405人が本棚に入れています
本棚に追加
*
「唇、腫れちゃった……」
展示会ブースで御堂の部下である諏訪と大阪営業所の営業部社員に挨拶をしたとき、「唇、どうされたんですか」と訝しげに問いかけてきたのは諏訪だった。まさか新幹線で隣の人に痴漢をされました、など言えるはずもなく、間違えて噛んでしまったのだと適当に取り繕っておいた。実験中に誤って怪我をしてしまった、の方が自然だっただろうか。ちらりと窺った御堂はあまり納得していないかのように眉を潜めていた。初対面で彼のことは詳しくは分からないが、彼の洞察力はかなり鋭い、と思う。
展示会が始まる前にトイレで改めて確認をしてみると、血は止まっていたが傷になった部分が紫色に腫れてしまっていた。そこまで大きな怪我ではないが、こんな顔で、大事な商談の場に立つのが申し訳ない。
「あっ、お兄さん、さっきの」
「えっ……」
少しでも冷やせば腫れも落ち着くだろうかとハンカチを取り出して洗面台に置いたところで急に後ろから腕を引っ張られて口を覆われた。突然のことで理解が追い付かず、何が起きたのかと鏡越しに見れば後ろに立っていたのは先ほど新幹線で隣にいた男性だった。新幹線では座っていたせいで気が付かなかったが、身長も体格も、三神峯よりひと回りも大きくて簡単に振りほどくことができない。
最初のコメントを投稿しよう!