第1章

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第1章

 四月上旬の、ある日曜日。  雲ひとつない快晴の空の下、京都の地にはたくさんの観光客が行き交っていた。桜も満開の今はまさに観光日和で、こんな気分でなければどこを見ても、風景は目を楽しませてくれるに違いない。  そう、今の朝海(あさみ)は、観光を楽しむような気分では到底なかった。むしろ、早くこの地を去りたいと望んでいるくらいだ。  けれど慣れない土地で、受けたショックのあまりに道に迷って、来る時に降りた駅がどこかわからなくなった、なんて誰にも言えない。  誰にも助けを求めようもないままに、朝海はふらふらと町をさまよっていた。 (……バカにして……!)  まったく、何のためにこんな高いワンピースを買って、初めての美容院に飛び込んでメイクとヘアセットをしてもらったというのか。  何もかも、あの男の二枚舌に踊らされていただけだった。それに気づいたのが、今日だなんて。  幸せの頂点を目指すつもりだったのが、一転、絶望の底に突き落とされてしまった。  むしゃくしゃする、という表現ではすまない。  この世界の何もかもをひっくり返してやりたい、そんな気持ちだ。  だけどそんなことができるわけもないから、ヒール靴の先に憎い男の顔を思い浮かべ、蹴る真似をする。  ──と。  右足を軽く振り上げた拍子に、ヒールがすっぽ抜け、放物線を描いて車道に転がった。しかも、ちょうど通りかかった車のタイヤに踏まれてしまう。  げっ、と思わず朝海はつぶやいた。 (ツイてない……)  さらに今になって、周囲の視線がこちらに向いていることにも気づいてしまう。場所は、大通りの突き当たりにあるとても大きな神社前の、交差点。人の数も並みではない。  見るからにブランド物のワンピースで片足ヒール、おまけに転がった方は車に踏まれてぺちゃんこ。そんな状況の女がこれからどう行動するのか、周りが固唾を飲んで見ている空気が伝わってくる。  ヤバい、どうしよう。背中に冷や汗を伝わせながらそう考えていると。  ヒールを踏んづけて行き過ぎた、と思った車が信号を越えた所で脇に寄って止まる。その後部座席から降りてきた人物が、こちらに走り寄って来るのが見えた。  遠目にも背の高い、男性だ。見間違いでなければ、かなりのイケメンではないだろうか。  その判断は当たっていた。芸能人だと言われても疑わないような整った顔立ち、朝海より軽く二十センチは高いと思われる身長。細身に見えるが、不思議と弱々しい印象を受けない。そういう、何か特殊な存在感のようなものを放っていた。
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