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先輩は無事に手術を終え、リハビリも開始しているらしい。
状態も安定しており、手術をした鎖骨以外に問題はなく、歩けるため部屋も詰め所から一番遠い大部屋に移動していた。
バタバタとまた忙しい夜勤が始まって、私はナースコールの対応に追われる。
部屋の担当にはならなかったので、情報でしか先輩のことを知ることが出来なかったが、それで良かったのだと思う。
これ以上、踏み込むべきではない。
しかしそう思う反面、婚約者の話をしたときに見せた先輩の寂しそうな目が、頭から離れなかった。
今回もまた術後の臨時入院が入り、やはり朝まで忙しく、余計なことを考える暇などなかった。
日勤への引き継ぎを済ませ、終わらなかった記録をPCに向かって打ち込む。
詰め所の一番奥、薬剤の保管場所近くのデスクトップのPCは、残業用として使われることが暗黙の了解となっていた。
私は睡魔と格闘しながら記録を打ち込んでいると、担当部屋の薬剤をとりにきた同僚の話し声が耳に飛び込んできた。
「乾さん、今日退院するんだってね」
「え、予定では明後日だったよね?」
「明日、明後日と外来通院する条件で、退院許可でたらしいよ」
「なんだ、そうなんだ〜…貴重なイケメン帰っちゃうのか〜残念…」
「あ、遠藤さん」
一人の同僚が私の視線に気づき「うるさかったですね、ごめんなさい。すぐ消えまーす。」と、ふざけて敬礼ポーズをして薬剤の入ったカゴを持ってそそくさと仕事に戻っていった。
先輩、退院するんだ。
予定より早くなんて…
私がいるから気まずいのかな…
それにしても、33でもまだまだ若い子に人気あるんだなぁ…
そんな雑念が睡魔と交互に襲ってきて集中できず、やっと記録が終わって帰れたのは10時半すぎだった。
私は院内の売店に寄って、サンドイッチとパック豆乳を買った。そして病院を後にしようとしたとき、どこからか「弥生」と呼び止められた気がした。
辺りを見渡すと、総合待合の端の椅子に先輩が座っていた。椅子の横にはそれなりの荷物があって、退院するところのようだ。
「先輩、もう退院するんですか?」
私は先輩の隣に一つ間隔を空けて腰を下ろした。
もう疲れ過ぎていて、立っていたくなかったのだ。
「うん、退屈だし身体鈍るし。」
「無理して早く出なくても…」
私がいて気まずいから?と、聞こうかと思って、思いとどまる。
「まぁ、そうなんだけど、ベッド開けてた方が必要な人が入れるでしょ」
「また…そういう他人の事ばかり…」
本当に、優しすぎる。
そこが良いところでもあるのだが、みんなに優しいのは、時に人を傷つける。
ブブブと、先輩のスマホのバイブ音がして、先輩はスマホを操作しながら「まじかよ」と小さく独り言。
「どうかしました?」
「んー…母親が迎えに来ることになっていたんだけど、急にパート頼まれてタクシーで帰ってこいって…」
「あらら…って、この荷物、これは運んじゃダメですよ。まだ荷重禁止です。…私、送りますよ…」
私はそう言って、先輩の荷物を先輩に持たせないように奪って「こっちです」と、駐車場まで先導をきる。
半ば強引に先走ったが、迷惑だったかもしれないと、恐る恐る振り返る。
先輩は握った手を口元に当てて、笑いを堪えているようだったが、クククと声が漏れた。
「な、なんで笑うんですか?」
私は少し口を尖らせて聞いた。
「そういうとこ、変わらないなと思って。」
「…そういうとこって?」
「んー…いつもは引っ込み思案のくせに、困ってる人を放っておけなくて、ちょっとだけお節介になるとこかな。」
先輩は屈託のない笑顔を見せてそう言った。
「えーひどい、しかも変わってないって…」
「いや、褒めてるんだよ?ありがたいなーって」
「本当かなぁ…」
「本当本当。夜勤で疲れてるのにごめん、ありがとう。」
職員用の駐車場までは徒歩10分程あるのだが、その道のりも、同僚の話だったり同室者の話だったり、共通の話題に尽きずあっという間だった。もちろん、守秘義務があるため当たり障りのないことしか話さないのだが、それでも十分に盛り上がった。
さっきまで疲労困憊で眠かったのに、先輩との何気ない会話が楽しくて、なんだかこそばゆく、気持ちも高揚していた。
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