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5.生きる道は違えど
明るい日差しに目を細めて、明羽は背伸びをした。
玄関を開け放した店先では木葉が掃き掃除をしている。ご近所の主婦や軒を並べる薬剤店の店主たちと世間話をしながら手を動かしている様子に、長閑な事だと微笑ましい。
昨夜、天狗の世界に行った里香を無事に家に送り届け、風呂で身を清めてから布団に入った明羽だったが、天狗の王の意地悪なのか、悪夢ばかり見てしまい熟睡できずに朝を迎えた。
こうして店に出てきてはいるが、油断すると居眠りしそうになる。
帳簿を見ながら欠伸が出そうになるのを堪えるのは正直、きつい。
「明羽さん、お茶、淹れましょうね」
木葉が戻ってきて、テキパキと店を整えながらお茶の準備をしてくれる。すぐに目の前に濃いめの緑茶の入った湯呑が置かれた。
「ありがとう」
「どういたしまして。しかし、眠そうですね」
苦笑しながら木葉は開店準備の最終段階、店の暖簾を玄関先へかけに行った。
今日はのんびりできそうだ。
明羽は茶を一口飲むと、ホッと一息ついた。
「ところで、里香さんは大丈夫でしょうか」
木葉が納品書の束を明羽の机の上に追加して置く。
「うん。大丈夫。彼女は心の真っ直ぐな人だ。哲郎の気持ちを尊び、自分は自分の道を行こうとするだろう。数年先が楽しみだな」
明羽は哲郎にちゃんとワガママが言えた里香の清々しい気持ちを知っている。もっと困らせるつもりだったことも承知しているが、それは言わなくてもいい話だ。
「良いお嬢さんですもんね」
明羽さんもおしとやかになれば、もっと評判も上がるだろうけどな。
木葉の心の声が聞こえてきて、じっと彼を見つめると木葉はにこっと屈託のない笑顔を見せた。
「そろそろ、男の服を着るのは止めたらどうです?」
木葉の言葉に明羽は首を横に振った。
「この格好が動きやすいんだ。女の人の服は正直着る気にもならないね」
明羽には大きい父親の衣類を着ている理由は女の服よりも動きやすいからだが、女物を新たに買う金があるのならば、食卓に肉を大判振る舞いして欲しい明羽だ。
見合い用に誂えるか、と考えている木葉の頭の中の声を聞いて、明羽の形相が変わる。
「見合いなんか、絶対にしないからな」
「あ、漏れてました?」
ちっ、こういう時だけちゃんと俺の気持ちが伝わっちまうのか。
笑顔の木葉の心の裏側を察知して、明羽は何とも言えない顔になる。
「そんなくだらない事を考えている暇があったら、少しでも稼いで肉を買ってき給えよ」
明羽は帳簿に視線を戻し、木葉を見ないようにした。
ふ、と木葉が微笑んだ気がして顔を上げた明羽だったが、彼はもう背中を見せて店の棚の整理に忙しい。
「哲郎は寂しいだろうな」
ぼそっと明羽が呟くと、木葉が背中を向けたまま「まさか」と答える。
「え?」
答えが返ってくるとは思わなかった明羽は木葉の背中を見つめる。
「想い人のために努力しているのですよ?いつか立派になった自分を見せに行くんです。気を抜いていられる暇などない。男なら、寂しいなんて思っちゃいられない。踏ん張りどころです」
「そうか。女の里香さんも、きっと同じ気持ちだ」
「そうですね」
頷いた時、木葉がやっと明羽を振り返った。
「生きる道が違えども、想いは同じさ」
それは見方によっては寂しいかもしれないが、本人たちはきっと幸せなことだろう。
明羽の口元に笑みが浮かぶ。
「いらっしゃいませ」
木葉がこの日一番の客に笑顔を見せた。
山入商店のいつもの朝が始まろうとしていた。
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