第一次上田合戦

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——どうしてだろう。 イナは、自分の胸のうちに湧き上がる黒い感情に戸惑った。 清音様は純粋に私の生い立ちに興味があって尋ねてきているだけだろう。 信幸様とも従姉であり幼馴染として、その人となりを語っているだけだろう。 信幸様についての事実と過去を話しているだけのこと。 ——それだけのことなのに、私の胸の奥に もやもやとした霧が渦巻いている。 こんな得体の知れない感情、持っていて気分の良いものじゃないのに…… 「あ、そうだ、イナ!」 イナが黙りこくっていると、清音は思い出したように目を輝かせた。 「半月後、真田の古参の者達が宴会を開くの」 「宴会……ですか?」 「そう。真田では年に数度、普段は屋敷の外で暮らしている顔馴染み同士も寄せ集まって 皆で楽しく飲もう、という会が催されるの。 私は嫁いでからの暫く参加できていなかったから、今から楽しみで仕方がなくて」 清音が嬉しそうな表情を見せると、 イナも笑顔を作り、言葉を返した。 「皆さん、清音様と久しぶりに会えるのは嬉しいでしょうね。 楽しんで来てくださいね」 すると清音は、間髪を容れず告げた。 「イナもいらっしゃいよ!」 「え……? でも——私のような者が参加しても良い催しなのでしょうか?」 「一人増えたところで変わらないし、多い方が盛り上がるでしょうし。 ——何よりイナにとっても、きっと楽しい夜になるから!!」 ——半月後の晩、イナは屋敷の家事をひと通り終えると 緊張した面持ちで宴会の広間に顔を出した。 元が内気な性格のため、大勢が集まる場所に行くことは不安で仕方なかったが、 清音に「ぜひ!」と念を押されてしまったからには断ることができなかった。 ちらり、と宴会場を覗くと、そこには知らない顔の家臣達が多く集まっており 頼みの綱だった清音はというと 輪の中心で家臣達と踊り歌い、笑い合っていたため イナが現れたことに気付いていない様子だった。 すっかり酒で出来上がり、楽しそうにしている家臣達の輪の中に とても入っていく勇気が出なかったイナは 精一杯急いで仕事を終わらせ、そのまま駆けつけた宴会場に 一歩も足を踏み入れることなくその場を去ろうとした。 すると広間の方から、覚えのある声が自分の名を呼んでいるのが聞こえて来た。 「——イナ!? なんでお前がこんなところに来てるんだよ!」 「えっ!……幸村?」 声に気付き、イナが驚いて振り返ると、 宴会場の隅の方で魚の丸焼きに齧り付いている幸村の姿が目に入った。 「お前さぁ、無礼にも程があるぞ」 幸村は魚の皮を噛みちぎりながら、呆れたようにイナに言った。 「この宴は真田の一族と、昔から仕えてくれてる家臣で開いた会なんだよ。 それなのに外モノで女中の身分のお前が 酒と音楽に釣られてやって来るなんて 馬鹿にも程があるだろぉ」 幸村がせせら笑うと、イナはカッと顔を赤らめ、瞳に涙を溜めた。 知らなかった……。 宴の席には、誰でも参加していい訳じゃなかったんだ。 清音様が私をお誘いしてくれたのは、 もしかしたらただの社交辞令だったのかもしれない。 それなのに私は社交辞令を真に受けて、のこのこやって来たりして…… イナは、すぐさまその場を去りたかったが、 幸村が大きな声で話しかけて来たため 彼の周りにいた家臣達は何事かと自分の方へ視線を向け始め、 大勢から一度に見つめられたことで緊張が過度に達したイナは 足がすくみ、その場から動けなくなってしまった。 どうしよう……。 このまま消えてしまいたいのに、身体が動かない……。 イナが涙目で震えていると、 広間の一番奥で、清音の隣に座っていた青年がスッと立ち上がった。 彼は颯爽とイナの元まで歩いて来ると、こう囁いた。 「——君を誘ってなくてごめんね。 楽しい音が聞こえて来たから、気になって見に来たのかな?」 「っ……信幸様……!」 「俺と一緒に飲もう」
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