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「遠藤さん、8号室の矢野さんのルートがとれなくて~…」
「わかった、今行くね。」
総合病院の整形外科病棟。
急性期の病院のため、平日は朝から新規の入院や手術前の準備で忙しい。それに加えて鳴りやまないナースコール。
次々にこなしていかないといけないミッションが山積みなのに、思い通りに事が運ばないのが常だ。
看護歴10年。ベテランの域だ。
これまでに結婚して辞めていく同僚を何人見送っただろう。
産休・育休ののちに復帰してくる者もいる。しかし、それと同じくらい独身の仲間も多くいるため、特に気にする必要のない世界なのだ。
「やっぱり、さすが遠藤さん、神ですね。ありがとうございます!」
ルート、つまりは点滴用の針を静脈の血管に刺すのだが、私はこれが得意だ。
もう10年もやっていれば当たり前。
この病院では、2度失敗したら交代という暗黙のルールがあり、その時に私に声がかかるというわけだ。(1度の失敗で声がかかることもある。そこは臨機応変に。)
まだまだ初々しさ残る2年目の後輩も2度失敗したらしい。
「矢野さん、ごめんなさいね。」
「何回も、ごめんなさい。」
後輩と私が同時に謝る。
「いいのよ、やっぱり経験なのかしらね~?あなたも、頑張るのよ。」
豊満な体の矢野さんはそう言って、後輩を小突いた。
「はい、遠藤さんみたいになれるように頑張ります!」
そう、元気よく返事する後輩。
キラキラの希望に満ちた笑顔が眩しかった。
ーーーーー
「お先に失礼します~。」
久々の18時前退勤。しかも明日は休みときた。
夕飯どうしようかな…1人居酒屋行っちゃおうかな…
などと考えながら更衣室で着替えていると、内科所属の同期の利恵と遭遇した。
「おぉ、珍しい、弥生も今日早いんだね、この後なんか予定ある?」
「久々だね。予定なんかないよ。いつもの店行こうかなって思ってたところ」
「どうせ1人なんでしょ?私これから武史と外飲みなんだ。久々に一緒に行かん?」
「えー、突然で悪くない?」
「何言ってんの、武史も喜ぶって。久々にいいでしょ。行こ~!」
利恵と武史は夫婦で、子供はいない。
2人とは中学からの剣道仲間だ。
学校は違ったが、利恵とは看護学校で再会し、意気投合。
その頃から、時々こうして一緒に飲みに行ったりする。
半ば強引に連れていかれた先は、年季の入った赤ちょうちんのお店。
こじんまりとした店内は、外観ほど古くなく、こぎれいだ。
「いっらしゃいませ!」
と、威勢のいい挨拶。
「予約した安西ですけど、1人増えても大丈夫ですか?」
威勢よく出迎えてくれたアルバイトらしき男の子に、利恵が確認をとる。
「はい、お連れ様が先にご到着されています。こちらです。足元の段差にご注意ください。」
大学生だろうか。若いのにしっかりと身についた丁寧な接客に関心した。
手狭な店だと思ったが、思いのほか奥は広く、座敷になっていた。テーブルが3つ並んで、手前に家族連れが1組、1つは空席、それから一番奥の席に武史はいた。
そして、もう1人。武史と向き合って男性が座っていた。
え…
すっと背筋の伸びた後ろ姿にドキンと胸が高鳴る。
「あ、利恵、こっち!」
武史が膝立ちになり、手を挙げる。
それと同時に振り返った男性はやはり先輩だった。
有名なスポーツブランドのフード付きのトレーナーにデニムといったラフな私服姿。
あぁ、先輩だ。
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