冬のこと(橘side)

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冬のこと(橘side)

 一月一日。元旦の今日、橘は輝と達也の二人と初詣に行く約束をしていた。  学校は冬休みに入っていたが、受験を控える橘には休みを楽しむ時間はない。第一志望の大学はB判定をもらっていたが最後まで油断はできなかった。  そんな勉強に明け暮れる生活を続けていたある日、輝から初詣のお誘いの連絡が届いた。放っておくとこん詰める橘を心配したのであろう輝の優しさに心の中で感謝をしながら、橘はすぐに『行きたい』と返事を送った。  家族と年越しを過ごしたあと少し仮眠してから、朝五時に二人との待ち合わせ場所に向かう。橘が着いた時には、二人はすでに待ち合わせ場所に到着していた。相変わらず仲の良さそうな二人に寒くて震えていた橘の心がほわっと温かくなる。  橘が二人に駆け寄っていくと輝が嬉しそうに両手を広げて待ち構えてくれた。抱き合う二人を達也が楽しそうに眺めている。二人に会ってない期間はまだ二週間ぐらいなのに懐かしさで泣きそうになった。卒業したらもっと会えなくなるのかと思うと親友二人に対して急に切ない気持ちが込み上げてくる。  橘は寂しさをグッと堪えてから、輝から離れた。 「あけましておめでとう! 二人とも元気だった?」 「あけましておめでとう! こっちのセリフだよ。元気だった?」  心配そうに覗き込んでくる輝に癒される。 「ずっと勉強で疲れたけど輝の顔見たら元気になったよ」 「なんだよ、可愛いこと言って! 俺も会いたかった!」  輝とまたぎゅうぎゅうと抱き合っていると達也が「お参り並ぶだろうからそろそろ行こうか」と声をかけてきた。いつもすぐにふざけてしまう二人を達也がまとめてくれる。三人の居心地の良さを改めて感じながら橘は親友の二人と共に神社へと向かった。    神社は早朝とはいえ初詣客で溢れかえっていた。三人は長く続く参拝列に並んで先にお参りを済ませ、屋台が立ち並ぶ方へと移動した。  先程の整理された列に並ぶのとは違い、人々が思い思いの方向に動いている屋台エリアはまっすぐ歩くことすらできないほどの混雑だった。流石にみんなで一緒に買い物をするのは無理だと判断した三人は、一度作戦会議をするために人が比較的空いているところへと向かった。  三人の中では一番体格がいい達也を盾にして人混みを一列になって歩いていく。やっと人混みの終りが見え橘は内心でホッとしたのもつかの間、横から来た人と思いっきりぶつかってしまった。 「わっ! すみません」 「こちらこ……そ……」 「あっ……」  橘が慌ててぶつかった人を見ると、そこにはずっと忘れたくても忘れられなかった顔があった。  突然のことに呆然としてしまう橘を西岡も驚いた顔で見ている。 「二人共、邪魔になるからこっち」  時が止まった二人は達也の声に同時にハッとする。輝が怒った顔で橘の腕を掴み、人の少ない方へグイグイと引っ張っていった。  橘は戸惑いながら輝に従い足を動かした。緊張して後ろを見ることができない。  これだけ人が多ければ知り合いに合う確率も高くなるとは思うが、まさか西岡に会うなんて……。  橘の頭には色んな想いがぐるぐると渦を巻いている。最後に話したのは文化祭の時だったが、あの時はハッキリしない西岡に橘が怒って話はそれっきりになってしまった。  あれからしばらく経って冷静な頭で考えると自分の空回りっぷりが恥ずかしかった。  一度振られたにも関わらず勝手に期待して、期待通りにならず勝手に怒ったことには変わりない。西岡が思わせぶりな態度を取ったとしても、それを好意と誤解したのは自分だ。  最初こそ西岡への怒りもあったが、その感情も長くは続かなかった。橘は「もう知らない」と見栄を切ってしまった手前、西岡とどう接すればいいのか分からなくなっていた。  少し開けたところに出ると輝が立ち止まったので橘も足を止めた。無意識で下げていた顔を上げられずにいると、背後から「橘」と名前を呼ばれ肩が微かに跳ねた。  恐る恐る後ろを向くと西岡が不安げな顔で立っていたが、橘と目が合うと少しホッとした表情を見せた。  西岡は橘に一歩分の距離まで近づくと、目を見据えながら口を開いた。 「橘、少し話をできないか?」 「えっ……」  西岡からの予想外の言葉に橘はすぐに返事ができなかった。西岡から今更何の話があるというのか。助けを求めるように輝を振り返ると、輝が西岡に何かを言おうと口を開きかけたが横から達也に止められた。輝は不服そうな顔をしたが、首を横に振る達也に渋々従う。 「駄目か?」 「えっと……」  本心では西岡に何を言われるのか怖かった。また悲しい思いをするぐらいなら話なんてしたくはない。  橘はチラッと西岡を窺い見る。そして西岡の真摯な眼差しとぶつかり胸がどきりと震えた。  もしかしたら勘違いかもしれないけれど、橘はこれ以上は酷いことにはならないような気がした。話を聞くのは怖いけど、それでもこんなことで西岡をもう一度信じたい気持ちが湧いてくるのだから、橘は今も西岡を好きな自分に呆れてしまう。 「駄目じゃないです……」  背後から輝の深いため息が聞こえてくる。自分を心配してくれている親友に心の中で謝罪の言葉を唱えながら、橘は覚悟を決めて顔を上げた。  西岡の安心したような微かな笑顔を見て、自分まで少しホッとしてしまう。 「あーっと、お前ら」  西岡はジーンズの後ろポケットから財布を取り出すと、五千円札を達也に渡した。 