犬伏の別れ

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「……」 イナは言葉を失い、ずるずるとその場に座り込んだ。 信幸様が昌幸様や幸村と決別したのは、 私の……ため……? その結果真田が分裂して、 真田の人が真田の人に攻撃をするという こんな地獄のような現状になってしまったというの——? 「……私の、せいなの……?」 「違う。兄上が決めたことだ」 幸村はそう言ったが、イナは地面に両手をついて身を屈めた。 「私が……この惨事の引き金になってしまった……?」 「戦の引き金を作ったのは、上杉征伐に乗り出した徳川家康と、その隙を狙って挙兵した石田三成。 真田の分裂も、兄上と俺がそれぞれに自分の優先したいものを選んだ結果だ」 「でも……あなたの言葉は、私が元凶になっていると言いたげだったじゃない!!」 イナが地面に向かって声を張り上げると、幸村は 「一端になってるのは事実だろ」 と告げた。 「でも、お前のせいだとは言ってない。 俺はただ…… 兄上がお前を思って徳川方に残ったのと同じように、 俺も利世を思って豊臣方についたんだということを理解して欲しかった。 お前を責めるつもりで言ったんじゃない」 「……ならばあなたは、利世とお腹の子を幸せにするために戦えばいい。 よく理解できたから」 暫くして、イナはゆっくりと顔を上げた。 「だからもう、信政に会いたいだなんて欲を出すのはやめて」 「……分かった」 幸村は諦めがついたのか、静かに答えた。 「そして——信吉のことも、必ず取り返すから。 誰が後継だとか、最早真田家なんかどうでもいいけれど…… 信吉を、昌幸様の政治の駒にはさせない」 イナが言うと、幸村は 「やりたいようにやれよ」 と返した。 「でも俺が父上と同じ陣営で戦う以上、 信吉を取り返そうとすれば、お前がさっき俺にそうしたように 俺もお前に刃を向けなきゃならなくなる。 できることなら、そんなことはしたくない。 だから——」 幸村はそう言うと、刀を鞘に戻した。 「今は退く。 けれどもし、次にお前と会ったら—— お前を殺すかもしれないから、覚悟しろよ」 幸村の言葉に、イナの背中がぞくりと震えた。 自分と幸村が殺し合う未来。 彼と真正面から刃を交えた時、自分は幸村に勝てるだろうか? 「……お前と話せるのはこれが最後になるかもしれないから、あと一つだけ言わせてくれ」 幸村は踵を返すと、イナに背中を向けて言った。 「俺がここに残っていたのは——本当は信政に会いたかったからじゃない」 「……え?」 「信政との親子の縁を自分から切ってしまった分際で、 信政の人生に介入するようなことはしちゃいけないと思ってる。 元気に育って欲しいとは願うけれど、俺が関わっていい権利なんかないのは心得ている」 「……じゃあ、なぜなの?」 「——本当は……俺が一目会いたかったのは、お前だ」 イナが言葉を失うと、幸村は腰に手を当てて深く項垂れた。 「……できることなら、お前のことも守ってやりたかった。 でも、お前を守る役目は俺じゃない。 お前が選んだのは兄上の方なんだから」 「……」 「最後に一目会えて良かったよ。 これでもう、思い残すことはなさそうだ。 ——それじゃあな」
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