夏のこと(橘side)

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夏のこと(橘side)

 日課のランニング中に雨に振られ近くのコンビニで雨宿りをしていたらまさかこんなことになるとは。橘はテレビの画面を眺めながら今日のことをぼんやり思い返していた。  映画は面白いが、それ以上に思うことはたくさんあった。  休日の西岡の姿はいつも学校で見るスーツ姿とは違い、ラフだけどセンスのある部屋着姿がとてもかっこよかった。そして西岡の部屋にお邪魔してお風呂に着替えまで借りて、今ソファに並んで座っている。隣に感じる体温にソワソワと落ち着かない気持ちになりながら、橘は再び映画に集中するために思考を止めた。  映画はとても面白かった。西岡にお勧めされるまでは映画は友達と遊ぶ選択肢の一つでしかなかったが、西岡が好きな映画が好きになり、今では自分でも面白い作品を見つけて西岡と共有したいと思うようになっていた。  結局映画は二本見た。一本目が終わるぐらいに洗濯機は乾燥まで終わっていたが、外は依然として雨が降り続いていたので今度は自分が気になっていた映画を提案したみた。西岡は「それで今日は最後な」と言うと映画を再生してくれた。”今日は”という言葉に深い意味はないとわかっていても浮かれる自分は単純だと思う。  隣の西岡をちらりと盗み見ると真剣に画面に向かう横顔が見えた。好きなものを共有しあえることが嬉しい。自分が見つけてきた映画を楽しんでくれてい嬉しい。  胸がぎゅっとなって中から感情が溢れて止まらない。  映画が終わらないでほしい。雨が止まないでほしい。  穏やかな雰囲気の中で見た二本目の映画はラブストーリーだった。冴えない男が高嶺の花ともいえる女性に恋をするお話で、終盤の男が想いを告げるシーンを見て橘は男と自分を重ねて焦燥感に駆られた。映画の中で女性はいろんな男からアプローチを受けていて、その姿に夏休み前に見た西岡の姿が重なって見えていた。  今日言ってしまったほうがいいのではないかと思ったら、橘はそうするべきだという気持ちでいっぱいになってしまった。うかうかしていたら他の人に先を越されてしまうかも知れない。それに今のこの状況はこれ以上ないぐらいに良い雰囲気に思えた。  映画が終わると西岡は立ち上がり体のコリをほぐすように軽く体をひねると窓の外を見た。降り続いていた雨は小雨になっていた。 「そろそろ帰れるだろ。余ってるビニール傘をあげるから」  橘はソファで両足を抱えながら「まだ帰りたくない」と控えめに駄々をこねる。 「駄目だ」 「えぇ~~」  呆れたように言う西岡に橘は砕けた調子で不満を言う。内心では言わなければと気持ちが焦っていた。  次に何を言おうか迷っていると不意に西岡と目があった。お互いに見つめ合う形になって、不意に言葉が橘は口を衝いて出た。 「俺、にっしーのことが好き」  西岡はハッとした顔をして橘のことを見るので橘は畳み掛けるように言葉を続けた。 「好き。好きです」  西岡は一瞬困った顔をした後、「ありがとう」とだけ答えた。 「服、乾いただろうから早く着替えてこい」 「待ってよ。他に何もないの?」  一言で終えようとする西岡に橘が慌てて言いよると、西岡は厳しい口調で言い返す。 「何って、じゃあお前はどうしたいんだ」 「それは……」  自分はどうしたいのだろう。 「にっしーと付き合いたい……」 「俺は教師でお前は生徒だ。無理に決まってるだろう」  西岡の突き放すような言い方に、橘も徐々にムキになっていく。 「じゃあ卒業したらいいの?」 「そういう問題じゃない」 「じゃあどういう問題なの?」  必死に食い下がる橘に西岡は苛々とした様子でソファに座り直した。 「お前の気持ちには応えられない」 「なんで」  後に引けなくなってしまった橘は西岡の隣に座ると必死に言い募る。 「伊織さんと付き合ってるの?」  西岡はそこで何故伊織が出てくるかと怪訝そうな顔するが、すぐに理解して溜め息を吐く。 「あいつはそういうんじゃない」 「セフレなの?」 