1/1
前へ
/11ページ
次へ

 はやる気持ちを抑え、私は夜を待った。  その日は一日、何も口にできなかった。  なぜわざわざ店に呼び出すのだろう。  不思議と、喜びよりと訝しむ心が強かった。  朝から、あのストールとベージュのコートを着て、椅子に座り、時が流れるのをただ眺めていた。  ここから歩いて、バーまで五分もかからないのだが、私は九時を待たずに家を出た。  カウンターの奥の二席が、私たちの指定席だ。  入り口のガラス越しに覗くと、そこには誰もいなかった。  代わりに、テーブル席に一人、スーツの男が背を向けて座っている。  眉をしかめながら店のドアを開けると、男はこちらを一瞥し、腰を上げた。  黒のロングコートにマフラー、赤いネクタイ、金のタイピン、涼しげな目元に七三の髪型。  「圭一…さん? 」  けれど、まとっている空気が、明らかに彼のものではない。  男はバツが悪そうな顔をして、「こちらへどうぞ」と椅子を引いた。  促されるまま席に着くと、椅子の背を押しながら、彼はつぶやいた。  「黒島さん、はじめまして。白波瀬圭二です」
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加