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2023年3月8日
邪魔臭いので山ほどある日記を一つにまとめようとしたら26作もあり、しかもタイトルのみで『いつからいつまでか』が分からなかったので三分で挫折。
タイトルにまずは日付を記入するところから始めないといけないようだ。
一覧でわかるようにね。
まとめたいと言えば、アルファポリスに上げている『世界で一番愛しい君』も一つにまとめたいのだが……。
ちょっと作風上難しい部分があるよね。
今日は特に書くこともないので、最近ずーっと考えていることの話でも。
このことについて考えることになったのは『LGBT法案』がきっかけ。揉めているのは心の性別により性別がいつでも変えられ、差別しないみたいなこんなやつ。
シス女性が懸念しているのは、もちろん性犯罪について。
心の性に従い風呂だのトイレに入れてくれはオカシイという話。
まあおかしいよね。トイレも風呂も性器で分けているのであって心は関係ないから。
そもそも心が女で男と入りたくないというのであれば、
『女が男と入りたくない』
という気持ちを理解できるはずなので。
その男とは股間に何かをぶら下げている者であって、心がどちらかは関係ない。それを理解できない以上、心が女だということの証明にはならない。
それはそれとして。
性趣向で言えば、異性愛、同性愛、バイセクシャル、パンセクシャルというのが存在する。
バイセクシャルはどちらの性別もOK(愛せる)
パンセクシャルというのはすべての人類から好きな人ができる可能性があるが、好きな人以外は無理というもの。
そして性別にはいろいろあるけれど、
肉体と精神の性別に違いのない男女。
異なるトランス。
そして中性や無性別。この辺は今回の疑問にはあまり関係ない。
俺がずっと疑問というか不思議に思っているのは、理論上はそうなんだけれど、あり得ない現象というもの。
例えば、自分が異性愛者だと言い張るのは良いけれど、男が心は男の肉体女性を好きになった場合。これは同性愛と変わらない。
反対もしかり。
なので純粋な異性愛者はどれくらい存在するのかなーと思う。
でも逆に考えた時、体は女、心は男で男が好き。これ、同性愛と言っても変ではないが、ゲイとはつき合えないんだよね。
それと同じで、自分が身体は男、心は女でレズというのは良いけれどレズビアンとつき合うことは不可能。
不思議だよねえ。
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