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執筆に行き詰った水曜日の夜。
ベランダで外の空気を吸っていると、こちらに向かって手を振る圭一さんの姿があった。
七三の髪は風に乱れ、黒いコートを羽織り、マフラーをしているものの、白い息を吐き、鼻まで真っ赤になっている。
「え。今日、金曜じゃないよね」
素顔のままスリッパで階段を駆け下りると、彼は何も言わず、私をそっと抱き寄せた。
きっと、何かあったのだろう。
けれど、深入りはしない。
圭一さんのご家族には、常人には計り知れない暗い靄がかかっているからだ。
彼は、明治から続く財閥の子息らしく、父母と双子の弟と、大きなお屋敷で暮らしていた。
兄弟手を取り合い、ともに経営を学んでいたのだが、弟と父親の折り合いは悪かった。
父親の不遜な態度と旧体制を貫き廃れていく会社に、反発し続けた弟は、衝突を重ねた末、とうとう勘当を突き付けられたのだった。
以前、そう話してくれた彼の眼窩の奥は、弟に対する大きな愛に満ちていた。
「このままじゃ、会社が立ち行かなくなるのは目に見えている。本当なら、弟のような新しい風が必要なんだ。僕には、そんな求心力はないからさ」
追い込まれた時の彼は、目の下をクマだらけにして、見るに堪えないほど荒んでしまう。
その度に、「いざとなったら、この愛人が食わせてあげるから」とおどけると、また、いつもの微笑みが帰ってくるのだった。
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