第一次上田合戦

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部屋に入って来たのは、家に連れ帰ってくれた青年——信幸だった。 その後ろから、父親と思われる男も続けて入って来る。 信幸は、涙目で震えているイナと その隣で仁王立ちしている幸村を見比べた。 「……幸村?」 信幸が弟の名を呼ぶと、幸村はドキッと身体を揺らした後、慌てて言い訳を始めた。 「ちがっ……! こいつがいきなり泣き出したんだよ! 俺のこと『幸村殿』とか恭しく呼ぶからさ、 幸村って呼んで欲しいって言っただけなのにさ!」 「幸村。これから俺と父上とこの子で大切な話をするから、少し部屋を外して」 「ハイ!!」 幸村は威勢よく返事をすると、あっという間に居間から去っていった。 取り残されたイナが、緊張した面持ちで背筋を伸ばすと、信幸は 「そんなに緊張しなくていいよ」 と微笑み掛けた。 イナは少し表情を緩めたが、 信幸の隣に座っている父親が気難しそうに腕を組んでいるのが目に入り、唇を引き結んだ。 「——話は息子から聞いた。 だが、まずはこちらも自己紹介をしておこう。 私は真田昌幸……、この真田家の当主であり、 隣に座っているのが嫡男の信幸だ」 昌幸が言うと、信幸は軽く会釈をしてみせた。 「帰る場所を無くしたというお主には同情する。 だが、我が真田家は小さな国衆の長で 暮らしに余裕がある訳ではない。 ——とはいえ……」 昌幸はそう言うと、ちらりと信幸を見たあとに続けた。 「聞けば、信幸はお主に対し、責任を持つと言ってしまったそうだな。 信幸の軽はずみな言動は嗜めるべきであるが、それはそれとして 曲がりなりにも武士であり、真田家をいずれ担うこととなる信幸には 自分の言葉の重みに自覚を持ってもらわねばならない。 そこで——お主がここで暮らすことを望むのであればだが—— お主を真田家の女中として雇おうと考えているのだが、どうかな?」 「私を……雇う……?」 イナは目を見開き、昌幸の言葉を反芻した。 ——家に帰りたくはなかった。 帰れば、また父からしごかれる日々が待っている。 女であることに構わず、袴を着せられ、重い木刀を持たされて 息が上がってもなお木刀を振り下ろす手を止めさせてくれない。 女である私が大人になったところで 他の武士のように——父上のように戦える訳がない。 私も同い年の女人が嗜むような、生花や茶道を習いたい。 私も女として扱われたい…… 実家に帰ることに前向きでなかったイナだが、 同時にここで雇われるということは、 これまで自分がしたことのない作業——掃除や洗濯、料理などを任せられることになるのだろう、と考え それを自分にできるだろうかという不安に駆られた。 いや、そんなことはやっていけばいずれ慣れることだろう。 それよりも問題なのは、自分の素性が知られてしまうことだ。 そうなった時のことを考え、最悪の事態を想定したイナは 昌幸の申し出を断るべきだと結論づけた。 「すみません。私は——」 そう言って顔を上げ、口を開き掛けた時 昌幸の隣にいる信幸と視線が交錯した。 戦場で声を掛けてくれた時のように、透き通った瞳でじっと見つめられたイナは 自分が今結論づけたことと真逆の言葉が口元から出て来た。 「私は——ここでお世話になりたいです。 どうか、私を真田家に置いて頂けないでしょうか」
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