2.半妖の子

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2.半妖の子

 なだらかな坂を登っていくと繊細な模様の入った鉄柵に囲まれた洋館が見えてきた。鉄柵にはバラが巻き付き、中の様子が見えないように幾重にも植物の壁が出来ていた。  少し汗をかいてしまい、木葉に持たされたアイロンできっちり四角に折られたハンカチで額の汗を拭いて、明羽は大きな洋館を見上げる。  門番に来訪を告げてもらい、中へ入れてもらう。  日当たりの良いサロンへ通され、ソファに腰掛けていると、メイドが白いカップに紅茶を淹れて持ってきた。 「ありがとう」  明羽がメイドに微笑みかけると彼女は頬を赤く染めてサロンから出て行った。それと入れ違いに花岡家の当主がやって来る。  まだ学生だと言っても通じるような童顔だが、体格は良いのかスマートに背広を着こなして優雅に礼をした。 「明羽さん、お久しぶりですね」 「はい。ご当主はお変わりないようですね」 「いやいや、これでも変わりましたよ。腰痛持ちになってしまいましてね。しかし、驚いたな。明羽さんは一層美人になられた」  目を細めて花岡家の当主は明羽を見つめる。 「お父上が生きておいでなら、それ相応の相手に縁談を組まれたことでしょう」 「父は生きていますよ。どこかでね」  花岡の当主の思惑を払うかのように答えて、明羽は笑顔を見せる。 「ああ、もちろん、そうでしょうとも」  明羽の静かな迫力に冷や汗をかいた当主は話題を変えようと一旦自分のカップを手に取った。 「それで、今回はどのようなご用件でお越し頂いたのでしょう?」  明羽はチラリと当主の仕草を紺色の瞳で確認して笑みを浮かべる。 「単刀直入に言いましょう。こちらに半妖の子を連れた庭師が働いていますね?」  明羽の言葉に当主は一瞬真顔になるが直ぐに口元に笑みに浮かべる。 「おやおや、何のお話でしょうか。まさか明羽さんは妖怪や幽霊の類を信じるのですか」  一般的に存在しないものと言われている妖怪を相手にしている商売のことを知らないわけではないのに、当主は明羽が根も葉もない噂話を信じている子供のような言い方をした。 「ご当主、私に嘘は通じません」  花岡家の当主は明羽の父を知っている。彼女の父の権力を侮ることはしないが、彼が不在だからなのか、その子供のことは侮っているようだ。  明羽の紺色の瞳をじっと見つめて、花岡家の当主は溜息をついた。 「大変失礼を致しました。明羽さんが誰かの指示で動くことなどないというのに、疑心暗鬼に陥り、礼儀を欠いたことを謝ります」  先ほどとは反転した誠実な態度で当主は頭を下げた。 「いえ、私もあなたを試すような言い方をした。何かお困りのことがあるご様子、良ければ力を貸しましょう。と言いたいところだが、まずはお嬢さんの一件を先に解決して差し上げないといけない」 「ええ、里香から聞いています。なんでも自分から明羽さんのところへ依頼に伺ったのだとか。お手を煩わせて申し訳ない。が、私からも里香の願いを叶えて頂けるようにお願いしたい。哲郎はあの子にとって、初めての友達なのです」  当主は泣き笑いのような表情で話す。 「哲郎という者の生い立ちをご存知ですか」  明羽が問うと当主は頷いてみせる。 「ええ。大宮さん、これは庭師のことですが、彼はある時山で怪我をした若い娘を助けたそうです。庭師なので自分の山に入って仕事することはよくあるのですよ。庭に植える木や竹なんかを育てていたりするんです」 「ほう」 「大宮さんの助けた娘は器量の良い娘で、助けてもらったお礼に大宮さんの仕事を手伝うと言ったらしい。働き者で陽気で、気持ちの真っ直ぐな娘でしたよ。聞けば、身寄りはなく、行き場がないと言う。奥手の大宮さんが一大決心をして嫁に来て欲しいと言うと快く頷いてね。二人は祝言を挙げました。それが十二年ほど前のことです。