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1.夜を統べる瞳
その日は曇天で、気温は低く肌寒かった。
明羽の瞳はぼんやりと空の灰色を映して、降り出しそうで降らない空は明羽に考え事を際限なく許してしまい、お陰で商売を担う木葉は主の明羽の助力が期待できず、開店から昼の混雑時まで孤立無援で客の相手をしなければならなかった。
本来なら、山入商店には主の明羽と木葉以外に従業員があと二人いる。そのどちらも今は、というか、しばらく留守にしている。
もう夕暮れ時に差し掛かる。店を閉めて夕飯の支度をしようかと、木葉は店の奥の一段上がった畳敷きの部屋の窓際で文机に頬杖をついて空を見上げたままの主人を見て溜息をつき、そして新たにやって来た客の相手をしに板の間から降りて土間続きの玄関前に置いているカウンター代わりにしている腰高の棚へ向かった。
「あの」
今度の客は可愛らしい女学生だ。
彼女は次の言葉を発するまで口をぎゅっとつぐみ、木葉をじっと見つめていたが、意を決したように一歩前へ出、そして小刻みに震えるほど握りしめた拳を胸の前へ持ってきて口を開く。
「夜を統べる瞳、はありますか」
曇天に光が差す。
そして店主の明羽の瞳が色を宿す。
鳶色から紺色、そして揺らめくような紫紺へ。
山入商店の商売は多岐に渡る。日用雑貨から民間療法に使われる薬品、まじない、悪霊退散の護符などの販売、そしてたまに失せ物探しもやっている。
そして、他では売られていないであろう商品がある。
それが「夜を統べる瞳」だ。
宣伝も品書きにもない商品は口伝てで広まり、特定の客にしか知られていない。この商品を買うには紹介者がいなければならず、そしてそれがこの商品を搾取から守る盾、つまり信用に繋がる。
夜を統べる瞳は霊的干渉を受けた事象を解決する可能性を秘めたもの。
その力は絶対ではないが、無力でもない。
そして大抵の事象は解決に至る。
普通、人は怪異に対して成す術を持たない。その怪異に対抗できるとしたら、救いを求めるのは当然。そして人でありながら強い霊力も持つ者、それが明羽だ。稀有なる能力は怪異を引きつける。人外のもの、例えば妖怪が明羽に群がることは多い。それは花の蜜を思わせる甘い芳香に引き寄せられる虫と同じ。強い力に惹かれるのは必然。
だからと言って、明羽が完全無欠という訳ではない。人は脆く、弱い生き物だ。妖怪の怪力で人間の首などすぐに落ちてしまうのだ。だから、むやみに明羽の「夜を統べる瞳」を広めることはしない。普段は隠された能力なのだった。
明羽はご機嫌で木葉の入れた濃いめのお茶をすする。目の前には不安げに棚を見たり、手元の湯呑に映る自分を見たり、視線を彷徨わせている少女。
奥の部屋へ少女を通して、木葉は茶を机に置くとすぐに土間へ降りて店の整理をし始めた。少女の相手は明羽に一任されている。
「まずは名乗ろうか。私は山入明羽。この店の主人だよ。そして、君の望む夜を統べる瞳を持っている。それで、君の名前と君に夜を統べる瞳を教えた人物が誰なのか教えてくれるかな」
明羽の自己紹介に少女は居住まいを正して丁寧に三指を立てて頭を下げる。
「突然お伺いして失礼致しました。私は花岡里香でございます。こちらへは鈴木診療所の先生からご紹介いただきました」
少女は顔を上げ、じっと明羽を見つめる。その目に先程までの不安げな様子はない。
「そう、保さんの紹介か。それに君は花岡さんのところのお嬢さん」
明羽は笑顔で頷いた。
信頼できる人からの紹介で安心したことと、少女の覚悟を決めた瞳に好感を持ったのだ。
「はい。先生は私の話を熱心に聞いて下さいました。お父様もお母様も私ではどうすることもできないのだから大人に任せておきなさいと仰るのです。でも、私がどうにかしてあげないと、てっちゃんともう会えなくなるような気がして」
そこで言葉を切って、里香は胸元で拳を作る。
「どうかてっちゃんを探して下さい。そして元の生活に戻して下さい」
「ふむ。それでお嬢さんはおいくつだったかな」
「お嬢さんではありません。里香です。私は十日前に十歳の誕生日を迎えました」
しっかりした受け答えに明羽は眦を下げる。
