暗香疎影

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「ういーっす」 「おはよう」 バカでかい声で食堂に入ってきたのは三つ下の後輩TS(ティス)と、同い年の友人T2(ティーズ)。空調がきいているとはいえ、冬だというのに半袖短パン姿のTSは、ここ数年は筋トレにハマっているらしく、背の小ささに反比例するように無駄にガタイが良い。寮の中でもズバ抜けて優秀なこの男、色転が起こったのは小学校に上がる頃だったという。 年代別に分けられている男子寮の中でも「(ヌシ)」といえばコイツのことを指すくらいの古参で、周囲にいる人間に良くも悪くも影響を与えまくる稀有なカリスマ性を宿した、新時代のリーダーのひとりだった。 既に幾つも起業して世間に影響を及ぼすムーブメントを創り上げる"稀代の天才"──なんて、表の顔は華々しいが実際に接してみると気さくで謙虚、努力家で気の好い奴でもあった。ただ生活能力がアホほど低いという欠点を除いては。おばちゃんたちが面倒みてくれる寮生活じゃなかったらとっくに汚部屋に埋もれて栄養失調で天に召されているはずだ。神様はコイツに才能なら何物も与えたくせに、生命維持に必要な能力だけは与えてくれなかったらしい。 その隣りでニコニコと笑っているT2は俺と同い年、色転したのは高校入学と同時だったという。少し長めの黒髪にアーモンド形の黒目、スっと通った鼻筋に血色の悪い薄い口唇、と正統派のハンサムと言って差し支えないこの男は物静かな学者肌で、リーダーを陰で支えるサブキャラ的優等生みがあった。 とはいえ堅物というわけでもなく、サブカルに詳しかったりアニメや漫画に熱中したりと趣味の幅も広く、後輩たちがバカやってる時も常にニコニコと微笑んで見守っている人格者。頼れる大人の雰囲気を醸し出すせいでちょっと近寄り難さもあったが、同じ年の俺にとっては気の合う親友ポジションというところ。一番よく話すし、一緒に時間を過ごす相手だった。 TSとT2は付き合いが長いせいか意外とウマが合うらしく、年も違うのによく一緒にいるところを見かけた。 「うえ、朝からうどんにトンカツ?消化器官どうなってんの?」 「それ俺同じことさっき言ったから!」 「聞いてねえよ、っつか声がうるせえ。あー、何でここには男しかいねえんだよ!俺は!可愛い女子と!夕飯が食いたい!」 アタシらがいるじゃないか!と奥のおばちゃんが叫んで笑いを誘う。俺は若い子がいいの!と無駄な抵抗をしながらTSがメニューを物色する、その後ろを涼しい顔でT2が追い抜かしていく。俺らの座るテーブルの向かい側に腰を下ろす、その手に持つプレートにのせられているのは典型的な和食の御膳。白米に味噌汁に焼き魚に卵焼き、とその容貌からは想像できないジジイ趣味なのがむしろギャップ萌え、とか言うんだろうか。 「アンタは今日の予定は?」 「研究室で文献」 「はぁー、十年一日、本の虫やな。ホントそれ以外することないんか」 「お仕事ですから」 研究室でうずたかく積まれた文献に埋もれ、昼夜なく活字を読み込む本の虫(ブックワーム)の彼は理系の俺からすると何の益体もない研究をしているように見えるが、人類の歴史という長い悠久の視座で見れば貴重な研鑽を積んでいるんだろう、多分、きっと。 モソモソと胃の中に美味いご飯を詰め込んで、腹ごしらえは充分。お先に、と席を立って自室へと戻った。 外出用のローブ片手に玄関に向かうと、外は既に真っ暗になっていた。彩影エリアではより厳密に色を濁らせない為に高品質の光学迷彩ローブが支給される。影を柔らかく隠すその布をまとってドアを開けると、ぶわっと夜の匂いがなだれ込んできた。 まだ本格的な冬が始まる前、露出した肌がチリチリと冷たさに弾ける季節。彩影エリアでも学術機関の集まったこの辺りは暗闇でも女の子ひとりで歩けるくらいには治安がいい。至る所に設置された暗視カメラや特設警備隊の巡回が治安維持に貢献しているらしい。 「さぁて、今日もお仕事頑張りますか」 夜目が効くように調整されたセンサー搭載のモノクルをかけて、ひとりごちながら闇の中へと踏み出した。
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