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詰所に戻ると、誰もいない。
不穏な空気は感じられないが、何かあったようだ。
「どうした?何する?」
詰所に戻ってきた直近の後輩に声をかける。
「あ、遠藤さん、緊急入院です。高エネルギー外傷で精密検査後の方で、今のところ鎖骨骨折のみで他は問題ないそうで、整形病棟に来ました。明日オペ予定だそうです。」
「男性?もう入ってる?じゃあ、私行ってくるわ。情報もらわないとだしね。付き添いの人は?」
「はい、男性です。部屋の前に同僚の方がいました。空き巣の犯人追いかけて3階から落ちたんですって。プレートに名前入れただけで、他まだ何もやってません。」
「へぇ、勇敢だね。あと、他は変わりない?やることなかったら休憩行ってきて。」
「はい、今日はコール少なくて助かってます。次、高橋なんで声かけてきまーす。」
そう言って、後輩は1年目の新人高橋の元へ声をかけに行った。
夜間入院は詰所すぐ横の個室へ入れることが決まっている。
名前聞けばよかったな…と思いながら部屋へ向かうと、部屋の前に警察官の制服を着た男性が座っていた。よく見ると見覚えのある人だ。
空き巣を追いかけてって、そういうことか。と一瞬で理解する。
そして、まさか…と身構えつつも、冷静な自分がいることに驚く。
白衣とは不思議なもので、まさにメタモルフォーゼ。
これを着ると背筋が自然とシャンとして、いつもの弱気な自分はどこかへ行ってしまう。
おそらく、警官や消防士も同じではないかと思う。
「お疲れ様です。遠藤と申します。あの…先日は事故処理でお世話になりました。」
そう、病室前にいる警官は追突された日に対応してくれた先輩と一緒にいた方だった。
「え?あ、あ~!看護師さんだったんですねー…お世話になります。」
お互いに一礼して、部屋ノックしようとした瞬間、部屋のネームプレートが目に飛び込んでくる。
乾 祐司
…やっぱり。
ふぅ、と大きく息を吐いて、平常心を心掛ける。
コンコンコン「失礼します、乾さん…」
私は控えめにノックして入室し、静かに声をかける。
「はい、すみません。お世話になります。」
先輩はベッドの上で横になりながら痛くない体位を模索しているようで、体の位置を微妙に調整している。
私にはまったく気づいていない様子だ。
「ベッド、頭少し起こしましょうか。」
「あー、助かります。お願いします。」
私は足元にあった電動ベッドのリモコンを操作する。
ウィーンと機械音とともに上半身が起き上がってくる。
病院の寝巻に、肩バンドをして、左頬には傷あてガーゼが貼ってある。
上体が起き上がり、やっと目が合った。
先輩は「あれ?」と言って、前のめりになる。
「イテテテテ…って、まじ?」
痛がりながら驚く先輩の姿が滑稽でつい、笑ってしまう。
「はい、遠藤です。」
「まじかー…この病院だったんだ。」
先輩はそう言って、左肩を抑えて苦痛の表情を浮かべながらも、私の全身を眺める。
「白衣、似合うね。」
「ふふふ。ありがとうございます。ヤバいねって言われなくてよかったです。」
「ははは、なんか昔そんな話したっけね。」
夜中なのでコソコソと話して、クスクス笑う。
「あ、付き添いの同僚の方、もう帰っていただきますね?そして、夜中に悪いんですけど、ちょっとだけ情報とらせてください。」
「あー、はい。お願いします。」
必要書類にサインをもらって、同僚の方にはお帰りいただいた。
緊急連絡先、病歴、アレルギー、家族構成など、必要な最低限の情報を聴取する。
「なんだかこの間と立場が逆転しましたね。」
「本当だな。」
患者の寝巻を着ていても先輩はやっぱり素敵で、胸は高鳴り、緊張はするが、看護師と患者としての立場からか、気負うことなく話すことが出来た。
「明日、手術の付き添いはどなたが?」
「あー…母親かな。」
白衣の力を借りて、少し踏み込んだ質問をしてみる。
「立ち入ったことですが、婚約者さんにはお伝えになられました?」
「…うん、Lineで。彼女、今、海外出張中でシンガポールだから。」
先輩はそう言って苦笑いをする。
「すごい、キャリアウーマンなんですね。」
そう返した私の言葉に先輩は「そうなんだ」と言って俯いた。
私は、先輩が寂しそうな目をしたのを見逃さなかった。
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