「これで飯でも買ってこい」 「あざす」 「橘の分も買っといてやってくれ」  達也はまだ不服そうな輝を促して人混みの中に消えていった。二人残された空間にしばしの沈黙が流れる。先に口を開いたのは西岡だった。 「橘、すまなかった」  突然の謝罪に橘は何のことだかわからず戸惑っていると西岡が「文化祭の日……」と言葉を続けた。 「あっ……」 「あの日のことを謝りたいと思ってた」  すまない、と頭を下げる西岡に橘は慌ててしまう。 「そんな、俺のほうこそ」 「いや、情けない態度を取った俺が悪い」  橘は返す言葉が見つからず俯きながら「だって……」と言葉を絞り出す。 「先生は駄目だってずっと言ってたのに、しつこくして迷惑をかけたのは俺じゃないですか」  自分の言葉が胸に刺さって苦しくなる。胸の奥で詰まる息を吐き出そうとした時、「違う!」という西岡の大きな声に橘はびっくりして顔を上げた。 「それは違う、迷惑なんかじゃなかった。俺が向き合えてなかっただけで……」 「えっ?」  西岡は一つ深呼吸をしたあと、何も分かっていない様子の橘を真っ直ぐに見つめた。橘は戸惑いながらも西岡から目を逸らせなかった。 「お前のことが好きだ」  西岡の告白に橘は息を呑んだ。今聞いた言葉は現実なのだろうか。 「お前のことが好きだ。向き合うのが遅くなって、申し訳ない」  西岡の言葉が混乱する橘の中にゆっくりと入っていく。それでもまだ今の状況を信じられない自分がいる。 「でも、だって……」 「本当はずっとお前に好きだと言ってもらえて嬉しかった」  橘が戸惑いながらも口を開こうとすると思いがけず頬を涙が伝っていった。西岡の手が橘の頬にスッと伸び、涙を拭いてくれた。頬に触れた手の感触が胸の奥をくすぐっていく。 「これだけは最後に伝えたくて……すまない」   西岡の辛そうな顔が自分を見つめている。橘はやっとのことで言葉を発した。 「最後ってなんですか……?」 「えっ?」  橘は大きく息を吸うと喉に閊える言葉と共に吐き出した。 「また先生は俺の気持ちを無視するんですか?」  自分はこんなにも涙脆かっただろうか。言葉に勢いを借りて、自分の中から感情が溢れ出し涙が停めどなく流れていく。  橘がグズグズになっていく自分の顔を拭こうとした時、自分よりも大きな体に優しく抱きしめられた。 「悪い、また間違えた」  西岡の大きな手が背中を優しくさすってくれる。  右耳の少し上の方から「橘」と名前を呼ぶ声がする。西岡の肩に頭を預けながらその声に「はい」と返す。 「好きだ」 「はい」 「お前の気持ちが聞きたい。だけど……、少し待ってくれないか?」 「……え?」  驚いて顔を上げると西岡が申し訳なさそうに微笑んでいた。 「俺の教師としてのけじめ」 「……今はだめってことですか?」 「受験もあるだろ? お前の気持ちはわからないけど、もしまだ俺と同じ気持ちでいてくれているなら、卒業式の日にもう一度話をさせて欲しい」 「……わからないって、俺の気持ちわかってますよね?」  橘が恨めしげに西岡を睨むと、西岡は申し訳無さそうに、それでも嬉しそうな控えめな笑みを浮かべながら橘を腕の中から解放した。さっきよりもお互いの顔がよく見える。 「俺の勘違いじゃないなら……嬉しいぐらい」 「ずるいなぁ……」  つい不満げな言葉を口にしてしまうが、実際は自分の中が喜びで満たされていくのを感じていた。時間をかけて少しずつ自分の中に実感が湧いていく。 「すまん、もう少しだけ待ってくれるか?」  橘は大げさにため息を付いたあと、わざとらしく拗ねたような態度で「いいですよ」と返した。 「でもその代わり、その時は俺のわがまま聞いてくださいね」  西岡が安心したような顔で「あぁ」と返してくれる。 「いくらでも、好きなだけ」  西岡がボディバッグからタオルハンカチを取り出して橘の濡れた顔を拭いてくれた。今更ながら自分の顔の状態が気になって、鼻を啜りながら顔を俯ける。その時、突然横から勢いよく抱きつかれ橘は転びそうになる体を既で耐えた。 「望! なんで泣いてるの!?」 「輝! びっくりした!」  西岡と橘の間に割り込み、顔を心配そうに覗き込んでくる。そんな輝とは対象的にのんびりした歩みで達也も戻ってきた。 「仲直りできましたか?」 「おかげさまで。戻ってくるの早いな」 「輝がもうソワソワしちゃって」  輝は達也には構わず「大丈夫?」と橘の心配ばかりしている。輝越しに西岡と目が合って、お互い自然と笑っていた。 「もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」  まだ疑いの眼差しで見てくる輝を今度は橘が宥める。輝は橘の本心を覗き込むようにジッと見つめてきたが、しばらくすると嘘じゃないと納得してくれたのか「ならいいけど」と橘を開放してくれた。 「たくさん買ってきたので、先生も一緒にどうですか?」 「いや、俺は……」  西岡は橘の顔を見ながら少しだけ逡巡すると、諦めたように「少しだけな」と言ってくれた。  空いている席を見つけたという達也の案内で場所を移動することになった。西岡が自然と隣に並んでくれた。そのことが先程までのやり取りが夢ではないことを再確認させてくれる。  気持ちを新たに、前を向きたいと思っていた新年。思わぬ幸運は神社というパワースポットのおかげか。  橘はどこにいるかわからない神様に向かって心の中でお礼を言いながら、隣に立つ西岡と共に歩き出した。
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