6.見えざる手

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6.見えざる手

 夕暮れ時の山入商店は時と場合によって、とても忙しい。  今日も店にはご近所の旦那衆から女将さんまで集まって、わいわいがやがや騒ぎたい放題だ。 「金にならない客は出てってもらえませんかね?」  呆れ顔で店の奥の座敷から声をかける店主の明羽に皆ニヤリと笑って「何言ってんのさ」と返す。 「この町一番のお祭りが近いってのに、明羽さんがそんなんじゃお父上も卒塔婆の影で嘆いてらっしゃるんじゃないかしら」 「いや、父は死んでませんからね?」  三軒隣で美容室を営む女主人の美春に言われて、明羽はうんざりした顔でいつもの言葉を返す。  明羽の父が家を出てからもう何年が経つのか。明羽が寂しくないようにと町の人々は父を死んだんだと冗談にして話題にしてくるものだから、なんだか本当に死んでしまったのではないかと思えてくる明羽だったが、律儀に言い返すことは止めない。 「そういや、こないだ鷹人さんを見かけたけど、まだこっちに帰ってこないのかい?」  そう尋ねてきたのは町の中心的人物阿部だ。  鷹人と言うのは山入商店の従業員の一人で、背が高く、割と顔の良い好青年で、ご近所のマダムに人気が高い。 「鷹人には顧客に頼まれた珍品を買付に行ってもらってるので、それらを手に入れるまでは帰って来るなって言ってあります。近くに戻っても寄ることはないかもしれませんね」  問いには木葉が答えて、明羽を見た。 「もう半年になりますかね」  明羽は独り言のように言った。 「そんなに長く店空けたんじゃ忘れられちゃうよね」  今度は女だてらに全国展開している乾物屋の店主雪深(ゆきみ)が言ったが、「そんなことないわよ」とご近所のマダムたちはいかに鷹人が素晴らしいかを談義し始める。 「これこれ、今日はそんな話をしに来たんじゃないだろう」  阿部に注意されるとマダムたちはコロコロ笑って別の話題に移っていく。 「やれやれ、女ってのは口から生まれた生き物だって俺の親父がいつも言ってたわな」  腕を組んで苦笑しながら言ったのは魚屋主人の村田だ。 「うちの明羽さんはもっと口が開いても良いんじゃないかってくらい大事なことも話してくれませんけどね」  木葉がため息交じりに言うと旦那衆が大笑いした。 「親父さんはお喋りだったのになあ。あの人の話を聞いていると時間を忘れてしまうくらい話し上手だった。惜しい人を失くしたもんだ」 「いや、死んでませんからね?」  今日何度目かの突っ込みを終えて、明羽はわいわい騒いで本題を忘れているご近所の仲間を見回した。  店がにぎやかなのは嫌いではない。  明羽は頬杖を付いてかしましい人々を眺めていた。  そろそろ日が暮れて夜の帳が降りようかという頃になって、明羽はようやく口を開く。 「それで、誰が天帝になるんですか」  その言葉に本日の議題を思い出してか会話が止む。  天帝というのは町の祭りを統括する者だ。神社に祀られている神、つまり天帝が人の姿を借りて町を練り歩くという祭りの趣旨で、祝いの言葉を述べたり町内の家に一軒一軒訪問して祝福を配る。大変名誉な役回りだが、皆やりたがらないので、だいたい毎年クジで決めることになっていた。 「明羽さん、やらない?」  美春が言うと誰も彼もが同意を示して、このままでは明羽が天帝の役に決まってしまいそうだ。 「皆さん、大事なこと忘れてませんか」  木葉が仕方なく助け舟を出す。 「明羽さんはまだ未成年です」  彼の言葉に一同が黙り込み、一瞬後惜しそうに顔を見合わせては首を横に振っている。 「この貫禄なのに、まだ子供だったとは。仕方ねえな。クジで決めるか」  阿部が懐から紙を取り出して広げた。  最初から用意してあるあみだくじを見て、明羽は苦笑を漏らす。  毎年同じやり取りを繰り返して嵐のように去っていくのだ。温かい人柄の商店街の面々に明羽は救われている気がする。  