「失礼した。では里香さん。てっちゃんというのはどなたなのかな?」
「私のお友達です。お屋敷に出入りしている植木職人さんのお連れになっているお子さんで、私と同じ歳だと思います。小さな頃から一緒に遊んでいて、今ではお家に行き来もしています」
「なるほど」
明羽は笑顔を引っ込め、里香の瞳を見つめる。
紫紺の瞳が心の奥底まで見透かすように侵略してくる。しかし里香は目を逸らさず、じっと明羽の視線に耐える。
しばらくして、明羽の瞳が鳶色に戻る。
「だいたい分かった。里香さん、夜を統べる瞳はお高いが、大丈夫かな」
「はい。お小遣いを持ってきました」
そう言って、彼女は手提げの中から小さな刺繍の入った財布と簪を出した。
「私の持っている全財産です」
五百円玉をいくつかと、宝石の入った簪を明羽の前に差し出す。
花岡家と言えば由緒正しき血筋の家で豪商も及ばない財力を持っていると聞く。そのお嬢様となれば自分で財布を持って買い物することなど無い。しかし、彼女は自分の全財産だと言って目の前に金品を出した。
「足りない分は少しずつお支払いしますから、どうかお引き受け頂けないでしょうか」
小さな淑女の真摯な瞳に明羽は微笑んだ。
「これで良い」
五百円玉を一枚、明羽は自分の方へ引き寄せた。
「てっちゃんの居所を探し、あなたとの縁をお戻しいたしましょう」
「ありがとうございます」
里香が深々と頭を下げようとするが、それを手で制し、明羽はまたじっと彼女の瞳を覗き込む。いつの間にか明羽の目が紺色の瞳になっていることに彼女は驚いた。
「ただし、確実なことなどこの世にはないに等しい」
「はい」
「善処はするが、流れは流れるまま止められないこともある。お望みの結果にならないこともしばしばだ。それでも宜しいか」
「承知の上です」
里香がきっちり頷いた。
「よろしい。このご依頼、明羽が責任を持ってお受けする」
一言一言に思いを乗せて明羽が明言した。
里香がよろしくお願いいたします、と深く頭を下げた。
「本当にいいんですか」
里香が帰った後で、来客用の湯呑と茶托を引き上げ、布巾で丁寧に机を拭きながら木の葉が店主に問う。
明羽は曇天に差し込んだ光の帯を窓から見上げながら「なにが」と問い返す。
「だって、五百円なんて、今までなかったじゃないですか」
「報酬のことを言っているのか」
明羽が呆れたように視線を木葉へ合わせる。
「言っておきますけど、明羽さんと違って必死で働いている俺の身にもなって下さいよ。店を維持する費用も、ここで暮らすにも、とにかくお金はいるのです」
「然り。だが、彼女にとって五百円は大金なんだぞ」
明羽は文机に頬杖をついて木葉を見つめる。鳶色の中に微妙に紺色が混在する不思議な色合いの瞳が木葉の動揺を誘う。
「俺を霊視したって何も嘘ついてませんからね?」
なんなんだよ、まったく。俺がお世話しなかったら明羽さんなんてすぐに野垂れ死にしちゃうんだからな。
木葉の心の声がだだ漏れに漏れているが、それは無視して明羽は神妙な顔で考え込む。
「明羽さん?」
いつもの毒舌が返ってこないことに不審そうに木葉が動きを止めて明羽を観察する。
「木葉、お前、明日は南の方角には行かないほうが良い。女難?いや、なんだろう、なにか良くないものが待っている」
「え」
木葉は持っていた布巾を落として怯えだす。
「心当たりが?」
「まさか。そんな、いいえ」
木葉の様子に苦笑して、明羽は着物の袂から小石を取り出した。
「気を込めてある。魔除けくらいにはなるだろう」
明羽からそれを受け取って木葉が感激したように言葉に詰まる。
「お前がいないと私は露頭に迷うんだろう?」
せっかくの感動が台無しだ。俺の感動を返してくれ。
木葉の言外の物言いに明羽は肩をすくめる。
「それで、花岡のお嬢さんにとっての五百円はどういう意味合いがあるんですか」
布巾を取り戻し、土間に降りながら話を変えて聞いてきた木葉に明羽はふわりと微笑んだ。
「彼女の労働報酬だよ」
「労働?花岡のお嬢さんが、労働なんてしますかね」
明羽の能力の高さは知っているものの、常識として名家のお嬢様が働くことがあるのだろうかと木葉は考える。