「お前には関係ないだろ」  ピシャリと冷たく言い放つ西岡に橘は酷くショックを受けた。少しは自分のことを受け入れてくれていると思っていた。それなのに西岡の心から橘を締め出すようなことを言う。  橘はまた中に入れて欲しくて、どうにかして西岡との繋がりが欲しくて益々焦っていった。どうしてこうなってしまったんだろうと考えても冷静さを欠いている橘は余計に混乱してしまう。  橘は徐に隣に座る西岡の膝の上に向かい合わせの状態で乗りかかると、驚く西岡に降ろされまいと首にギュッと抱きつく。 「付き合えないならセフレにして欲しい」 「何馬鹿なこと言ってるんだ」  西岡は駄々をこねる子供を扱うように橘を剥がそうとするが、必死にしがみつく橘はその程度の力ではびくともしない。言うことを聞かない橘により一層苛々を募らせながら西岡は橘を宥めにかかる。 「お前にできるわけないだろ」 「できるもん」 「あんな怯えて震えてたのに?」  西岡がいつの話をしているのか理解した橘は西岡の言葉に一瞬で煽られた。橘は顔を上げ、唇をぶつける様に西岡にキスをした。 「できる」  初めてのキスだった。自分を侮るようなことを言う西岡に対して勢いででた行動だった。  目の前に西岡の面を食らった顔を眺めながら橘は勝ったような気持ちになりながら口を開く。だが言葉を発する前に視界がぐるりと変わり橘は衝撃に目を白黒させた。  自分がソファに押し倒されたと気づいた時には西岡の手が服の下から中に入ってきていた。  橘が慌てて侵入してくる手を押さえて西岡の顔を見ると、険しい表情で自分を見下ろしていた。 「そこまでいうなら試してやる」  西岡はそう言うと橘に覆い被さってくる。橘の首筋に顔を埋めて唇を添わせ、手は橘の上半身を弄るように動いていた。  西岡に突然襲い掛かられ戸惑う橘が慌てて逃げようと体を捩るが、自分より大きな体で押さえつけられていてびくともしない。 「あっ、待って、あうっ、ちょっと、待っ」  橘の必死の制止を聞かず西岡は行為を続ける。自分が望んだことのはずなのに自分を無視する西岡に橘はだんだん悲しい気持ちになっていった。泣きそうになりながら必死に抵抗を続けていると西岡の手が下に下がってくる。西岡の手が橘のズボンのウエストにかかった時、橘はある事を思い出した。やばいと思った時には西岡の手がズボンの中に差し込まれていた。 「お前……」  西岡が顔を上げて自分を見てくる。 「なんで下着履いてないんだ?」  橘は恥ずかしさで震えながら真っ赤な顔で西岡を睨みつける。 「パンツ置いてなかったんだもん!!」  橘が脱衣所で西岡が用意した部屋着を着た時に下着がない事に気付いたが、洗濯機はすでに回されていた。しかし人に下着を借りていいものか迷った橘は言い出せずに(少しの間だし……)と下着を履かずにいたのだった。  橘はいよいよ堪え切れずに目からポロポロ涙を溢しながら「うゔ~~」と泣き出す。 「馬鹿! 意地悪! 待ってって言ったのに!」 「お前が言い出したんだろ?」  体を起こし眉を顰める西岡に橘は涙を手のひらで乱暴に拭いながら言い返す。 「言ったけど! もっと優しくしてよ!!」  自分でもそこかよと思いながら気持ちを吐き出すとまた涙が溢れてきた。橘は「うゔ~~ばかぁ~」と言いながら泣きじゃくる。 「ふっ……ははっ……はっはっはっ!」  突然西岡が笑いだして橘は驚きで目を見開いた。西岡は堪え切れないというようにひとしきり笑うと、橘の事を抱き起こし膝の上で抱えるように座らせた。 「ははっ……いや悪い、俺が大人気なかった」  西岡は呆然と涙を流す橘の頭にそっと手を沿えて自分の肩に引き寄せると小さい子をあやす様に反対の手で橘の背中をぽんぽんと優しく叩いた。 「怖かったな、ごめんな?」  優しい西岡の声に橘も徐々に落ち着きを取り戻し、泣いてしまった恥ずかしさを隠すように西岡の肩に額をぐりぐりと押し付ける。 「怖くないもん」  まだ素直になれずに意地を張ってしまうが、西岡のことが怖くなかったことは本心だった。悲しかった気持ちも今の西岡の行動に絆されて消えていく。  西岡は呆れたような、それでいて優しさが感じられる声で「お前は懲りないなぁ……」と呟いた。 