第一次上田合戦

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「清音——帰って来たんだね」 信幸がそう言うと、清音と呼ばれた女は満面の笑みを浮かべた。 「そっ。帰って来ちゃった! ただいま、信幸」 「おかえり」 キヨネ——誰だろう? イナは不思議に思いながらも、胃に気持ちの悪いものが上がってくるのを感じた。 なんだろう……この気持ち。 胸がざわついて……落ち着かない。 イナが固まっている間にも、草履を脱いだ清音は 信幸の横に並んで言った。 「あれっ?少し会わないうちに背が伸びたんじゃない?」 「そんな訳ないよ。 もう成長期は過ぎてるんだから」 「嘘!信幸はまだまだ子どもだよぅ」 「清音こそ、一つ上ってだけでいつまでも俺を子ども扱いして大人げないよ」 「あはは!ごめんごめん——」 信幸様と随分と親しいご様子だけど、この人は何者だろう? 幼馴染……とか? イナがもやもやとした気持ちで立ちすくんでいると、 ひとしきり信幸との会話に花を咲かせた後、清音はイナの存在を思い出した。 「あ。こちらは新しい女中さん? さっき、ここでお世話になってるって言ってたけど」 清音がイナと信幸を交互に見て言うと、 「そうだよ。イナと言うんだ」 と信幸が答えた。 「そっ。よろしくね!」 「え……と」 突然清音に声を掛けられ、イナがたじろぐと、信幸がフォローするように言った。 「何の紹介もなく、ごめんよ。 イナ、彼女は清音と言って、俺や幸村の従姉なんだ」 「……いとこ?」 それを聞いた瞬間、イナは心のうちが すぅっと晴れやかになるのを感じた。 そっか、この人は信幸様の従姉なんだ。 だからこんなに親しげで、昔馴染みのような雰囲気なのか。 納得したイナは、ほっと安堵すると同時に ふと、あることに気が付いた。 信幸様のあんなに楽しそうな顔、見たことあったっけ……? イナは、この三ヶ月間で信幸が笑みを浮かべる姿は幾度となく目にして来た。 自分と話す時はもちろん、弟の幸村や、仲の良い家臣と話す時にも笑みを見せる。 昌幸と話す時だけは少しきりっとした雰囲気になるけれども、 いつも穏やかに微笑んでいる人——それが信幸の印象だった。 ところが、この数分間のあいだにも 信幸は何度も目を細め、高らかな笑い声を上げる姿は これまでイナが一度たりとも見たことのないものだった。 イナは信幸の変化に驚き、戸惑っていると、 わいわいとした話し声を聞きつけた幸村が 気だるそうに欠伸をしながら玄関にやって来た。 「おっ、幸村ー!大きくなったわねぇ!」 清音が幸村に気づいて大きな声を上げると、幸村はうるさそうに耳を塞いでみせた。 「このー。生意気なのは相変わらずだねぇ!」 清音は、そんな幸村の嫌味な態度に動じることなく幸村の両手を耳から外してしまうと 彼の耳元で「あー!」と叫んでみせた。 「っ!うるさいッ!!」 幸村が悲鳴にも似た声を上げると、清音はおかしそうに腹を抱えて笑った。 「清音。あまり幸村をからかわないであげて」 信幸が嗜めると、幸村は面白くなさそうに清音を見て言った。 「今更、真田に何の用?」 すると清音は、 「あれっ、信幸から聞いてない?」 と返した。 「聞いてない」 「嘘ダァ……。ま、いいや。 あたし、今日からここに住むから!」 「はぁ!?」 「旦那と離縁したの! だから真田に出戻りってわけ!」 カラッと笑ってみせた清音は、再びイナの方を見て言った。 「そっちの女中さんも、改めてこれからよろしくね! えーと、……『イネ』!!」
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