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研究室に着くとすぐ、入り口脇のハンガーにローブをかける。室内では特殊な加工で発光させた床を採用しているから影が表れないように工夫されていて、ローブで隠す必要がない。こんな技術があるなら全国的に展開させればいいのにと思うのが素人の浅知恵というやつで、とんでもない費用がかかるために要所や公共の交通機関、学校やデパートなどの商業施設など多くの人が集まる場所に優先的に設置されていると聞いた。ちなみにうちの大学にはかなり早い時期から投入されていたらしく、理由を訊ねたら、ここで開発されたからだと至極明解な回答が返ってきた。なるほど理解した。
そもそも実験するのにローブなんか着てたら邪魔極まりないのは当然で、床の仕掛けは合理的ではあると思う。かくして俺は移動中以外は大概ローブなしで生活出来る恩恵を享受しているわけだ。これもひとつの特権階級というのだろうか。とりあえずパソコン片手に与えられた実験台へと向かう。
ふと窓の外に目をやると、空には満月が輝いていた。集中しているうちに何時間も経っていたようだ。ギシギシと固まった身体を伸ばして、そろそろ休憩にするかと小銭を握って学食に向かう。冬休み前の試験期間中だからか夜食時でも閑散としている。
キュッキュッと光る床を踏みしめながら食堂の自動ドアを抜けると、奥の隅っこのテーブルに見知った顔を見つけた。手を挙げると、ニコニコとした笑顔と共に振り返される。ここでの生活が何年経とうが、色転組を見つけるとほんの少しだけホッとする自分がいる。
彩影エリアの学術機関には俺のように連れてこられた色転組もいれば、元々このエリアで生まれ育った生粋の彩影持ちもいて、分け隔てなく同じように机を並べて学んでいる。流石、彩影持ちだけあってどこもレベルが高く「選民」というと聞こえは悪いがエリアが区切られる理由も頷けた。寡聞にしてまだ腐色を目の当たりにしたことはないが、無色エリアの人間と掛け合わせることで不都合が生じる可能性は十分にあるな、と思わせる民度の高さと遺伝子の優秀さを感じる場面は多々あった。
生まれながらに銀のスプーンをくわえた奴らと同等に戦うために、銀メッキのスプーンを日々磨き続ける俺たち色転組は立場が違う。そのせいか仲間内の結束力は高い。住む寮が違ってもそれは変わらない。
夕飯が重かったから夜食は軽めに山菜蕎麦とおにぎりだけにした。具は鮭しか勝たん。トレイ片手に食堂の隅に向かう。
「珍しく今日はお二人さん揃ってんのね」
「久し振り」
黒縁眼鏡に柔和な一重、痩せた身体を白衣に包んだひょろりと背の高い青年がふにゃりと微笑んだ。演算機だかロボットだか分からんが、その辺りの研究をしてるらしいFも色転組の一人で、大学を挟んで反対側に位置する寮に住んでいる。
どうも、と軽い会釈っぽい仕草を見せた無愛想なもう一人の青年はFと同寮の幼なじみだと聞いている。ゆるゆるとウェイブしたくせっ毛を肩の辺りまで伸ばしているせいで、パッと見は綺麗な女の子にすら見える。華奢な体躯をこれまた白衣に包んだMは天体について研究しているらしい。
「学生さんたちおらんから静かやね」
「ホントにねー、ちょっと淋しくない?」
「僕はこっちの方がいい」
もそもそと焼き魚をつつく箸が小鳥のような口唇へと運ばれていく。
「そっちは相変わらず?」
「そうだねー。新しい人も随分来てないし、やっぱりなかなか色転組って珍しいよね」
「寮っていってもうちはたかだか10人くらいしかいないしな」
年の近い二人とは同じ理系ということもあり、会えば話すが今日はとりたてて話題がある訳でもない。近況報告がてら世間話をぼそぼそと続ける。色転組の俺たちは後ろ盾もなく、このままこうして研究に携わりながら適齢期になれば、色を濁さず、より高位色の掛け合わせを作り出す実験台として結婚相手を斡旋され、モルモットのように飼い殺されていくんだろう。籠の中の鳥だ。
当たり障りのない会話をして先に席を立つ二人に手を振って別れる。同じ寮なら家族のような親近感も湧く。色転組同士なら仲間意識も高い。けれど所詮このエリアでは余所者かつ異端者である俺たちは、一個人としては迫害こそされないまでも居場所なんてない根無し草だ。政府のために、彩影のために、俺たちの中身なんて必要とされていない。強すぎる光に当てられた影は更に色を深める。本来なら主体であるはずの俺たちは、影の色に飲み込まれた、影よりも影らしい存在だった。
いつまでこんな生活が続くんだろうとウンザリすることにすらも飽いている。
死ぬまで変わらない。人の一生を物語とするならば、俺という本のピークはもう影に色がついた時点で終わっている。後はパラパラと読み流されるだけの退屈な場面が延々と続くだけ。俺の人生はもうあれからずっと、終わりの終わりを繋げている。
この朝が明けるまでは、そう思っていた。
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