5人が本棚に入れています
本棚に追加
9
最後の一文字までゆっくりと目を通すと、視界が揺らぎ、霞んできた。
穏やかな笑みの裏側に、深い闇と孤独を隠し通して死んだ圭一さんは、どれだけ他人を思いやれる人だったか。
唇を噛みしめ、何とか涙を堪えるのに、精一杯だった。
「すみません。ここにいるのが俺で」と、圭二さんは声を上ずらせた。
ふと顔を上げると、文字の上にポタポタと涙がこぼれる。
「あ! 」
慌てて手で拭くと、インクが伸びてしまった。
「あぁ…圭一さんの文字が」
一人、狼狽する私に、「あはは」と圭二さんが初めて豪快に笑った。
我に返った彼は、コホンと咳払いをして、ぽつぽつと話し出した。
「俺、家を出た後、ホームレスやっていたんですよ。起業したんですが、ことごとく親父に横車を押されまして」
右手で首の後ろをさすりながら、彼は続ける。
「白波瀬圭二は、死んだも同然だった。兄貴のおかげで、また息を吹き返すことができたんです。あの夜、実家に呼び出した兄貴が、俺の一張羅のスカジャンを着ているのを見た時、何となく察しがついたんです。必ず、俺は一生をかけて会社を立て直します。兄貴と一緒に」
熱弁をふるっていたことに気付き、彼はハッとして口をつぐんだ。
「私も他言は致しません。圭一さんをお慕いしていましたから」
返事を聞くと、彼は眉根を寄せて、アイスティーを飲み干した。
「俺たちは共犯です。これから、世間を欺き続けなければならない」
コトンとグラスをテーブルに置き、彼は真面目な面持ちへと戻った。
「黒島さん、できることはさせていただきます。兄貴との約束ですので」
ビジネスバッグから小切手を取り出そうとする彼に、私は首を横に振った。
「ありがとうございます。圭一さんには、良くも悪くも一生分のいろいろな気持ちを頂きました。もう満足です」
彼は、引っ込みのつかなくなった手を宙に浮かせている。
私は、テーブルの下で彼の手にそっと両手を重ね、「でも、私は彼の愛人ですから。御用の際はいつでも」と上目遣いをした。
彼は身を翻し、「ご、ご冗談を」と言葉を詰まらせると、耳まで真っ赤になり、黙り込んでしまった。
それから私たちは徐々に打ち解け、圭一さんとの思い出を語り尽くし、明け方に散会することになった。
「では、お元気で」
丁寧に礼をして去っていく圭二さんは、彼とほぼ同じなのに、見知らぬ背中をしていた。
私は、後ろ姿が朝日に溶け込んでいくのを、ただ静かに見守っていた。
最初のコメントを投稿しよう!