6年越しの想い

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6年越しの想い

ホテルであいつを見かけてからすぐに俺は実家を出てマンションを借りた、家族には仕事の都合と言う事にした。 実家はあいつの家とすぐ近くだ、いつあいつと逢わないとは言えない・・・・・あいつの顔を見る勇気がなかった。 後で聞いたところではあいつはすでに実家を出て一人で暮らしているとういうことだった、それならなおさら逢う機会は減ったことになる。 仕事は順調で桐田と行ったバーも今では常連となってあれから何度となく通った。 行くたびに違う相手とそのままホテルへ行く、連絡先を交換することも名前を聞くこともなく一夜限りの付き合いに徹した。 あいつのことは考えないようにした、考えたところでどうなるわけでもなく、自分がゲイだと気づかれて嫌悪されるよりはずっといいと思った。 中学高校の仲のいい友達・・・・・その関係のまま終わるのが一番いいと決めて留学をした。 突然理由もなく居なくなった俺の事をどう思っているのかなんて考えたことはなく、自分の事を隠すことで精一杯だった。 毎日は取りあえず充実していた仕事が早く終わったら職場の皆と飲みに行ったり一人の時はバーへ行く、遅くなったら食事を済ませてマンションへ帰るといった日常が続いた。 桐田ともたまにあってホテルへ行く、そう言う意味では相性がいい、あとくされなく逢えると言う意味でも執着しないところも彼は貴重な友達だった。 腕に着けたブレスレットはどうゆうわけか、外すことができなかった。 あいつの事は考えないと言いながらふとした瞬間に思い出しては胸が疼いた、いつかは結婚をして子供ができて・・・・・そういう平凡な幸せを掴んでいくのだろう。 俺のようなマイノリティーな人間とは決して交わることのない生活があいつにはふさわしい、青春のころのあの胸が熱くなるような思い、そばにいるだけで楽しかったころが懐かしかった。 帰国して半年がたったころ父の容態が悪化してあっけなく亡くなってしまった、覚悟していたとはいえやはりショックだった。 父の会社での立場を考えると家族だけでのひっそりとした葬儀というわけにもいかず、結構派手な葬儀となった。 葬儀には家族や親せきの他近所の人たちも来ている、俺と母親はなるべく父の側から離れないようにして、訪れた人の対応は会社の人たちに任せていた。 葬儀から一週間母を一人にしておけず実家にいた、そろそろマンションへ帰ろうと思っていた時、あいつが弔問に来たと母から聞いた。 その日俺は母の代わりに買い物に出て留守にしていた、帰宅して母がそう言った時俺は留守にしていてよかったと胸をなでおろした。 母はあいつに聞かれて俺の事を話していた、半年前に帰国した事今はマンションに一人暮らしをしている事・・・・・・口止めをしなかったことを後悔したが母を攻めるわけにも行かない、あいつが俺の事を知ってどうするか知る由もない。
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