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Ⅸ
空が闇を帯び始めた時、先輩は私の手をとってアパートの自室へ導いた。
そして玄関入ったところで靴も脱がずに「別れたくない」と、かすれた声で言った。
きっと、もっとたくさん言いたいことがあったと思うけれど、私の体調を気遣ってか、それ以上のことは言わなかった。
薄暗い部屋の中で、先輩の横顔の頬に一筋の涙が伝ったのが見えた。
私は先輩の背中に体を寄せて、静かに泣いた。
本当は私だって別れたいわけじゃない。
手放したいわけじゃない。
先輩の背中も小刻みに揺れる。
私たちはその晩、静かに泣き明かした。
「信じてほしい。気持ちは変わってないし、変わらないから。」
空港まで見送りに来てくれた先輩が、長い長い沈黙を破ってそう言った。
先輩は腫れぼったい瞼を持ち上げた瞳で、真っすぐに私を見つめる。
それから、私の両手をギュッと握た。
「私も…だけど、苦しい…」
私は俯いてそう応える。
「キス、してもいい?」
先輩はそう言って返事も待たずに私の顔を覗き込むように腰をかがめて、唇の端にキスをした。
そして、片方の手で私の頬を持ち上げて、今度はしっかりと唇に自分の唇を重ねた。
人目も気にせず、離れるのを惜しんで、長い時間唇を重ね合った。
これが、私たちの最後のキスだった。
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