第一次上田合戦

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「いもう、と……」 その言葉に、イナは膝から崩れ落ちるような感覚を抱いた。 ——信幸様が私に気がないことは分かっていた。 信幸様と結婚できる立場でないことも分かっていた。 だけど本人の口から、『妹のようだ』と言われて、どんな気持ちになればいい? 異性としてはまるで見られていなかったのだと落ち込むべきか。 赤の他人よりは近い間柄であるように感じてくれていたことを喜ぶべきか。 ——でも、どちらにしたって 私が信幸様に寄せる想いと、信幸様のそれが交わることはないと分かる。 「……イナ」 暫くの沈黙の後、信幸は決意したかのように顔を上げた。 「君に言わなければならないことがある」 「……何でしょうか……?」 イナが緊張した面持ちで返すと、 信幸は覚悟を決めたような顔でこう言った。 「——君が戦争孤児だというのは嘘だね?」 「ッ……!?」 イナは血の気の引いた顔で固まった。 すると信幸は、イナを気遣うように言った。 「君を責めるつもりはないよ。 ——あの場に現れたのが、真田家の甲冑を着た俺だったから 咄嗟に嘘をついてしまっただけだろう?」 「……信幸、様……。 私の……本当の私のこと、ご存知で……?」 「——君は本多忠勝殿の御息女だよね」 信幸の口からイナの素性が暴かれ、イナは目の前が真っ暗になった。 様々な思いが一気に頭の中を駆け巡り、思考も言動も追いつかなくなっているイナに対し 信幸は淡々と告げた。 「君はとてもよく働いてくれていると思う。 俺自身は、君にこのまま屋敷に居てほしいと思っているんだよ。 だけど—— 君の素性を知っているのは、俺一人じゃないんだ」 「——へ?」 暫くの間のあと、イナから情けない声が漏れる。 私が本多家の娘だということを知っている人が、信幸様以外にもいる? ……そもそも、どうして信幸様は私の正体を—— 「……だから、君の素性が俺の父の耳に入るのも時間の問題だと思う。 恐らく、君が本多家の人間だと知ったら父上は——」 「……私を殺す……でしょうか」 イナが震える声で尋ねると、信幸は「いや」と首を横に振った。 「そんなことはしないよ。 でも、君をここに置いておくことは許さないだろう……」 「……そう、ですよね……」 「だから、イナ。 よく聞いて欲しいんだけど……。 俺、君のお父上に文を出した」 信幸は、不安と恐怖で押し潰されそうになっているイナを 極力怖がらせないよう、いつも以上に優しい声で告げた。 「君のことをうちで庇護していることと、 君をお父上の元に送り届けるつもりであることを 誠意を込めて伝える文を出したんだ。 ……昨日、お父上から了承する旨の返書を受け取った。 だからイナ、明日、君を——本多家に帰すことにしたよ」 ——信幸から、突然の別れを宣告されたイナは 一度に多くのショックを受けたストレスで、そのまま気絶してしまった。 目が覚めた時には、イナは駕籠の中に乗せられていた。 訳が分からずパニックになりかけたイナに、 駕籠の外から信幸の声が聞こえて来た。 「起きた?」 「っ、信幸様!?これはどういう——」 「君が意識を手放している間に、駕籠に乗せたりしてごめんね」 駕籠?ここは駕籠の中なの? どうして—— あ。 そうか、昨日の晩…… イナが事態を飲み込み始めていると、顔は見えないが すぐ側から再び信幸に話しかけられた。 「分かって欲しい。 君も準備の時間が欲しかっただろうけれど、 父上の耳に入る前に、君を三河へ送り届けたかったんだ。 多分もう少ししたら、父上だけでなく幸村、屋敷のみんなにも イナの素性が知れ渡ってしまうだろうから 騒ぎが大きくなる前にと思って——」 「信幸様!!」 イナはたまらず、駕籠の中から信幸に問いかけた。 「ど、どうして……。 どうして私が父の……、本多忠勝の娘だとお気付きになられたのですか……? もしかして、私が真田家でお世話になり始めた頃から、とうに気付いて——」
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