そうこうしてクジの結果、美春が天帝役に決まってお開きになった。  わいわい言いながら店を出ていく面々と入れ違いに、町の外れで診療所を開いている鈴木保がやって来た。 「明羽さん、ちょっといいかい」  白髪交じりの好々爺といった風情の保は店から奥の座敷へ続く上がり框に腰掛けて明羽を呼んだ。 「珍しいですね、保さんがうちに来るなんて」 「なあに、用事を済ますついでに孫の顔を見に寄ってみたんだ」  保は木葉の淹れたお茶を一気に飲み干して言い、明羽の頭を撫で回す。  実際に血の繋がりはないが、保は明羽を孫と呼んで可愛がってくれている。 「用事って、もしかして」  明羽の目の色が不思議な色合いを帯びてくる。 「そう。夜を統べる瞳が必要だ」  保はまっすぐに明羽を見つめる。 「見えざる手から少年を救ってやって欲しいんだ」  保の言葉と同時に、赤く滲んでいた太陽の光が一瞬のきらめきを残して闇夜に呑まれていった。それと同時に明羽の瞳の色が揺らぐ。鳶色から紺色へ。そして紫紺から紫色へと変化(へんげ)する。 「おや、明羽さん。また成長したね」  保は目を細めて明羽を見つめる。 「夜の王、か」  木葉が呟く。  彼女の瞳が完全なる漆黒へ変化する時、夜の王として彼女は妖の世界に君臨することになると彼は。 「少年の右腕だね。縁が深いから切れるか分からないけど」  明羽は小首を傾げて鳶色の瞳を保に向ける。 「彼が困っているのを見てられなくてね。報酬は私が払おう」 「保さんが?木葉、どうする?」  明羽が木葉を伺う。日頃世話になっている保に代金を請求するのは気が引けるのだ。 「商売と言うのは商品の価値を貶めてはいけないのですよ」  大人の顔で木葉は言った。店にいる時は子供の顔をしている彼が保護者の顔を見せる時は警戒している時だ。どうしてだろう、と明羽は不思議に思って木葉の表情を、心の奥を読み取ろうとするが、大人の彼の心を視ることは明羽には叶わない。 「そうだぞ、明羽さん。夜を統べる瞳には価値がつけられないほどの値打ちがあるんだ。安売りもいけないし、同情でタダにしてもいけない。だが、まあ、割引してくれると助かるな。何せ貧乏診療所の給金では夜を統べる瞳の代金は払えない」  保は冗談めかして言い、木葉を見る。 「最近はどうだね」 「相変わらずです」  歳を取らない木葉の姿は異常だが、健康に問題があるわけではない。しかし、医師として異常をそのまま認めることはしたくないのだ。  保は目を逸らした木葉を注意深く観察し、また明羽に視線を戻した。 「それじゃ、明日にでもここへ彼を寄越そうか」 「はい。多分、渋ると思いますけど」 「そう思うかい」 「ええ。手が拒否している」 「ふうむ。ま、私の紹介じゃ、断れないだろうがね」 「そうですね。私も力添えしておきましょう」  言うなり、明羽の瞳が淡い紫色に揺らいだ。 「ほう、そう言うこともできるのかい」 「できる、できない、と言うよりも、誰に逆らっているのか分からせているというか」  言葉で表しにくいらしく、彼女は目線を宙に浮かせて言葉を探している。既にその目は鳶色に戻っている。 「ふむ。強者の弁だね」 「あー、そういう風に捉えられると困ってしまうのですが」  明羽は苦笑して肩をすくめて見せた。 「分かっているよ。言ってみただけだ。それじゃ、私は帰るとするかな。支払いはいつも通り、木葉がうちに回収に来てくれると助かる」 「はい、伺います」  木葉が即答する。 「よし。おやすみ、可愛い孫よ」  保はまた明羽の頭をぐりぐり撫でて出ていった。 「明羽さん、今夜は外でご飯を食べましょうか」  木葉がため息混じりに言うと明羽の顔がパッと明るくなる。 「肉!」 「うどんとかそばも美味しいですよね」  彼の言葉にがっくり肩を落とした店主に番頭はにっこり微笑んだ。  
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