1人が本棚に入れています
本棚に追加
呪縛
前回から半年が経った。
何か言葉にできる感情の動きがあったら書こうかなと思っていたのだが意外とないものだ。
というより言葉にしにくいゆっくりした動きしかないのだ。
この半年、彼女の配信は劇的に減少した。
(最近shortたくさん出してたけど。)
いままで週2,3程度であった配信も無くなり、その間僕は色んな配信者を渡り歩いて配信動画かかわらず見ていた。 あと自分自身も配信を始めた。新しい暇の潰し方だ。
だがどこも定住するまではいきにくい。前述したような教示がある以上、あまりコメント出来ず、かと言ってコメント出来なければその配信の楽しさが半減してしまう。
何より、「好きなVtuber」に値する人を見つけられない。
YMの時でも薄々思っていたのだが僕が求めていたものは理由であり、運命なのだと思う。
その人を「好きなV」だ、と自分を定義に組み込めるようなV。明確にここが推せると言わせてくれるV。
このVtuber飽和時代、逆に探すのが難しい。
だから結局言葉にしなくてすむ、理由を理由とも言えないような理由へと帰結する。
曰く、運命と。
ちなみに運命は僕の嫌いな言葉だ。人が努力して切り開いている道をあたかも最初から決まっていたかのように言う、神様気取りの言葉だから。
だから認めなくないのだが、きっと僕は心の何処かで信じたいのだ。意図しない、自らしか降ってこなかったと錯覚できるようなきっかけがあればそれは自分を定義するに遜色ないと言えてしまう。
なんだか一ノ瀬ふうりに怒られてしまいそうな話。
「その運命に頼ったから今があるのでは?」
心の悪魔が囁いてくる。
否定は出来ない。
だが開き直ろう。
きっと「好き」とはそこまで大きな呪縛ではないから。
その人のことを10%も知らなかったとしても、博士になれる知識がなかったとしても「好き」だとか「推し」だとかいう言葉を使ってもいいんだと思う。
好きなものの全て知ろうとする姿勢は美徳だが、緩い気持ちで自分の好きなところだけを見て軽い気持ちで吐く「好き」もきっと悪くない。
一長一短で変えられる価値観でもないからすぐには手を付けられないがそんな浅く広く薄い「好き」の価値観を僕は持ちたいと思う。
そういう意味ではYMは最後の「好きなV」になるかもしれない。
その方がいい。疲れてしまう推し方などもはや趣味として正しくないのだから。
最後に。
お疲れ様。ありがとう。
最初のコメントを投稿しよう!