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「いやいや、トラブルなんて全然!
むしろだからというか、犬くんには隠密に行動してもらいたいんだよね、相手側を不快にさせないようにっていうかさ」
からからと仁見先生は愉快そうに笑った。
仁見先生の態度はどこまでもリラックスしている。
「つまり例えるならこういうことだよ、成金の家へ嫁に出したうちの娘が元気にやってるかどうか草葉の陰から様子見してきて欲しいってこと。
嫁いびりとかされてないかさ、ほら、表向きはさぁ、お嫁にもらったお嬢さんを大切にしますぅ〜とか言って、こちらの手を離れた見えないところでは嫁をいびるとか世間でよく聞く話でしょ?
うちもさ、契約書のある手前、大企業でもあるし東盛不動産のことは信頼してるよ? でもさ、実際は私たちの目の届かないところで禁足地…って言い方は実際のところ大げさだけど、みんなの思い出の場所をいじられたりしてたら困るわけ。
まあだけど、そんな感じにうちが東盛不動産を疑ってるってのがバレると角が立つからさ、こっそり確認してほしいんだよ、きちんと禁足地として守られてるかどうかをまだ顔バレしてない犬彦くんに。
こっちは確認さえ取れれば満足するんだからさ」
「理解しました。
今度の俺の仕事はミステリーショッパーというわけですね」
「なにそれ」
ミステリーショッパーとは、覆面調査員のことである。
多くは、本社の依頼を受けて客のフリをし、現場のサービスや接客力を調査し報告を上げる存在を指す。
今回の犬彦の仕事は、一般客の群衆の中に紛れて東京ウエストガイアパーク敷地内にある仁見先生の一族が所有する土地のエリアをさりげなく調査し、契約書通りの管理がされているのかどうかをチェックしたうえで仁見先生へ報告すること。
自分に話を通さず、先走って仁見先生へオッケーを出した栄治に対してはまだムカついてはいたものの、確かにこれは本業の片手間にできる簡単な仕事だと犬彦は思った。
犬彦にとっては散歩のついでレベルの子供じみたミッションに感じたし、これごときの内容で、普段から世話になっている仁見先生の頼みを断るわけがなかった。
つまり、このときの犬彦は舐めていたのだ。
こんなもん楽勝だと。
さすがの犬彦も、この一件をきっかけに次から次へとややこしい事件が起き続け、まさか江蓮までどっぷりと絡んでくるとは想像できなかったのだから。
後に犬彦は自分のうかつさを呪いながらつくづくとこう思った。
自身の勝利を確信したとき、そのときこそが最大の油断であるのだと。
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