3 南からの訪問者

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3 南からの訪問者

 うららかな日差しの中に心地よい風が時折吹いてくる、そんな昼下がり。明羽はゆっくりと歩みを進めながら目的の場所まで進んでいく。  明確にそれがどこなのかは分からないが、どこを目指せばいいかは分かっている。常に明羽の側にある者が立っている場所。それが目的地だ。  それにしても、暑いな。  朝が肌寒かったので明羽は木葉が用意してくれた厚手の服そのままで家を出てきたが、汗ばむ気温になってきたことで少し後悔が頭をよぎる。  着替えてくれば良かったかな。  午前中に出かけた先の花岡邸ではそこまで汗をかくことはなかったが、と思いながら辺りを見回す。  美しい花々が咲き誇る楽園。  いつの間にか、そんな場所へ迷い込んでいる。  はっとするほどの赤色や妖しい桃色、艷やかな橙色、幻惑するような胡蝶の黄色、目を覆う色とりどりの色彩を放つ植物に五感を絡め取られそうになる。  夜を統べる瞳を持つ明羽を惑わすことは容易ではない。  真実を見抜く瞳とも言いかえられる夜を統べる瞳が捉えたのは異国の、それも古の神の力だ。 「厄介な」  明羽は呟いて、そして微笑んだ。  目的とする場所に入ったからだ。 「そのように余裕な態度を取られると、私は面白くないのだけど」  妖艶な女の声が明羽の耳に届く。 「余裕というのとは違う。私は己の目的が達成されればそれで満足なのだから、あなたと争うつもりはない」 「これは異なことを言う。その圧倒的力。私を蹂躙しに来たのだと見なしていたのだけれど」  女の声は風に乗るように聞こえ、明羽を道案内していく。  一際花の香りが濃厚に立ち込める場所へ入っていくと、そこに木葉が立っていた。  ぼんやりと所在無げに辺りを見回していて、いつもの抜け目ない山入商店の番頭でもなく、温かくお節介な明羽の保護者でもなく、あどけない無垢な少年の姿で彼はそこに立っている。 「連れて行けると思う?」  女の声は揶揄するように明羽を誘う。 「彼の意思で一緒に帰る」  明羽は断言した。  鳶色の明羽の瞳が瞬時に紫紺に変わる。  世界が一変する。  花々が舞い散り、突風が吹き荒れる。嵐だ。明るい日差しはなりをひそめていく。世界が暗転した。  完全に宵闇が世界を支配し、星々のきらめきが無限に広がっていく。 「木葉」  名を呼ぶ。  彼はまだ気が付かない。ぼうっと煌めく星を見ているだけだ。 「木葉」  もう一度、大事なその名前を呼ぶ。  木葉の目に闇色が宿る。 「明羽さん?」  見慣れた木葉が明羽を探す。  完全に夜の瞳を解放した明羽の姿を木葉が捉える。  長い漆黒の髪、闇夜に浮かぶ月のような白い肌、魅惑の言葉を紡ぐ薄く紅い唇、そしてすべての夜を支配する紫紺の瞳。柔らかで長い肢体に誘い込まれるように木葉は明羽の腕の中に収まる。  夜の世界に抱かれているような感覚に木葉は不思議と安らぎを覚える。 「あなたに助けを乞うことになるとは不覚でした」  木葉が言うと明羽は微笑んだ。 「昨日あげた石がなければ木葉の元へ辿り着けなかった。厄介なものに囚われたね」  明羽は世界を収束しながら言った。  異界が閉じられる。  昼下がりの往来で、二人は向い合って微笑んでいた。  大人びてはいるが、まだ幼さの残る明羽の体の線は細く、瞳は鳶色で髪も明るい毛色の、いつもの明羽だ。 「明羽さん、髪に」  木葉が明羽の髪に触れ、黄色い花びらを取り除いた。木葉はそのまま明羽の髪に触れた。明羽が木葉を見上げる。 「木葉?」 「あ、すみません。ぼうっとしてしまって」 「いいよ。疲れたんだろ?」  明羽が笑顔を見せ、歩き出す。 「なんだか肌寒いですね」  木葉の言葉を聞いて、明羽が肩をすくめる。 「なあ、買い物して帰る?」 「そうですね。今夜のおかずは何にしましょう」 「肉じゃが」  にく、と強調して明羽が言うと、木葉が頷いた。 「たまには良いですね」 「本当?」  ぱあっと顔が明るくなった明羽を見て、木葉も笑顔になる。 「昨日も似たようなおかずでしたけど、いいんですね?」 「うん。肉が入っているなら文句ない」  明羽は上機嫌だ。  懐に手をやりながら木葉は重大なことに気が付いた。 「あの、明羽さん」 「ん?」 「財布を落としてきたみたいです。さっき、あの場で」  明羽が笑みを浮かべたまま固まっている。 「にく」 「え?」 「肉を買うお金がないと、そういうことか」  重々しい口調で明羽は言い、くっと拳を握る。 「あいつ、絶対許さん。私の肉を奪うとは」  明羽の敵認定を受けたのは木葉を捕えていたモノだ。食べ物の恨みは恐ろしいというが、明羽の肉への執着は異常なほどだ。育て方を間違ってしまったかと木葉の頬が引くつく。 「明羽さん、後で出直して肉を買いますから、そんなに怒らなくても大丈夫ですよ」 「大丈夫?よくもそんな言葉を使えるな。大丈夫とは何を持ってして大丈夫なのだね。そもそも大丈夫なんて言葉の使い方を木葉は間違えているんじゃないか?」  くどくどと始まった「大丈夫」の使い方を巡る説教は延々と続く。  いつもなら、くどくど説教をするのは木葉の役目だ。今日は反対だな、と微笑ましくて木葉は明羽の顔を見つめていると、じっと見返されてしまう。 「なんで、そんなに満足そうな顔をしている?」 「え、満足そうですか、俺は」 「ああ。木葉は難しいな」  明羽がそっぽを向いた。 「何がですか。俺ほど良く働いて店主に従順で単純な人間はいませんよ」  だから給料上げてくれ。  久々に漏れてきた木葉の心の声に明羽がぷっと吹き出した。 「木葉を喜ばせたいのに、それが結構難しい。店にいる間は木葉は単純で心の声がだだ漏れの男の子なのに、家に帰ると本心が全く見えない大人の男になる。何が好きで何が嬉しいのか、木葉は見せてくれない。だから、木葉は難しい」  明羽は伺うように木葉を見上げた。 「私に足りないのは何だ?木葉は私に何を望む?」 「明羽さんには幸せになってもらいたいですよ。それが俺の唯一の願いであり、楽しみであり、使命です」 「変なの。肉さえ食事に出してくれていたら毎日幸せだよ」 「それとこれとは話が別ですからね?」  しっかり釘を刺されて、明羽は明日からまたしばらく肉抜きの生活が始まることを悟ったのだった。
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