ぎゃぎゃ! ひー!

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「クッサい! うんちと腐ったたまごの臭い!」  鼠とりを覗き込んでいたカリィが急に体を起こしたので、背後に立っていたわたしは顎に強烈な頭突きをくらった。 「狸が死んでる! 目に染みる、クッサ! 死んでるよ狸!」  さらに続けてそう叫んだカリィが、ぎゃぎゃ! ひー! という変な声で笑う。カリィこと香里はこの笑い声が癖になって治らない、というかこれが天然自然だからどうしようもないと開き直っている。  そんなカリィが笑い声をあげながら納屋の外から木の枝を拾ってきて、腐敗した狸の死骸をつつきはじめた。 「グロいよ、ほら見て。オエッて感じ」  ぎゃぎゃ! ひー! ぎゃぎゃぎゃ! ひー!  山に住んでいたら狸の死骸は珍しいものじゃない。でもこの状態の狸は初めて見る。  仕掛けたことも忘れて放置されていた鼠とりの罠にかかった哀れな狸は、納屋の隅で腐敗し、腹を破裂させて内蔵を空気にさらしている。熟しすぎて破裂したゴーヤを思い出す。今夏のゴーヤはわたしの担当とムラで決まっていた。葉に隠れた細くて小さな実が翌朝には太って姿を現し続ける。少し収穫が遅れると、抗議するように破裂して、だいだい色のナマコみたいになった体から赤い種と飛沫を撒き散らす。わたしはゴーヤを破裂させてはムラの大人に叱られた。  失敗は悪い霊のせい。竹の棒の先を割いた除霊ぼうきが迫り、焼けるような痛みが走る。除霊ぼうきを振りかぶったときに鳴る、じゃらじゃらとした音が、叩く前からわたしを威嚇し、神経を細く割いていく。  破裂させたゴーヤの赤い汁がこびりついた事故現場みたいなグリーンカーテンの前で、除霊ぼうきのじゃらじゃらを聞きながら、陽に焼かれている。わたしを叩く大人も陽であぶられて、むんと汗の臭いをさせている。水のなかみたいに周りの音がごぶごぶするなかで、除霊ぼうきの音だけがはっきりと届く。ごぶごぶのなかにぎゃぎゃ! ひー! が混じっている気がするが、大人から目を反らしてはいけない。  ――あああああ、ああ、お、ぎぃ 「なに? なんの音?」  毎夏ひまわり係を勤めるカリィが言う。カリィは保堂さんの姪御さんだから難しいことはしない。保堂さんは大人たちのリーダーだ。彼女の笑いが止んでくれてわたしは少し安心する。  声は狸の、半開きになって舌のだらりと垂れた口から出ていた。 「なんで狸が鳴くの? 死んでるのに!」  カリィの手からはらわたの絡んだ棒が落ちた。  ――ああいあああ、ぎゃ、ぎゃ、ぎぃ 「あんたが悪い霊を連れてきたんだ! あんたはシンコウが足りないから! 退治しなさいよ!」  カリィが言うならそうなんだろう。わたしはうめき声をあげている狸の死骸を鼠とりから引き出した。子ども宿舎の玄関にある除霊ぼうきを持ってきて、粛々とそれを打つ。じゃらじゃら、の間にぎゃぎゃ! ひー! が混じる。気持ちの悪い死にぞこない、悪霊、消えろ。カリィが後ろで笑いながら叫んでいる。  狸の体がますますぐちゃぐちゃになっていき、口から赤い泡をふき始めた。  泡は真っ赤な無数の丸で出来ていた。見ているうちに、丸はかたい種だとわかった。その間もわたしは打ち続けている。  種は小さな狸の形になって、マダニくらいの大きさの赤い子狸になる。子狸たちは鳴き声を上げながらカリィに這い寄っていく。  ――ぎゃ、ぎゃ、ぎぃいー  子狸たちの声がだんだんと揃っていく。カリィは両脚に這い上がる狸たちを払っているが、きりがない。狸の死骸の口からはどんどんと赤い種が生まれていく。たすけて! というカリィの両脚の子狸を叩くべきか、大元の狸の死骸を叩くべきかと迷って手をとめたとき、もはや目の位置も分からなくなった狸が立ち上がり、鳴いた。  ――ぎゃぎゃ! ひー!  はらわたの絡まる棒を咥えて狸は納屋の出口へ向かった。呼応するように、ぎゃぎゃ! ひー! の鳴き声を会得した子狸たちが鳴き続ける。可哀想なカリィのために、わたしは除霊ぼうきを持って彼女の前に立った。 「カリィに霊がたかるのはシンコウが足りないからだ」  除霊ぼうきのじゃらじゃら音は、振るう側になると神聖に響くものだと知った。
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