1人が本棚に入れています
本棚に追加
「好き」が怖い
先に言っておくが今から書く文は「こうであれ」という意味ではない。人間十人十色、様々な考え様々な行動原理を持っているのが当たり前なのだから別に間違いも正解もない。
ただ、僕が好きな生き方がありそれを目指すという話だ。
前の「推し」についての話で、「好き」という言葉があった。
なんか適当に書いた気もするが僕は「好き」という言葉にかなりの重みを持っている。
というのも何かのコンテンツを好きになればそれを止めることはそうそうない。実際スマホを買ってもらってから始めたソシャゲのぷよぷよクエストは約7年ずっと続けている。浪人時代に始めたクラッシュロワイヤルもなんだかんだ5年続けているしポケモンもだいたい毎月マスターランクまではやっていたはずだ。
これは一度始めたら止め時を見つけられないという優柔不断に似た性格もあるが、それ以上に「好き」と言った以上それは僕自身のアイデンティティーになっていると捉えているからだ。
例えば今僕が記憶喪失になったら?
もし顔を整形して声も変えたら僕が僕だと証明できるものは?
あるわけない。
ならばせめて……、僕という人間の構成要素を「好き」で固めよう。そう思った。
正直これは「好き」でも「嫌い」でもいいが文句で固めるよりは「好き」で固める方が人間的にいいだろう。
アカウント認証で本人か確認してくるように自分の中で一つ一つ好きなもの欄を埋めてゆく。
好きな食べ物…たくあん
好きなゲーム…ポケモン
好きな小説…インシテミル
好きな作家…米澤穂信
好きなアニメキャラ…常森朱
記憶力があまりない僕だから時々それを思い返す。誰かに訊かれたわけでもないのに何時でも答えられるように頭の片隅に置いておく。
本当にそれが好きかはわからない。確かにそれに触れた瞬間は大好きだったし何者にも成らないNo.1であったがそれは経験不足と言われれば目を反らすしかない。
本当はたくあんよりラーメンを食べてる。
実はポケモン以外のゲームをろくにやったことないだけだろう。
小説は色々読んでいるがそもそも体験に順位付けなど出来ない。
好きな作家のわりに最新刊も追えていない。
好きなキャラと言いつつ漢字を忘れて検索してる。
全く嘘ばっかり。何が「好き」なんだか。
だが僕は、本宮瞭は、○○○○○(本名)はそういう人間だ。そうである限り上の通り「好き」なのだ。
それを証明するために今日も生きる。
友達が言う
「あれ、君ってこれ『好き』じゃなかったっけ?」
親が言う
「あんた小さい頃からこれ『好き』だったでしょ」
あるいは画面の中からそのキャラクターが話しかけてくる
「『好き』って言ってくれたのに」
重い意味はないだろう。
だがその言葉は僕の存在を否定する刃となる。
曰く「好き」じゃない君など君ではないと。
そういう意味で「好き」が怖い。
その言葉を使われる度に僕はナイフを喉元に突き立てられている。
そして僕は今日も「好き」に囲まれその沼に浸かる。一生外せない呪いの指輪だ。
「そんな強迫観念に囲まれて息苦しくないの? 飽きないの?」
「あるわけない。だって『好き』なんですから」
《続く》
最初のコメントを投稿しよう!