やがて哲郎が生まれて、あの子が七歳の頃にその娘、つまり哲郎の母親が行方不明になってしまった。手を尽くして探したが、見つかることはなかったのですよ。それから哲郎は父親の側を離れなくなりまして、仕事を手伝うようになりました」  話を聞いている明羽の瞳が揺らめくような紫紺色に変わっていく。 「なるほど」 「哲郎が消えたのはあの子の誕生日です。うちで祝いのパーティを開こうと里香が企画して用意をし、哲郎を迎えに行ったら哲郎がいない。皆が必死に探したが見つからなかった」  当主は吐息をついて明羽を真っ直ぐ見つめる。 「明羽さんにはもう視えているのですか」  堪えきれないように当主が問う。 「是、と答えると、あなたは怪異に巻き込まれることになるが」  明羽は、本当は『夜を統べる瞳』のことを知る当主に覚悟の程を問う。 「娘の依頼に保護者が責任を負うのは当然の責務です」  言い切った当主に明羽は微笑んだ。 「宜しい。真実を知る覚悟がおありだとお見受けした」  明羽はにこりと微笑んだ。その瞳はもう鳶色に戻っていた。 「哲郎というのは半妖。つまり庭師の大宮さんと妖怪の間の子供。大宮さんの山は特別な山です。神域があって、そこには人間は入れないが、大宮さんというのは心根の真っ直ぐな人なのだろうな。神域に入ることができた。そこで妖怪、これは天狗と指定しても構わないだろう。天狗の娘と出会い、夫婦(めおと)になった。天狗の子は子供のうちに修行をすることになっている。哲郎が七歳の頃に天狗の迎えが来たようだ。それを阻止しようとした母親が視えたが、天狗は子供を諦め、その母親だけ元の世界に連れ戻したようだ。だがその生死までは分からないな」 「……そうでしたか」  普通ならば信じられないような話だ。当主は頷くも、動揺したように冷めた紅茶を口にし喉を潤した。 「天狗というのは噂に聞くようなものでしょうか」 「噂、というと赤い鼻に翼を持つというアレをお考えですね」 「ええ。風を操る妖怪だとか」  それを聞いて明羽がふっと笑った。あまりに優しい表情に意外な思いで当主が明羽を見ている。 「ご当主、天狗の容姿は人間とそんなに変わりません」 「そうなのですか」 「確かに風の神の守護を受けていると捉えて間違いない。だから神域に住んでいられる。それに翼を持っているように見せる幻術も使う。格の高い天狗になると本物の羽になるのですがね。天狗は能力の高い神の使いの武闘集団のようなもの。眷属は大事にするから哲郎のことは心配ないでしょう」 「と言うと?」 「哲郎は天狗のところにいる」  明羽は思案するように宙を見る。 「昨日、里香さんが店にいらっしゃった時、視たのは哲郎は帰る気がないということだった。どうでしょう?里香さんに直接説得に行ってもらうっていうのは」 「は?えっと、里香を天狗のところへ連れて行くと仰る?」 「はい。里香さんの身の安全は保証しますよ。私と共にいれば大丈夫。しかし、哲郎には何か考えがあるようだ」  明羽の物憂いな言い方に当主が乾いた口元をわずかに息を求めるように開いた。 「明羽さんと共にいれば安全だと誓ってもらえますか。私の元へちゃんと里香を返して下さると保証して貰えるのですか」 「もちろんだ。しかし、哲郎に関しては否と言える。それを里香さんに直接見聞きして欲しい。きっと他人から聞かされた事実だけでは里香さんは納得しないでしょうから」  明羽の言葉に当主は深く息を吐き出した。 「分かりました。仰るとおり、里香は人から聞いた話では納得しないでしょうし、そして哲郎を説得に行くと言うでしょう。私は里香の気持ちを優先します」 「では神域という名の異界へ行くことをお許しになりますね」 「はい」  言質をきちんと取った明羽は満足気に商売人の笑顔を浮かべたのだった。
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