戻した。私は今にも震え出しそうな手を必死に抑えて、右手親指と人差し指の先っぽだけを使ってメガネを受け取る。再びメガネをアレンの顔に近づけると、流石のアレンも少し動じたようで一歩のけぞり、私もつられて身を引いた。  ……げ。  耳にかけようとしてようやく気がついた。構造上動物の耳に、人間用メガネがかけられるはずがない!顔から一気に血の気が引く。何をしにわざわざ時間を使ったんだと、苛立たせてしまう。だが、勘のいいアレンはそんな一連の不審な動きでまたもや察したのか、メガネをすっと取り上げると、耳には掛からずともレンズの位置を両眼の前まで持っていった。レンズを通した視界の変化に少しは驚いたのか二、三回瞬きすると、首ごと回して周囲を確認し始めた。 「視力を補正する道具?」 「う、うん。メガネっていうんだけど。左側についてる小さいダイヤルを回すとある程度ピントの調節ができて……あ……でも、安物なので、合わなかったらごめんなさい……」  たどたどしい説明でも理解してくれたアレンはダイヤルを爪先でチラチラと回した。それでもまだ少し目を細めているので、丁度いいピントが見つからなかったらしい。調節が効くとはいえ、今思えば私の視力に合わせて作られたメガネがピッタリ合う可能性の方が低いし、そもそも耳の位置が違うのだから両手で持つしかなく、不便極まりないのだが。 「ヨンジ、もう寝てる。もっと怖い顔してるのかと思ってた」  アレンの目線の先を見ると、ヨンジは虫をベッドがわりにしていつの間にやら就寝していた。背中を丸め腹を隠し、まるで絵本に出てくる猫みたいだ。 「ウノは想像してた通り」  言葉数こそ少ないが、視界が多少は良くなった感想を述べるアレン。  ——気を遣っているのだろうか。  向き直ったアレンと目が合った。私は反射的に目を逸らす。元々人と目を合わせられないのだが、使えない道具を押し付けておいて我ながらこの態度は失礼すぎやしないか。だけど、今更顔を上げることなんて余計できない。  しかし、アレンは全く気にしてなさそうにメガネを下ろし、感情のこもっていない眼差しで言った。 「戦闘では使えないかな。10年以上音を頼りにやってるし、開けた視界が逆に戦闘スタイルを崩しかねない」 「そうですよね……。すみません」  怒られこそしなかったが、やはり余計な行動だった。これからはいつも通り大人しくしていよう。  メガネを返してもらおうと、手のひらを上に向けて両手を差し出す。だが、アレンはメガネをそこに載せることはなかった。 「使わないなら、一応持っておきます」  そう言って、アレンは腰に装着された小物入れの一つにメガネを入れようとした。私は慌てて、「だったら、ケースもどうぞ」と付け加え、リュックのポケットからメガネケースを取り出した。  どうしてメガネを渡したんだっけ。  ……言葉にするのが難しかったからだ。  命を助けてもらったこと。それなのに恐れてしまったこと。  別に、求めてはいなかった。  だけど、生き延びてしまった以上、何もしないのはなんだか居心地が悪い。 「……ありがとうございました」  その場から離れるアレンの背中に向かって、小さくて足りない声があとを追いかける。届いただろうか。アレンの右耳がパタパタ動いただけで、振り返ることなく彼は先へ行ってしまった。  少しだけ、頭の中が整頓された。  私も、元いた場所に戻った。  地べたに置いたままにしていた肉片を取り上げ、まずは匂いを嗅ぐ。これといった臭気は感じない。歯をガタガタ震わせ、目をつぶって齧り付いた。口の中に入った肉片を歯でプレスすると、ドロドロの液体がぶわっと口内に溢れた。  思わずえずく。吐き出した肉片と残りの塊を、ウノに背を向けた状態で地面に擦り付け、食べ切ったかのように演出する。そして、口の中から異物がなくなるまで、何度も唾を吐いた。  やっぱこれ、食べられないや……。
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