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「——何……?」
忠勝が目を見開くと、イナは恥ずかしそうに両手で顔を隠した。
「……縁談は、家のために受けるべきものと心得ていたつもりでした……。
けれど、その御方を忘れて別の殿方へ嫁ぐことは、どうしてもできませんでした。
だから——出家の道を選んだのです」
「……そうだったのか!!
……初めからそう言ってくれれば良かったものを!」
忠勝は無念そうに拳を握り締めた。
「お前はその男と一緒になりたいがために、このような籠城戦を二年も続けていたのだな?」
「……」
「——それほどの思いがあるというのなら、
私に一言でも言ってくれれば、その者と一緒になることを後押ししたというのに!」
忠勝が言うと、イナは怪訝そうに顔を上げた。
「後押し、って……。
——父上は、家康様が決めた相手でなければ
私が殿方と一緒になるのを認めないのでは無かったのですか?」
「私がお前にそのようなことを一度でも申したか?」
「え?……あ……」
確かに言われたことはない。
でも、父上ならばきっとそう言うだろう、と——私がそう思い込んでいた。
「私はてっきり、お前がそういったことに頓着がないと思っていたゆえ
お前が若いうちに良い縁談を持って来てやろうと考え、家康様に相談していたのだ」
忠勝の口から意外な事実を聞かされたイナは、
驚くと同時に、再び諦めにも似た気持ちを抱いた。
「——けれど父上。
相手の名を言えば、きっと父上は反対します」
「なぜだ?」
忠勝が問うと、イナは口をつぐんだ。
「言ってみよ、イナ。
私は初めてお前の口から、お前の望みを聞けることに大きな希望を見出しているのだ。
——この二年、どれほどお前と腹を割って話したいと思ってきたことか……!」
忠勝に背中を押されたイナは、
再び呼吸を整えると、思い切って打ち明けた。
「……っ、私の想い人は、真田信幸様——。
家康様と敵対する真田家の、ご嫡男です……」
——沈黙が広がる。
イナは、その名を口にしたために
忠勝が動揺し、困惑しているのだろうと察した。
そうだよね……。
自分が戦っていた相手の殿方に惚れているなどと言われて、
父上も困っていることだろう……。
イナは、言ったことを後悔し始めていたが、
暫くして忠勝の口から出て来たのは
イナが思ってもいなかったものだった。
「——実は真田とは、和睦を結ぼうとしているところだ」
「え……?」
イナは驚愕した。
敵対していたはずの真田家と、いつのまにか和平を結ぼうとしていることを聞かされ、理解が追いつかなかった。
すると忠勝は尚も続けた。
「真田が今、主君として仕えている豊臣秀吉殿が
家康様との友好的な関係構築のために
真田に対し、徳川家と和睦するよう勧めているそうなのだ。
——家康様も秀吉殿と懇意にすることを望んでいるゆえ、
真田との交流を持つ準備を進めていたのだ」
そして、一瞬の間を置いた後、
忠勝はここ数年見せたことのないような明るい表情を浮かべた。
「——ならばこれは好機ではないか!」
「えっ?」
「お前が真田に嫁げば、本多家と真田家の和平の印となり、家康様もお喜びになることだろう!
これはお前にとって、家康様にとって、
そして我が一族にとって最高の選択ではないか!!」
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