「てっちゃんと家のお手伝いした分の労働報酬だ。彼女は働いて対価を得る喜びを知った。それが彼女の人生において有益になるとご当主が判断されたんだね。彼女にとって、その報酬は初めて自分の力で手にした大変貴重なものだ」
「そういうことなんですね」
木葉は金庫に入れた五百円の重みに微笑んだ。
「だからといって、子供でも今後は割引なしですよ」
「お前は鬼か」
「明羽さんほどじゃないです」
木葉はいそいそと店じまいに取り掛かる。
店じまいが済むと二人は前庭と呼んでいる母屋と店を繋ぐ渡り廊下の隣に作られた庭を突っ切って母屋へ帰る。渡り廊下を通らないのはただの趣味だ。庭には薬草や季節の花々、雑草のようなものなど明羽の好きなものがたくさんある。用がなくても前庭を通るのが習慣になっているのだ。
母屋に明かりをつけて回り、木葉は手を洗って台所にかけてある割烹着を着た。すると明羽が珍しく横に来た。料理を手伝ってくれるらしい。木葉の隣に並んで野菜を刻む明羽に彼は微笑んだ。
「明羽さんが小さい頃を思い出しますね」
「そんな昔の話は忘れた」
明羽は鮮やかな包丁さばきを見せ、さっさと鍋の中に切ったものを放り込んでいく。
「木葉、肉が食べたい」
野菜ばかりのおかずのラインナップを見て、ぼそりと明羽が呟く。
「贅沢は敵なのです」
お玉を片手に木葉が諭すように言った。
「保さんに金持ちを紹介するように言っておく」
「いやいや、あなたの身を守ることが最優先ですからね?」
木葉が慌てて念押しする。
「肉のためならやむなし」
真剣に考えている明羽に溜息をついて、木葉が冷蔵庫からハムを取り出した。
「サラダに乗せましょうね」
「そいつは秘蔵っ子だな?だから木葉が好きなんだ。いつも私の願いを聞き届けてくれる」
ハム一つでご機嫌になる明羽に微笑みながら、木葉はせめてもと分厚くハムを切って明羽のお皿に乗せた。
「旦那様がいらっしゃった頃はそれはもう豪華なお食事でした。あの頃はまさか明羽さんに始末の心を教えることになるとは想像もしませんでしたが」
木葉が鍋をかき混ぜながら言うのを明羽は無表情で聞いている。さっき上がった感情のボルテージは下がってしまったらしい。
「私が生まれたのがいけなかったのかな」
「まさか。すみません、そんなつもりで言ったのではありません。明羽さんの夜を統べる瞳は完璧です。誇りを持って下さい」
「しかし、これと引き換えに父上はいなくなった」
明羽の父との思い出は無い。物心ついた時には父と呼べる者はいなかったのだ。木葉が明羽を育ててくれたから今ここにいる。
「関係のないことです。旦那様は明羽さんの母君を探しに行かれたのですから。それは困難な道で、時間がかかるでしょう。決して明羽さんのせいではないのです」
それは明羽が小さい頃から木葉に言い聞かせられてきたことだ。
明羽は風格があり、見た目が大人っぽいので誤解されやすいが、まだ未成年だ。回りの影響で時代錯誤な古い言葉を使うからか、ますます大人扱いされがちだが、こうして木葉と二人きりになると幼子のような顔になる。
それは木葉も言えることで、店ではただの従業員に徹しているが家に帰ると途端に保護者の顔を見せるのだ。
明羽はぐつぐつ煮えてきた鍋を覗き込みながら、そっと人差し指とお親指を砂糖と醤油の染みたじゃがいもに伸ばして、木葉に返り討ちにあう。
「明日、花岡さんのところへ行ってみようと思うんだ」
明羽は再度狙いを変えて挑戦するが木葉の防戦ラインを突破できない。
「ご当主にお会いになるんで?」
「ああ。てっちゃんというのは、どうも人間ではないようだ」
「え」
木葉が驚いて明羽を見つめる。
「花岡家に出入りする職人の子供が半妖なんて、ちょっと意外な気がするだろう?調べてみようかと思う」
「調べるって言っても、ご当主に単刀直入にお尋ねになるんでしょ?調べるって言わないのでは」
「お前はいちいち揚げ足を取る。だから伴侶を得られないんだ」
「それは関係ないでしょうよ」
木葉の本気の怒りに明羽は苦笑した。
彼が結婚しないのは自分のせいであると明羽は知っている。師匠から託された明羽を育てる為に木葉が自分のすべてを捧げてくれているのを苦々しく思いながらも、明羽は木葉を自由にできないでいる。木葉がいなくなってしまえば、明羽は孤独になるのだから。その覚悟が、今はまだできていない。手遅れにならないうちに、とそう思っているにも関わらず。
