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先輩との約束の日。 私は先輩の実家まで車を走らせた。 「迎えに来てもらっちゃって、悪いな。」 家の前で待つ先輩の横に車をつけた。 今日の先輩は、紺色のスラックスにジャケットとセットアップでキレイ目のコーディネートだ。 私は黒地に大きな花びらの柄がプリントされたエーラインの大人ワンピースにした。膝が隠れるようにマキシ丈のものを選んだ結果だ。 両方の手のひらに絆創膏の二枚貼り。 ハンドルを操作すると、傷に当たって時々チクリと痛む。 平日ランチ、イタリアンのお店を予約してくれているため、先輩を乗せて店へ向かった。 学生の頃にも行ったことがあるところだ。店名はそのままだが、代が変わり移転して、先代の店よりもずっとお洒落になっていて驚いた。 「なんだかちょっと雰囲気変わりましたね?大人っぽくなった感じ…」 席に案内され、テーブル席に向かい合って座る。私は先輩を直視できず店内をキョロキョロと見渡した。 「弥生…今日元気ないね、疲れてる?」 眠れず、泣きはらした目は化粧でも隠せていないのだろう。 車の中でも、先輩の話に相槌を打つくらいしか出来なかった。 「ちょっと仕事が忙しくて…」 サラリと嘘で誤魔化す。 「そっか…大変だな…」 先輩はそれ以上追及しなかった。 私たちは日替わりのパスタランチを注文し、当たり障りのない話をする。 仕事の話や、昔の話、共通の友達の話など、話題は尽きない。 穏やかな先輩の眼差しと口調はやっぱり魅力的で、くすぐったい気持ちにさせられる。 それなのに、一樹の昨日の苛立った口調と悲しい顔が頭から離れず、気分は沈んだままだ。 「手、どうした?転んだの?」 私は、手のひらを見えるように両手をテーブルの上に乗せた。 「昨日、転んじゃって…膝も擦りむいて、子供みたいですね…」 先輩は少し呆れ顔で「何か慌ててたの?」と言った。 それから、私の手の方へと右手を伸ばした。 「お待たせしましたー…あ、すみません…」 先輩の手は、私の手に触れるか触れないかのところでウエイターに阻まれ、伸ばしかけた手を引っ込めた。 その後はなんだか気まずくなって、静かな食事となった。 大好きだったペスカトーレの味は、すっかり変わってしまっていた。 「弥生…」 沈黙を破って、先輩が口を開いた。 「あのさ…直ぐにってわけにはいかないんだけど…」 心臓が激しく高鳴った。 そして、生唾を飲んで言葉の続きを待った。 「…やり直せないかな、俺ら…」 先輩の真っすぐな眼差しに吸い込まれそうになる。 鼓動が早くなって、足が震える。 私が何も言えずに黙っていると、先輩は続けた。 「婚約しているから…ちょっと時間はかかるけど…」 先輩が目を逸らす。 後ろめたい気持ちが表れている。 私は黙ったまま、先輩を見つめた。 「…って、順番おかしいよな。ちゃんと清算してから言えたら良かったんだけど…ズルいな俺…」 ずっと忘れられずにいた先輩からの告白。 嬉しいはずなのに、素直に喜べない自分がいる。 婚約までしたのに、簡単に別れられるの? 先輩のあの淋しそうな目は、本当は傍にいたいからなんじゃないの? それに… 昨日、一樹が見せた悲痛な顔が頭をよぎる。 無性に一樹に会いたいと思った。 一樹にあんな悲しい顔させたくない… 傍にいたい… 私は静かに口を開いた。 「先輩、私、先輩と別れて後悔しました。どうして好きなのに別れちゃったんだろう、どうして先輩を追いかけなかったんだろうって…でも、苦しんだり傷ついたりすることがこわくて、逃げた。再会したとき、本当に嬉しくて、タイムスリップしたみたいに気持ちが高ぶった…今もだけど…」 私は、自分の気持ちを言葉にすることに努めた。 素直に自分の想いを伝えられなかったあの頃とは違う。 私は一呼吸して続ける。 「私たちは、好き合っていたのに別れました。だけどあの後、どちらも会いに行こうとしなかった…結局、自分が一番かわいかったんですよね…」 先輩は私を真っすぐ見据えて、黙って聞いている。 「先輩は、婚約者さんのこと好きでしょう?先輩が婚約者さんの話をしているときの表情とか、電話しているときの淋しそうな顔を見ると、好きなんだな…って思います…そして、私は…大事な人が一番近くにいたことに失いそうになって気づかされる大バカ者です…」 私はそこまで一気に話して涙ぐむ。 ゆるゆるの涙腺に踏ん張る力は残っていない。 ボロボロと涙が流れ落ちる。 先輩が困り顔で笑った。 「すぐ泣くところは変わらないけど…変わったな。大人になった…俺はズルくなった…なんか恥ずかしいわ。」 先輩はハンカチを差し出しながらそう言った。 私は「大丈夫」と断って、自分のハンカチを出して涙をぬぐった。 「でも、先輩の気持ち嬉しかったです…10年ってやっぱり長いなぁ…」 「そうだな…」 「先輩、婚約者さんとちゃんと向き合って、話してください。自分の気持ち押し殺しちゃダメです。」 靄のかかった森の中を彷徨い歩いていた所に、一筋の光が差し込んで出口を見つけたような、そんな気分だ。 今日、先輩に会ってよかった。 心から笑って思いを伝えることができたし、それができた自分を誇らしく思った。 早く一樹の顔が見たい、そして伝えたい… 一樹のそばにいたいと… 好きだと…
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