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「おい、何か言えよ! これじゃ完全に俺らが悪いみたいじゃねぇか!」
ビクっ、と肩を揺らし、碧海が縮こまる。そっと近づいて手を差し出すと、震えながら碧海は顔を上げた。
恐る恐る、伸ばしてきた手を掴む。すると二人はチッと舌打ちし去っていった。
「来栖、くん……えっと」
「ご、ごめんなさい!」
「え?」
「二人が言ってたこと、本当なんだ。僕から誘った、なのに怖気づいて……」
叱られる子供のように両手でシャツを握りしめ、碧海の肩は大袈裟に震えていた。
碧海と琥陽はあまり話したことがなかった。朝一緒に食べるし挨拶程度はするのだが、友達の友達という感覚だ。仲が良いのは颯珠の方で、二人で良く盛り上がっている姿を見かける。
「でも、怖かったんでしょ?」
「…………」
「怖かったのに、やめてくれなかったんでしょ? そんなの、同意じゃないよ」
この状況が過去を彷彿とさせ、琥陽は瞳を閉じた。
やめての声も届かない、よく分からない相手とそういう事をするのは、恐怖しか生まない。
それを琥陽は良く知っていた。
例えそれが同じ学校、隣のクラスに通う生徒だと分かっていたとしても、そういう行為は慎重に行うべきだ。
「……颯珠の言ってた通りだ。江部くんは、優しいね」
「……優しく、なんか」
「アルファって、オメガの事軽んじて今みたいな光景に遭っても、オメガが悪いんだろって言われる事が普通だったから。助けてこうして慰めようとしている江部くんは、優しいよ」
「そんな――」
「江部くんの言葉、嬉しかったよ。止めてくれてありがとう」
ふふ、と穏やかに笑ったその顔は、少しいつもの調子を取り戻してきたようで、ふぅと長く息を吐くと震えを抑え込む。
シャツに腕を通し、近くに落ちていたパンツとスラックスを履き、身なりを整える。
気丈に振舞っているわけでもなく、先ほどの光景がなかったかのようなその様子は、慣れているようだった。
オメガ、特に男のオメガは長い間冷遇されてきた。男なのに子供が産める変な体に、三か月に一度訪れるヒートのせいで会社で働くのもままならない。
アルファを誘うそのフェロモンは休まなければアルファまで巻き込んでしまうし、その時の穴は他の社員で埋めなければならない。
男のオメガが産まれた家は呪われているだの、夫婦のどちらかに邪な思いがあったから産まれただの、散々言われ。
今では迷信だと明らかにされたが、その時の名残で男のオメガは家々で隠され、多くの人はベータと偽って生きてきた。
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