「木葉が結婚しても良いと思う人が現れたら、私は祝福するよ」
木葉の脇をかいくぐり、やっとつまみ食いに成功した明羽は、いつもより少し甘めの味付けに頬を緩ませた。
「あなたを悲しませるようなことはしません。絶対に」
木葉は火を止めて、静かに明羽を見つめる。
「悲しむ?」
「俺はあなたの家族だから、あなたから離れてしまうことはありませんよ」
断言された明羽は困ったように木葉を見上げる。
「そう決めてかかることでもあるまい。木葉は木葉の人生がある。私はそれを承知しているのだよ。ちゃんと」
そうは言ってみても、本音は別のところにあるのだから、人の気持とは厄介なものだな、と明羽は思った。
木葉は何も聞かなかったかのように澄ました顔で鍋を居間にある食卓まで運んで、明羽の出した皿に盛り付ける。甘ったるく煮込まれた肉なしの肉じゃがとほうれん草のお浸し、レタスときゅうりのハムのせサラダ、大根の甘酢漬け、金平ごぼうと小松菜のお味噌汁が食卓に並ぶ。さらに冷蔵庫から木葉が鯛のお造里を出してきたので明羽の目が輝く。湯気の上がる白ごはんをお茶碗に盛ってもらい、明羽は手を合わせて「いただきます」をしてから箸を持つ。
「ところで、明羽さん」
「なに?」
分厚いハムを嬉しそうに頬張っている明羽は目を閉じてその味を堪能しているところだ。ハム一口でお茶碗一杯を食べてしまっている。
おかわりのご飯を注いでやりながら、木葉は明羽がちゃんと話を聞いていることを確認して言葉を続ける。
「明日なのですが、明羽さんが花岡家にお邪魔している間、お店を閉めても宜しいですか」
「いいよ。南へ行くんだろう?」
明羽はもう一口、とハムを口に入れてご飯をかきこむ。
お見通しですか。
木葉の言外の言葉に明羽は真剣な表情になる。
「危なくなったら逃げるんだよ」
「子供ではありませんからね。うまくやりますよ」
そう言って木葉は感情に蓋をする。こうなると明羽が視ようとしても木葉の心の声は聞こえてこない。無理やりに視ることもできるが、明羽がそうはしないことを木葉は知っている。
「気をつけて」
半ば本気で心配して明羽は木葉を見つめる。
「ええ。明羽さんもご当主に粗相のないようにして下さいね。山入の家柄は花岡よりも格上ですが、今は没落していますからねえ」
本来なら誰からも敬われるべき人なのに嘆かわしい。
木葉の怒りとも哀愁ともつかない心の声に明羽は戸惑った表情を浮かべる。いつもは公にしないが、木葉は明羽が大勢の人間に傅かれなければならないと考えているようだった。それが明羽には荷が重く、望んでいないことだとしても。
今はどんな思惑からも夜を統べる瞳を守らなくてはならないからひっそりとした暮らしをしなければならず、贅沢は敵だと明羽に口を酸っぱくして言い聞かせている木葉の真意が別のところにあることが明羽には切ない。たった一人の家族と思っている相手の願いが自分を別の次元へ送り出すことであるのはできれば無視したいことだ。
「木葉の心配には及ばない。私は外では愛想が良い」
「ええ、知っています。本当にもう、不思議なくらいに評判が良いので、さすがに旦那様の血筋をひいていらっしゃると感動を覚えるくらいです」
人を引きつけるカリスマ。それを明羽の父親は持っていた。だから今でも木葉が旦那様の為だと声をかければ、国をあげて助っ人が現れるだろう。それをしないのは旦那様の意思であり、明羽の存在を秘匿する為でもある。
「その話はいい。木葉の『旦那様』贔屓は聞き飽きた」
明羽が拗ねて乱暴に残りのハムを一口で食べてしまう。
大事なハムの食べ方に気が付いて木葉は黙った。
今では旦那様よりもあなたのほうが大切なんですよ。
しっかり鎧を着せて明羽から見えなくした心の中で木葉は呟いた。
木葉は自分のハムを明羽の皿に黙ってのせた。明羽がチラッと木葉を見て微笑んだ。
「これでおあいこだね」
おあいこ、というのは平等な立場の者が使う言葉だ。主人はふんぞり返っていれば宜しい、と木葉は口にしようとして止めた。明羽が木葉を家族だと思っていてくれる間は、そういうことはお預けにしようと決めたのだ。
「お釣りがくるくらいでは?」
