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こんな時に限って、勤務時間のすれ違い。
一樹は夜勤で、私は日勤だ。
場所も違うため、顔も合わせることができずでもどかしい。
『会って話がしたい』とLineしたのだが、既読スルーされている。
今までそんなことは日常茶飯事だったくせに、一樹への気持ちに気づいた途端、返事をくれないのは私の身勝手さに嫌気がさしてしまったからではないかなどと不安になる。
仕事は順調に終えたのだが、記録に集中できず結局退勤は18時を過ぎてしまった。
どうせ返事は来ていないんだと、期待をせずにスマホを見ると『家で待ってる』と一樹から返事が来ていた。
私は一目散で一樹の部屋へ向かった。
今度は転ばないように、エントランスは走らずに急ぐ。
あんなに直ぐにでも会いたいと思っていたくせに、一樹の部屋の前に来ると急に怖気付いて、緊張し始める。
恐る恐るドアフォンを鳴らすと、心落ち着くままなく直ぐに一樹が出て来た。
スウェットにTシャツというラフな姿だが、寝起きではなさそうだ。
不機嫌な顔で私を見下ろしている。
「上がってもいい?」
「あぁ…」
私はドアを押さえてくれている一樹の腕の下をくぐって部屋に入る。
物の少ない整った部屋。
まだ引っ越しの準備はされていないようで、少し安心した。
「この間はごめん。一樹の気持ちも考えずに勝手なこと言って…」
私はそう言って一樹を見るが、一樹は表情を変えず無言のままだ。
私が何から話し始めるべきかと迷っていると、一樹がため息混じりに「それで、それだけ言いに来たの?」と気怠そうに言った。
その声色とは違った熱を帯びた視線を感じる。
「一緒に行く…沖縄」
咄嗟に出た言葉がこれだった。
「は?」
一樹は呆気に取られたような顔をしている。
「私、一樹が好き…みたい…です…」
ハッキリ言おうとしたのだが、途中まで言って急に恥ずかしくなる。
「俺に同情とか、まじやめろよな…先輩くんどうしたよ…」
一樹は私から顔を逸らして、整えられているベッドに腰掛ける。
私は一樹と向かい合う形で床に座り込んで、一樹を見上げて、先輩に会ってきたことを話した。
「異動のこと聞いて、自分のわがままな気持ちぶつけて一樹を怒らせちゃったけど、一樹がいない人生は考えられないと思ったの…先輩のことはやっぱり、ずっと好きだった人だから忘れられなかったし、たぶん忘れられないけど…でも、先輩との未来は考えられなくて、それ以上に一樹を失いたくなくて…」
一樹の表情が少しだけ緩んだように見えた。
「忘れられないんだ…」
静かな声で一樹が呟く。
「うん、勝手なこと言ってるけど、正直な気持ちだから…それはごめ…」
最後まで言い終わらないうちに、手を引かれて一樹の腕の中に抱き寄せられた。
「後悔しない?」
一樹は私の肩に額を乗せて、甘えた声で私に聞く。
「しないよ。一樹と離れる方が後悔する…」
私はキッパリそう言って、一樹の背中にそっと手を回した。そしてその手に力を込めた。
一樹が私の肩から顔を上げて、私を見つめる。
潤んだ瞳が真っ直ぐで優しい。
私たちはフフフと微笑んで、どちらからともなく唇を重ねた。
好きだと気づいたにしても、長年友達だと思っていた相手との恋人めいたムードが、恥ずかしいやら可笑しいやらで、私はどうしても笑ってしまう。
「ヤヨ、笑うなって…」
一樹はそんな私に呆れ顔をするが、一緒になって笑っている。
それから、何度も私の頬や瞼や口に唇を這わして「好きだよ、ヤヨ、離さない」と甘い声で囁いた。それから、ギュッと身動きがとれないほどに抱きしめられる。
思い返せば、辛い時、悔しい時、心細い時、いつもそばにいてくれた。そして、抱きしめてくれていた。私はいつもこの温もりに慰められて、励まされて、癒されてきた。
今度は私が一樹を支えたい。
「ずっとそばいてくれてありがとう…これからは、私も一樹の支えになるからね…」
私は笑うのをやめて、真剣にそう言ってから、さらに「結婚しよう」と続けた。
一樹は嬉しそうに「うん」と言って、目を細めて微笑んでから、唇を重ねる。
今度は笑うことなく、甘くて深いキスとなった。
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