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追突された愛車は、まだ修理から戻らない。
代車のコンパクトカーの助手席に乗り込んで、先輩は申し訳なさそうに「ごめん、お願いします」と言った。
先輩の実家は私の実家と近いが、ここからは車で約20分程。
先輩とドライブ、初めてのことに私は妙に緊張してきた。
「今更ながら、警察の人乗せての運転、すごく緊張しちゃう」
「ははは!でも弥生、ゴールド免許でしょ。」
「そうだけど…」
先輩に名前を呼ばれる度に、胸がキュっとなって、気持ちがあの頃へと引き戻される。頭ではわかっているのに、心は勝手にときめいてしまう。
「弥生の足はすっかりいいの?」
「え?」
先輩からの脈絡のない質問に、一瞬思考が停止する。
「あ、足?あ、あぁ…全然問題なく、走れますよ?」
私はそう言ってから「あぁ、鎖骨!心配ですよね…でも、ちゃんと良くなりますよ。」と、付け加えた。
それとほぼ同時に、先輩が小さい声で「そっか…もう、10年だもんな。」と言ったように聞こえた。
一瞬、沈黙したが、すぐにその沈黙を破って先輩のスマホが鳴り出した。
「あ、ごめん、ちょっと出るね。」
私は黙って頷く。
先輩が「はい」と言った後、すぐに電話口の向こうから微かに女性の声が聞こえた。
婚約者だろうか。
やましいことなんか何もないのに、なんだか罪悪感に襲われる。
「うん、大丈夫。しばらく実家にいるから…心配ないよ。そっち立て込んでるんでしょ?体に気をつけて…無理しないで…うん、うん、じゃあまた…」
先輩は電話を切ると「わるい」と言って、窓の外を眺めた。
赤信号で停車した時に先輩の横顔を盗み見ると、やはりどこか寂しそうな目をしていた。
事情はわからないけれど、きっと先輩は言いたいことを飲み込んで、相手のために色々と我慢しているのだろうな…
私はあの頃、余裕がなくて、自分のことばかりで、先輩が抱えていた苦しみを理解しようとしなかった。
そばにいてほしい、頑張ってるねって労ってほしい、自分だけ見てほしい、心配をかけさせないでほしい…
ほしいほしいばかり、自分ばかり、私は先輩のために何かしてあげられていた?
あの頃、先輩も今と同じようにこんな寂しい目をしていたのかもしれないな…
そう思ったら急に胸が締め付けられて、鼻の奥がツンと痛んだ。
うっかりホロリと涙が一粒零れ落ちてしまって、私は慌てて涙を拭った。そして、その手が宙ぶらりんにならないように、私は適当に流れていたラジオのチャンネルを変えた。
リクエスト曲なのか、ラジオからはひと昔前に流行ったポップな音楽が流れてきた。
「弥生、俺、弥生のこと忘れたことなかったよ…」
先輩が突然、沈黙を破って口を開いた。
聞き間違いじゃないだろうかと疑いたくなるような内容に、私はどう反応して良いか分からずハンドルを握る手に力が入る。
「いっぱいツラい思いさせて、傷つけたよね。あの頃は、気持ちがあればどうにかなると思ってた。若くて未熟で、どうしたらよかったのかって、ずっと考えたりして…」
先輩はまっすぐ前を向いたまま、淡々と話す。
私は言いたいことを言葉にできず、首を横に振った。そうすることしか出来なかった。
何か一言でも口に出したら、涙が溢れ出そうだからだ。
「ごめん、こんなこと話すべきじゃないのかもしれないけど、なんか別れ方もあんなだったし、10年も経ってるのに終わってた気がしなくて…」
先輩も同じ気持ちだったことが嬉しいと思う反面、会ったこともない婚約者が脳裏にチラつく。
先輩の家に到着し、車を停車させて私は恐る恐る先輩の顔を見た。
先輩は真っ直ぐ揺るぎなく私を見つめていた。
あまりに真っ直ぐ見つめられるものだから、私は動揺して目を伏せた。
「ごめん…なんか、俺…看護師の弥生が頼もしくて…」
「…いえ」
「ちゃんと、話したいってずっと思ってたんだ。もし弥生が迷惑じゃなければ時間作って、また会えないかな…」
私は「そうですね…」と曖昧に返事をして、玄関口まで先輩の荷物を運んだ。
私の思考は完全にキャパオーバーだった。
心臓が口から飛び出しそうなくらい動揺して、手は震えがとまらない。
「じゃあ、番号…」
先輩とケータイの番号を交換して、先輩の家を後にした。
私は、震えの止まらない手でハンドルを握り、実家へと車を走らせた。
「あらあんた、なに急に、何も無いよ?」
突然の帰省に驚きながらも、食事の心配をしてくれる母の姿が妙に安心感を与えてくれる。
「サンドイッチあるから大丈夫。」
少しだけ平常心にもどって、サンドイッチと豆乳をお腹に入れて、リビングのソファーに横になった。
「あんた、夜勤明けなの?そこで寝ないで部屋で寝なさいなー…」
母が怪訝そうに言うのを無視して、先ほどワンギリされた先輩の電話番号を、電話帳に登録した。
懐かしく見慣れた番号。
変わってないんだ…
その番号を眺めながら私は眠りに落ちた。
母の小言は子守唄となった。
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