澄ました顔で言う木葉に明羽が「えーっ」と不満げな声を漏らす。
「このハムは返さないからね?」
明羽はご飯と一緒にハムを飲み込み、咀嚼し終えると箸を置いて「ご馳走様」と手を合わせる。
それから木葉をじっと見上げてくる。が、何も言わない。さすがに居心地悪くなって木葉の方から口を開く。
「どうかしましたか」
「どう、というか。少し疑問がある。私は木葉しか家族を知らないが、木葉と父上はどうやって出会ったんだ?」
「ああ、言っていませんでしたっけ?」
木葉は食事の途中だったが箸を置いて明羽を見た。
「私と旦那様は同級生だったんです」
「え?」
予想していなかった答えだ。
木葉の見た目は明羽よりも年上だが、うんと年長者という訳ではない。だから木葉と明羽の父が同級生となると、木葉が若作りということになるが、木葉の肌は張りがある上に綺麗でシワひとつ無い。
「私の瞳で視ても木葉のことが分からなかったから、何かあるとは思ったけど、同級生とは驚いたな」
「視たのですか」
「そりゃあ、気になるから」
素直に答える明羽に木葉が微笑んだ。
「何も聞かれないと思っていましたが、ちゃんと興味はあったのですね」
「当たり前だろ?木葉のことは知りたいと思うんだ。けれど、親しき仲にも礼儀ありだ。木葉が話してくれるのを待とうと思っていた」
明羽は複雑そうな表情で木葉の澄ました顔を視ている。
「どうして今尋ねてみようと思ったのですか」
木葉は急須を手元に寄せ、明羽の為に濃い目のお茶を淹れる。そして明羽は木葉から湯呑を受け取り、一口すすると、ほう、と息をついた。
「南へ行くなと言うのに行くからな。私が助けてやれるとは限らないし」
「今生のお別れにはなりませんよ」
軽く受け流した木葉から視線を湯呑にずらして明羽は何かを考えている。
「呪い、か」
「分かりますか」
「否、と答えるべきかな。呪いのようにも感じるというだけだ。どうして解くのかも分からないし、それが何なのかも見当もつかない」
「それは経験がないからですよ。明羽さんの能力は言わば最終兵器です。しかし、威力がありすぎて平常は使えないようになっている。だから、今は小出しにするしかないのです。ご自分に力がないのではなく、使い方をまだ知らないと思っていて下さい。それが色々な経験を経ることによって、うまく力を引き出せるようになっていきます。私はその手助けをするように旦那さまから言い遣っているのです。あなたの後見人ですからね」
「まあ、父上がいて良かったことの最大は私に木葉がいる人生を与えてくれたことだな。それ一つしか良いところはないが」
「それは光栄だと思っても?」
「もちろんだ。それで、同級生がどうして父上のことを旦那様なんて呼ぶのだ?」
「まあ、旦那様は名家のご当主で人気も力もある人ですからね。同級生でも気楽に名前を呼ぶことは憚られる存在です」
木葉は遠い記憶を呼び覚ますように言った。
それを面白くなさそうに見て、明羽は気になっていることを口にする。
「呪いが先だろう?」
「え?ああ、旦那さまと出会う前に呪われていたか、という質問ですか?まったく、あなたは私との会話だとすぐに言葉を簡素化してしまう。まあ、そうですね。コレに気が付いたのは旦那様ですよ。そして、私は旦那様に弟子入することになった。同級生だった頃はあの人に対して礼儀もクソもなかったですけど」
木葉が父のことを「あの人」と呼ぶのを明羽は初めて耳にした。
礼儀もクソもないと言いながら、同級生でも気楽に名を呼べなかったという関係性を明羽は興味津々で深く知りたいと思うが、木葉の表情はそれを許してくれない雰囲気を持っている。
相槌を打つだけに止めた明羽に木葉は微笑んで見せる。
「まあ、またお話しましょう。今夜はもうお休み下さい」
木葉は空いた食器を片付けだす。
話は終わりだ。
「先に風呂をいただくよ」
「湯冷めしないようにして下さいね。後でお部屋にデザートを持っていきますよ」
「楽しみにしている」
気分良く明羽は居間を出て行った。
障子が閉まった後で木葉の眉間に深いシワが寄っていたことを明羽は知るよしもなかった。
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