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Ⅹ
先輩の所に行った日から3ヶ月が経っていた。
先輩とは、あれからたまに電話で近況報告をしたり、たわいもない事を当たり障りなく話す。
先輩は警察官採用試験に合格し、春から警察学校に行くことが決まった。
私は国家試験に向けて、勉強もラストスパート…
とにかく、覚えなくてはならないことが多くて、やってもやっても不安はなくならない。
集中して勉強したいのに、ここ1ヶ月くらい、嫌がらせ電話がかかってくるようになった。
最初のうちは無言電話だった。
非通知のため着信拒否をしたら、今度は「やらしい声聞かせて」だとか「俺のイク声聞いてて」だとか、卑猥な内容で毎回違う男からの電話。
知らない番号からは出ないようにしたのだが、日に日に着信数も増えて、私はスマホの電源を切った。
そんな余計なストレスを抱えたまま、試験当日。
クラス全員で試験会場までバス移動というのがここ数年のお決まりになっている。
今年も前年に習って、学校に集合して全員で貸切バスに乗り込んだ。
車内は、最後の最後までとテキストにかじりつく者や、瞑想する者、ハイになって終わった後の事を話す者と様々だ。
「ちょっと、静かにしてよ!」
テキストにかじりついてる組が怒り出す。
私はそんなピリピリした空気を感じながら、窓の外をぼんやり眺めて、赤い車の数を数えたりしていた。
「ヤヨ、大丈夫?」
気づけば、席を変わって隣に座った一樹が声をかけてきた。
「…うん、なるようにしかならないよね。」
小さくため息をついて、笑って見せた。
「昨日送ったLine既読つかなかったから、なんかあったのかと思って…」
「そっか…ごめん、イタ電くるから電源切ってる」
「なんか、そんなん言ってたよね…なぁ、俺でてやろうか?男出たらこなくなるんじゃね?」
一樹は心配そうにじっと私を見つめる。
困っている人を放っておけない性格の一樹は、こんな時にまで私の心配なんかして…
申し訳なさでいっぱいになる。
「こんな試験前にする話じゃないよね、ゴメン…とりあえず、試験乗り越えてからだ。」
「…うん、まぁ、そうだな。」
一樹はそう言って、私の肩をポンポンと叩いた。
そして、「やる事やったんだから、みんな大丈夫、落ち着いていこうぜ!」と、大きな声でみんなへ向けて言った。
「そんなこと言って、一樹が1番ビビってるんでしょ?」などと、返されてバスの中が笑いで包まれる。
ピリピリした空気が、一気に和らぐ。
あぁ、本当、一樹はすごいな…
こんなにも人に癒しを与えられる。
人の心の痛みに気づくことができる。
素敵な看護師になるんだろうな…
私は、自分のことで精一杯で余裕なくて…
情けない…
ネガティブな思考に押しつぶされそうになりながら、試験に挑む。
緊張で腹痛に襲われたけれど、始まる前に飲んだ薬がよく効いた。
もしかしたらプラセボ効果なのかもしれないが、お腹の弱い私にいつも祖母が飲ませてくれた黒くて臭くて苦い腹薬。最近になって苦くないタイプも売っていることを知って、今日もそちらにお世話になった。そのおかげで、なんとか無事に試験を終えることができた。
「終わったー!」
会場のあちらこちらから、長い間の苦しみから解放された喜びの声で沸いている。
同じ志を持つ人たち、苦しみを乗り越えてきた人たちの笑顔がキラキラと眩しい。
(実際には目の下にはくまがあって、ストレスで痩せたり太ったりしているのだが)
帰りは現地解散。
この後は、実習グループメンバーで飲みに行くことになっていた。とは言っても、まだ16時前。試験会場の目の前にあった公園のベンチに座って、一樹が「どこにしようか?この辺から少し移動して…」と、お店を決めるためにスマホで調べる。
私は、お店を決めるのは一樹たちに任せて、恐る恐るスマホの電源を入れた。
着信64件。
背筋が凍りついた。
知らない番号を無視して、先輩の着信履歴を見つける。
今朝、電話くれていた。
私は皆に「コンビニ行ってくる」と告げて、その場を離れた。
交差点を越えたところのコンビニへ向かいながら、先輩の番号をタップして、8コール目。
『はい、もしもーし』
女の声。
頭にあの艶かしい唇がよぎる。
藤田美紀だ。
私は頭が真っ白になり、震えていた手がさらに震える。
「ゆ、祐司は?」
私はやっとの思いで声を出す。
心臓が激しくなって、息があがる。
『祐司は、今シャワー浴びてるよー声かけてこようか?』
私は藤田が話している途中で電話を切った。
横断歩道を渡り終えてコンビニの前、震える手でスマホを握ったまま動けない。
ハァハァ…
呼吸が荒くなる。
やばい、落ち着け…
ふぅーと大きく息を吐いて、呼吸を整えることに集中する。
握りしめたスマホにピコンと、メッセージの通知音。
恐る恐る開くと先輩のスマホからで、写真だった。
先輩の部屋、先輩のベッドの上。
寝ている先輩の隣に上半身裸で布団に入っている藤田美紀が写っている。
私は思わずスマホを落としてしまった。
腹の底がえぐられるような感覚に襲われ、吐きそうになる。
うまく息ができない。苦しい。
そして、まともに立っていられなくなってしゃがみ込もうとした時、コンビニから勢いよく出てきた人とぶつかった。
そして、次の瞬間、
キキーッ!ドン!
車のブレーキ音と鈍い音がした。
ハァハァ…
息ができない。
苦しい…
遠のく意識の先で、私のスマホが鳴り響いて、ブルブル動いている気がした。
「ヤヨ‼︎」
「きゃー、弥生ちゃん!」
横断歩道の向こうから、一樹と友達が駆け寄ってくるのが見えたのを最後に、私は意識を失った。
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