「にっしー意地悪だった……」 「俺のこと嫌いになったか?」  橘が恨みがましく言うと西岡はそんなことを言う。ズルいなぁと思いながら橘は「好き」と答えた。こんな馬鹿な事をしてしまうぐらい西岡のことを好きになっていて、今すぐに好きじゃなくなるのは難しかった。 「ありがとう。でもごめんな」  西岡は橘をあやしながら申し訳なさそうに言う。 「どうしてもダメ?」 「俺は誰のこともそういう意味で好きにはならない」  そんなことわからないじゃないかと思ったが、西岡の顔を見るとどこか寂しそうに見えて橘は何も言えなかった。その寂しさを癒したいと思っても、今の橘にはその役目を自分が負えるとは思えなかった。自分ではないことがとても寂しかった。 「俺に好きって言われて迷惑だった……?」  西岡の返事を聞くことが怖くて橘は思わず顔を伏せた。せめてそれだけは否定して欲しかった。自分の気持ちに応えられなくても想うことは許されたかった。  西岡から返事がなかなか返ってこない。どうしたのかと思い橘が顔を上げると西岡は呆然とした顔をしながら橘のことを見ていた。橘と目が合うとハッとした様子で「いや……」と呟く。 「迷惑ではない、気持ちは嬉しかった……」  自分の言葉に驚いた様子の西岡を怪訝に思ったが、その言葉が嬉しくて橘は頑張って笑顔を作り「よかった」と返した。  橘はこれ以上ここに居たらまた気持ちが膨れ上がって溢れてしまいそうで、名残惜しく感じながら西岡の膝から降りた。 「もう帰るね。今日はありがとうございました」  ペコっと頭を下げてから西岡の反応を待たず足早に脱衣所に向かう。洗濯機の中の服はしっかり乾燥されて着るとほんのり温かかった。服を着て戻ると西岡は窓の外をぼんやり眺めていた。橘に気づくと「パンツちゃんと履いたか?」とふざけてくる。 「うるさい、履いたよ!」  橘が西岡をグーで小突くと西岡は楽しそうに笑っていた。西岡越しに外を見るといつの間にか雨は止んでいた。  二人で玄関に向かう雰囲気は心なしかこの部屋に来た時よりも穏やかだった。  靴を履いて西岡に向き直る。 「お邪魔しました」 「気をつけて帰れよ。また新学期に」  西岡に見送られながら部屋をあとにする。  帰り道、トボトボと歩きながら少しスッキリした頭で思い返す。 (あーあ、振られちゃった……)  報われなかった恋はどうすればいいのだろうか。傷の痛みを思い出せないように、時間が経てばこの恋も忘れることができるのだろうか。初めての橘には到底分からないことだった。  ぼんやり歩いているとスマホに着信が来た。誰だろうと思い画面を見るとそこには達也の名前が表示されていた。  橘が電話に出ると達也の声が聞こえてくる。 『望? 今暇? 輝と望誘ってカラオケ行こうかって話してるんだけど』  電話の向こうから輝の『望も行こうよー!』という元気な声が聞こえてくる。  二人の誘いに応えようと口を開くがなかなか声が出なかった。何とか返事をしようと口をパクパクさせていると『望? どうした、大丈夫?』と達也の心配そうな声が聞こえてきた。 「あーえっと、さっき振られちゃって……」  そう一言伝えると、それを機に涙がとめどなく溢れてくる。止める術も知らずに嗚咽を漏らしながは泣いていると電話の向こうで慌てふためく二人の声が聞こえてきた。 『輝、どうしよ、望が泣いてる』 『え! なんで!? ちょっと電話かして!』 『あっ、ちょっと』 『望? 輝だよ! 今どこにいるの? 大丈夫?』  泣きながら心配してくれる二人の声を聞いていたら、橘は心が少し軽くなるように感じた。 「駄目かも。二人に会いたいー」  少し冗談めかして言うと、二人は直ぐに行くからと待ち合わせ場所を決めて電話を切った。  寂しくてシクシク泣いていた心に友達の優しさがじんわり沁み渡っていく。今日は二人に甘えてたくさん癒してもらおう。  橘は友達の存在のありがたさを噛み締めながら、二人との待ち合わせ場所に向かって歩みを進めた。 
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